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新しい世界への輪廻

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 両親は、子供が喜ぶだろうという思いから、普段から休みの日などはいろいろなところに連れていってくれた。
 私には兄が一人いるが、兄も同じ気持ちで、
「せっかく連れて行ってくれるというのはいいんだけど、ありがた迷惑なんだよな。しかも、行きたくないといえば、急に怒り出して、『せっかく連れていってやるって言ってるのに』って、まるで押し付けのような態度を取る。困ったもんだよな」
 と言っていた。
 確かに親とすれば、子供が喜ぶ顔が見たいという思いなのだろうが、子供からすれば、自分たちの気持ちを無視して、親の義務を押し売りされても嬉しいわけでも何でもない。押し付ける思いを自分たちの子供の頃にもしたはずではないのかと思うと、
「大人になると、自分たちが子供の頃のことなんて、忘れてしまっているんじゃないかしら?」
 と兄に言った。
 すると兄は、
「大人になるとって言うよりも、親になるとじゃないかな? 俺たちも親になることがあれば、気をつけないとな」
 と、兄はそう言っていた。
 兄は私よりも三つ年上。この話をしたのは、兄が中学に入学した頃だったような気がする。そう思うと、お互いに子供なのに冷めた考えをしていたんだと思えてならなかった。
 だから、人と関わりたくないという思いを簡単に抱くことができたのかも知れない。冷めた考えをしなければ、もう少し人と関わることを考えただろうに、今から思えばどちらがよかったのか、分からない。
 いや、分かりたいとは思わない。今でもずっと人と関わりたくないという思いをずっと抱いてきたことに違和感もなければ後悔もない。下手に分かってしまい、いまさら迷ったりするくらいなら、冷めたままの頭でいた方がいいに決まっている。
 そんな両親への思いを、兄も私も隠そうとはしなかった。両親はともに、私にとって、それぞれに嫌なところが露骨に見えていたのだ。
 父親の場合は、完全な君主だった。家では父親の意見が絶対で、それに従わないなどありえないと思っていたのではないだろうか。そんな父親に母親はまったく逆らおうとはしない。そんな母親を見て、兄も私も嫌気が差していた。
「父親と母親、どちらが嫌いか?」
 と聞かれたら、私は迷わず、
「母親です」
 と答えただろう?
 兄がどう答えるか分からなかったが、兄の母親を見る目は、完全に軽蔑の目だった。
 私も自分では気づいていないだけで、兄と同じ視線を母親に送っていたことだろう。
 私もそうだが、兄も両親のことを、
「父、母」
 とは呼ばない。
「父親、母親」
 と、下に「親」という言葉をつけるのだ。それは、両親に対して自分たちが関わりたくないという思いを言葉にして表現しているからだった。他の人が私たちの親に対しての呼び方を聞いた時、きっと他人事のように聞こえるに違いない。
 母親に対して、どうしてそこまで恨みを持っているのかというと、
「お父さんに言いつけるわよ」
 というのが母親の口癖だった。
 子供の頃の私や兄が、両親に対して少しでも逆らうようなことを口にすると、母親は決まって父親の名前を口にして、
「言いつける」
 という。
 それは、自分には決定権はなく、父親がすべてを決めているという体制に、何ら疑問を持っていないからに思えた。しかし、少し大人になって考えると、それは自分の逃げであり、父親に逆らえないことの蟠りを、私たち子供にぶつけているのではないかと思えてくるから、母親に対しての憤りが募ってくるのも当たり前だった。
――子供をダシにして自分の鬱憤を晴らそうとするなんて――
 そう思うと、どれほど自分たちが惨めな存在なのかということを思い知らされたようで嫌になるのだ。
 何といっても、嫌いな父に逆らうこともできない弱弱しい母親から、自分たちがダシにされているなど、怒りを通り越して、情けなくなってくるくらいだった。
 私が中学生になった頃から、両親に対しての情けなく思っている感情は、きっと表情に出ていたことだろう。兄を見ていると、完全なくらいに露骨な表情をしていた。
 父親は、そんな兄を無視しているようだった。私を見る時も、一瞬視線を逸らしているように思えた。あれだけ絶対的な存在だった父親が子供を避けるようになったなど、どう解釈すればいいというのだろう。
 子供としては、父親に逆らうことは、自分の生き方を確かめているつもりだったのに、その父親が視線を逸らそうとしているというのは、まるでボクシングのパンチを、豆腐に向かってしているような感覚だ。力を入れれば入れるほど、自分が破壊されそうな状況に私たちはどうすればいいというのだろう?
 母親もそんな父親に対して、相変わらず何も言わない。
 しかし、もう大人になりかけている私たちに、相変わらず子供の頃と同じように、
「お父さんに言いつけるわよ」
 と、バカの一つ覚えの言葉しか吐くことを知らない。
――どんな頭の構造をしているというのだろう?
 開いた口が塞がらないとはまさしくこのことで、今度は自分たちの怒りの矛先をどこに向けていいのか分からなくなってきた。
 私が高校生の頃になると、両親の仲はおかしくなっていた。
 父親は家に帰ってこなくなり、母親もその頃からパートに出るようになった。
 元々、専業主婦というわけではなく、私が生まれるまでは兄を育てながらパートもしていたという。だが、私が生まれると母親はパートを辞め、完全に家庭に入ったようだ。
 それは父親の命令からだったという。
「本当は、パート続けたかったの」
 と、母親の気持ちを近所のおばさんに聞かされたのは、再度パートに出るようになってからのことだった。
 その頃には、両親が何をしようと、兄も私も別に気にはしていなかったが、近所のおばさんは子供たちが何か気にしていると勝手に思い込み、子供に対しての配慮か、それとも母親への気遣いからなのか、別に聞きたくもなかったけど話してくれたことを、
「ありがとうございます」
 と言って、甘んじて話を聞いた。
 パートを続けたかった気持ちもあってか、子供に当たっていたのかと思うと、別にパートに出るくらい、何ら気になるものでもなかった。ただおばさんとしては、
「お母さんを少しでも助けてあげてね」
 と言いたかったのかも知れないが、私たち兄弟にとっては、そんなことはどうでもいいことだった。
 おせっかいな近所のおばさんもいたりしたが、どうやら、その頃から両親の仲がおかしくなっていることに、そのおばさんは気づいたのかも知れない。
 もちろん、父親とはほとんど面識がないので、母親の側からしか分かるものではないが、おばさんは、当然全面的に母親の味方であった。
 両親に対して義理だてるつもりはないが、一方からだけに味方がいるというのは、不公平に感じられた。自分の両親のことなので、そんな単純なことだけではないのだろうが、元々他人事のように接してきた相手である。それ以上には考えることが、兄も私にもできるはずはなかったのだ。
 両親の仲がどのようにおかしくなってきているのかは、おばさんの態度を見ているとよく分かる。
――味方は誰もいない――
 とでも思っているのか、どうやら母親の相談相手は全面的にそのおばさんのようだった。
作品名:新しい世界への輪廻 作家名:森本晃次