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新しい世界への輪廻

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 私はここまで来て、話に駆け引きを混ぜる気持ちにはなれなかった。素直に答えることがお互いの意見を融合させて、真理に近づくのではないかと思ったからだ。
「私が夢を覚えている時というのは、怖い夢を見た時がほとんどですね。あなたが今それを聞くということは、あなたも同じということでしょうか?」
「ええ、なかなかこんな話をできる人というのはいないもので、親友でも相手の性格によっては、冷めた目で見られることもあるでしょう。特に親友にそんな目で見られたとすれば、二度とこの話題を出すことはない。他の人に対しても同じことで、自分の中で封印してしまうことになるでしょう」
「人に話せないことの中には、相手にされないと思うこともあるでしょうけど、それはあまりにも突飛な発想で、相手がついてこれない場合なんですよね。そんな時、えてして話している本人は悦に入っていて、相手を置き去りにすることが優越感だと思ってしまう人もいると思います。相手を置き去りにしたことを後悔する人もいれば、優越感の興奮に目覚めてしまう人もいます。人それぞれなんでしょうが、私は優越感に溺れてしまう人のほうが圧倒的に多いように思っています」
「それはきっと、自分が優越感に目覚めているからで、自分が相手の身になって考えた時、共感できるものがあるからなんでしょうね」
「確かにそうかも知れません。私は気がつけば相手の身になって考えていることが多く、それを自覚もしています」
「少しきついことをいうようですが、相手の身になって考える人というのは、優越感に溺れやすいと思います。だから今の先輩の話も、本当は逆で、優越感が先にきているんではないでしょうか? 相手の身になって考えるというのは、相手のためなんかではなく、あくまでも自分の優越感を満たしたいからだと思えてならないんですよ」
 ここまで直球で言われると、本来なら、顔から火が出るほどに恥ずかしい思いをするはずなのに、彼から言われると、そこまで恥ずかしいとは思わない。
 彼には自分の気持ちを見透かされているという意識があるからなのかも知れないが、彼と話をしていると、自分の中でだんだん感覚がマヒしてくるような気がしてくる。似たような思いは、今に始まったことではなく、以前から感じていたような気がする。自虐もなければ反省もない。恥ずかしさもなければ、後ろめたさもない。この感覚は右から入って左に抜けてしまったような感じであった。
――何かを考えることは、自分に対しての言い訳になるだけだわ――
 と考えたからだった。
 本当は自分に対しての言い訳を嫌っているわけではない。言い訳をできるだけの理論的な考えが存在していれば、それはもはや言い訳ではないと思っているからだ。
 つまりは自分を納得させることができれば、それは言い訳ではない。他の人が見て言い訳だと思ったとしても、それは他人の意見であって、鵜呑みにする必要などない。
 私が人と関わりを持ちたくないと思った理由の中に、
――まわりの人は自分よりも優秀なんだ――
 という思いがあったからだ。
 まわりがいうことはすべてが正しい。自分にいくら言い聞かせても、それはすべてが言い訳でしかないと思うようになると、自分自身で自分を引き篭もりにしてしまう。
 それが私の中学、高校時代だった。
 その間に、いろいろなことを考えていた。人の意見が一切関わっていないので、偏った考えではあったが、たくさんの人の意見が混同しているわけではないので、理屈としては筋が通っている。
 いろいろなことをまわりの人に相談する人は、まず相手が一人ということはない。よほど気が置ける相手で、信用でもしていない限り、普通であれば、たくさんの人の意見を参考にして自分の意見を組み立てようとするだろう。
 だから、なるべく自分と気が合う人の意見を参考にしようとする。
 それは間違っていないのだが、どうしても自分に近い人ばかりを参考にしようと思うと、人それぞれに性格も違えば意見も違っているだろうという当たり前のことを忘れがちになってしまう。だから、それぞれに違った意見を言っているのに、同じような意見だと錯覚してしまうだろう。
 元々意見が違うのに、それを強引に同じなのだと考えようとすると、まとまる思いはまとまらず、それどころか、永遠に交わることのない平行線を描くことになるのだ。
 それをその人は、
「考えがもう一度、一周して同じところに戻ってきた」
 と思うことだろう。
 しかし、一周しているわけではなく、最初からその場所を動いていないだけなのだ。そのことを誰が分かるというのか、本人が分からなければ、誰も分かるはずもないのだ。
 私は自分の意見を人に押し付けることも、人から押し付けられることも一番嫌いだった。それが両親に対して感じた思いであり、
――いくら親だからと言って、人に自分の意見を押し付けてはいけない――
 と思うようになった。
「何言ってるの。あなたは私の娘。他人なんかじゃないじゃない」
 と言うだろう。
 しかし、個人の考え方という意味では、いくら肉親でも他人である。
「血が繋がっているのよ」
 いわゆる遺伝子が親から子供への考え方を遺伝させているのだとすれば、それは何も言わずともちゃんと遺伝しているはずである。それをこれ見よがしに、親としての意見を子供に押し付けられたのであれば、それはただの押し付けにしかならない。特に血が繋がっているのだから、誰よりも相手の気持ちや考え方が分かるのだとすれば、わざとやっていることを億劫に感じることだろう。
 言葉では、
「私はあなたの親だから、あなたのことは一番分かっている」
 と言っているが、何も言わずとも分かるであろうことを、わざわざ口にして億劫に思われるのであれば、そこには反発しかない。
 私はその反発を親にも分かってほしいと思ったが、親の立場になってしまうと、それも無理なことなのだろう。そういう意味では、
――大人になんかなりたくない――
 という思いが頭の奥に潜在しているのを、今までに何度も感じていたのだ。
 私が彼との夢の話からそんなことを思っていると、彼にも何となく分かったのか、
「前世を僕が知っている気がすると言ったでしょう? でも、それは誰の前世なのかって分からないんですよ」
「それはあなたの前世ではないんですか?」
「僕は最初、そうだと思っていたんだけど、最近では違うかも知れないと思うようになったんだ。やはり、夢であったり、記憶喪失によるものであったり、他人との意識や記憶の共有を考えていくと、だんだんと自分の前世なのかどうか分からなくなったんだ」
「それは不思議な感覚ですね」
「ええ、でも、分からなくなったことに疑問を感じるということはないんですよ。それよりも、どうしてそれが前世なのかという意識を持っているかという方が気になるところではありますね」
「確かにそうですよね。何かの確証がなければ、夢だったり、失っているかも知れない記憶だったり、誰かと共有しているものだったりしているのかも知れないからですね」
作品名:新しい世界への輪廻 作家名:森本晃次