新しい世界への輪廻
彼は一瞬、考え込んだが、
「それは意識なんですか?」
「ええ、意識です」
「子供の頃に感じたことであれば、かなり昔のことのはずだから、意識ではなく記憶ではないかと思うんですが?」
「ええ、もし、それを記憶として感じてしまうと、今度は記憶として封印されてしまうのが怖かったんです。記憶には封印が存在しますが、意識には記憶へ移行することはあっても、封印されることはないと思うからですね」
「ずっと頭のどこかで考えていたかったということですか?」
「ええ、考え続けることはなかなか難しいですが、意識し続けるというのは、そこまで難しいものではないです。でも、あまり意識し続けすぎて、頭がオーバーヒートを起こしてしまうと、今度は、記憶を通り越して、封印から目覚めることのない記憶喪失に陥ってしまいかねないとも思っているんです。だから、普段はあまり意識しないようにしてきたんですが、話をする相手がいると、意識し続けることも難しくはないと思えるようになりました」
「そうなんですね」
「ええ、私は自分の作った新しい世界には時系列や、スペース、そして、新しい世界を動かそうとする力は存在しないのではないかと思っています。だからこの世界はあくまでも自分だけの世界であり、人が関わることはないと思っています」
「でも、新しい世界が意識されたものであるとすれば、僕は輪廻のようなものを感じます」
「どういうことですか? 輪廻というと繰り返しているということですよね。それは自分の前世や後世で関わってくるということでしょうか?」
「違います。あくまでもあなたの一生の中で輪廻しているということです。現実世界で生きている場合は、言葉通りの『一つの人生』、つまり『一生』なんでしょうが、自分の作りだした世界は、一つとは限りません。あなたのいうように、時系列やスペース、動かそうとする力は存在しないと考えると、同じタイミングで新しい世界が重複することはないと思えます」
「そうですね。だから皆新しい世界に行くことができても、記憶の中にも意識の中にも存在しないのだから、誰かに言われるのではなく、自力でこの世界を創造することができない限り、もし存在していても、何も残らないんです」
「では、もしその世界の記憶が残っている人がいるとすればどうですか? あなたには信じられることですか?」
と彼が私に訊ねた。
私はここでは自分の意見をいうことはできるが、答えを出すことはできないと思うのだった。
「私には信じられません。私のように意識をしている人間でも、新しい世界から戻ってきたという意識が残っているだけで、向こうの世界の意識や記憶はまったくない。戻ってくる時に消されたのか、それとも、自分がわざと記憶を残さないようにしているのか、分からなかったです」
「それはきっと、あなたが新しい世界を繰り返しているからですよ。それは輪廻のようなもので、時系列が存在しないので、同じところを何度も繰り返している。だから戻ってきてから意識がないんですよ。同じことを繰り返しているという意識は、あなたにとって認めることのできない事実なんじゃないかって思ったんです」
「あなたは、記憶があるんでしょう?」
「ええ、おぼろげではありますが、記憶があります。何度も同じ発想を頭に抱いて、気がつけば抜けることのできない底なし沼に足を取られていたかのようにも思えました」
「底なし沼ですか?」
「ええ、でも、抜けることのできないものに対して無駄な抵抗を僕はしませんでした。したって結局飲み込まれるんだって、妙に冷静でしたからね。その時に初めて『死』というものを真剣に意識した気がします」
「どのように感じたんですか?」
「僕は、死んだらどうなるという発想よりも、死ぬということに恐怖を覚えました。まず考えたのは、『苦しいんだろうな』、『痛い思いはしたくない』という思いでした。これは誰でも同じことであって、本当ならその次に感じるのは、『死んだらどうなる?』ということでしょうね。でも、苦しみや痛みを想像している間に死を迎えてしまい、決して死んだらどうなるという発想に行き着くことはないんです。そう思うことで、僕は現実世界に引き戻されて、『生きていてよかった』と感じるんです」
「皆そうなのかも知れませんね。私もきっとそう思うに違いないと感じました」
「でもね。生きていてよかったと思うのは、まだまだその時、死を意識していたというのを引き戻された時は覚えているんです。でもそのうちに忘れてくるようになる。この現象って夢から覚める時と同じだとは思いませんか?」
「ええ、そうですね」
「だから、意識の中では、『夢を見ていたんだ』って感じるんですよ。新しい世界を夢の世界だとして片付けてしまう。意識していたことが記憶となって封印されたと思ったとしても無理もないことですよね」
「違うんですか?」
「ええ、この思いは記憶の奥には入りません。だから、封印されることもないんですよ。新しい世界に行ったという意識もなく、結局は記憶にも意識にも残っていない。残っているとすれば、頭の中にある本能にだけかも知れません」
「本能って、頭の中にあるんですか?」
「本能というのは、身体のいたるところに無数に存在していると思います。だから頭の中にあっても不思議はないんだけど、記憶や意識を格納するという特殊な感情ではありません。つまりは、意識しない限り、表には出てこないということです」
「でも、本能というのは、意識の外にあって、無意識の中で起こることではないんですか?」
「それは無意識を意識とは正反対のもので、意識と隔絶している思いがあるからです。ここでいう無意識というのは、決して意識の外にあるものでありません。むしと、無意識は意識の中の一種だと考えることができるような気がします」
「今のお話を聞いていると、まるで本能と意識は切り離せないもののように聞こえてくるんですが?」
「ええ、その通りです。本能は意識の上に成り立っているものだって、僕は思っています。なぜなら、誰もが本能を持っていて、記憶をなくしても、本能が生きているので、普通に生きていくことも可能でしょう。記憶がなくても、本能という意識があることで、その人にとっての新しい世界が開けていくんですよ」
「じゃあ、新しい世界を意識できる人は、本能をずっと意識している人だっていうこともできますよね」
「ええ、その通りです。新しい世界も本能とは切り離せない世界なんですよ」
「そうなんですね」
私はまた少し考えた。
「でも、どうしてそんなに苦しいことばかりなんですか?」
と私がいうと、
「それは夢に似ているところがあると思うんですが、あなたは夢から覚めて覚えているt夢というのは、どういう夢ですか?」
急に夢の話に変わってしまった。
私は、夢の世界の話と、彼が言っている前世の話とは切り離して話をしていたつもりだ。それは彼自身が切り離して話をしているからで、私との意見の一致から、否定をすることはなかった。
しかし、今なぜここで夢の話になったのだろうか? 私には少し腑に落ちない感覚だった。