新しい世界への輪廻
「確かに私やあなたのような人間は存在していて、世界もまったく同じ光景で見えている世界のはずなのに、存在している世界はまったく違っている。つまり、静的な状態では同じ世界なのだけれども、動的な世界では、まったく違った世界なんじゃないかって思うんです。それを、『次元が違う』と表現するのが一番納得がいく答えなんでしょうが、私は同じ数の次元の違う世界というものと、本当に次元が違っている世界とを混同して皆が考えていることから、発想が混乱してしまうのではないかと思うんです」
「というと?」
「次元と世界という発想を、同じように扱ってしまうから『次元が違う』と言われても別に不思議に感じないんですよ。次元というと、頭に数字がつきますよね。一次元、二次元、そして三次元。それが、点や線であり、平面であり、そして立体である。これは私たちが知っている世界です。でも、昔から考えられている四次元の世界というのは、そこに時間という概念が存在しているんです。つまり、同じ時間に同じ場所と思えるところに、見えないだけで、別の世界が広がっているという世界ですよね。そこには時系列が存在しているのか、タイムマシンなどという昔から考えられているアイテムへの発想は、ここから生まれてくるんですよね」
と、私がいうと、彼もそれに追随した。
「アインシュタインの相対性理論というのをご存知ですか?」
「ええ、言葉は知っています。理論の中でも有名なものくらいなら分かるような気がしますよ」
というと、彼は頷くと、おもむろに話し始めた。
「これは昔話の浦島太郎や、昔映画で話題になったことが相対性理論の発想になるんですけど、時間というのは、速度によって変わるという発想ですね」
「何となく聞いたことがあるような気がしますが、漠然としているような気がします」
私は、ある程度の会話ができる程度なら、相対性理論について理解していると思っている。
「人間がその環境に耐えられるかどうかという点は別にして、例えば、光速を越えるようなロケットに乗って宇宙に飛び出したとします」
「ええ」
「そのロケットは、一年後に一定の軌道を回って地球に帰ってくるものだとしますよね」
「ええ」
「キチンと地球に帰ってこれたとして、そこは自分たちのまったく知らない世界だった。つまりその時の地球は数百年が経過していたというオチです」
「確かに浦島太郎のお話に類似するところがありますね」
「ええ、これが相対性理論の発想で、光速で進むと、時間の進みが遅いという発想なんです。それを利用すると、タイムマシンの開発というのも可能なのかも知れないと思えてきますよね」
「でも、タイムマシンの開発はそれ以外にもいろいろな弊害があるって聞いていますけど?」
「ええ、パラドックスという発想ですね」
「パラドックス?」
「はい、よく聞くのが過去に行って、自分の親を殺してしまうという例え話ですね」
「というと?」
「過去に行って、自分の親を殺すとします。すると、親が死んだのだから、自分は生まれてきませんよね」
「ええ」
「だから、自分が過去に行くこともないので、親を殺すこともない。そうなれば、自分は生まれてくることになるわけですよね。でも、自分が生まれてくるという運命が選択されれば、自分はタイムマシンを作り、過去に行くという事実が成立するわけです。そうなると、やはり親を殺してしまうことになりますよね?」
「ええ、まるでタマゴが先かニワトリが先かという発想のようですね」
「そうなんですよ、ここで生まれてくるのが、『矛盾の無限ループ』という発想ではないかと思うんです。それをパラドックスと言えるのではないでしょうか」
「分かりました。それが四次元の世界の発想なんですね。そういえば、四次元の世界の象徴として描かれる『メビウスの輪』も、その矛盾から成り立っていますよね。つまりは、異次元というのは、矛盾の塊のようなものだともいえるんでしょうね」
「ええ、この異次元の世界への発想は誰が考えたのか分かりませんが、きっといろいろな人が自分独自に考えて、その矛盾に悩んだんだって思います。今皆が知っている異次元の世界というのは、そういう意味では、皆が皆同じ発想ではないはずなんです。むしろ、一人ひとりが違っているはずなんです。なぜなら、異次元の世界というものが証明されているわけではないので、いくらでも無限の発想ができるし、発想が無限であれば、それだけ矛盾も無限なのかも知れませんね」
彼はそこまでいうと、目の前のコーヒーを喉を鳴らしながら一気に口の中に流し込んだ。それだけ喉がカラカラに渇いていた証拠であり、自分の発想を私と同じように誰にも言うことができず、悶々とした気持ちでいたのではないかと思えた。
「コーヒーもう一杯ください」
と、彼がいうと、私も気持ちは同じで、
「あ、じゃあ、私もお願いします」
と言って、二杯分を注文したのだった。
お互いに喉が渇ききってしまうほどこんなに自分の意見を素直に話したことはなかったのだろう。相手には分かってもらえるだけではなく、自分の意見に対してれっきとした意見を持っている人でなければ話すことのできない話題だと思っていたことだった。そんな相手が見つかっただけでも、今日という日は、ずっと忘れることのできない日になるのではないかと思えた。
コーヒーが来るまで、さすがに疲れたのか、お互いに何も話そうとはしなかった。
――話すエネルギーはまだまだ残っているわ――
と私は感じた。
逆にエネルギーがなくなってきたと思うことで、一気に疲れが押し寄せて、それまで感じなかった時間という感覚を、嫌というほど思い出さされるに違いないと感じた。
彼はおかわりのコーヒーを飲んで落ち着いたのか、
「ところで、先輩は相対性理論や異次元の話になると、何となく上の空に感じるんですが、何か自分の考えていることと違っているんでしょうか?」
その指摘はまさにその通りだった。
しかし、どこがどのように違っているのかということを自分の中でハッキリとしなかった。それを核心を突くように彼が指摘してくれたことで、今まで漠然としていた思いが晴れてくるような気がした。
すぐに回答できなかったが、それは、自分の頭も混乱していて、自分が何を言いたいのかがハッキリしていなかったからだ。しかし、それも歯車の噛み合わせであって、一つが噛み合うと、結構発想が豊かになってきたりするものである。
「私もあなたの言っていることに賛成はできると思うのですが、今まで私が感じていたこととは少し違っているんです」
元々人と関わりを持つことを嫌っていた私にとって、誰かと意見を戦わせるなどという
ことはなかった。ただ、もし意見を戦わせる相手がいたとしても、相手の意見に飲まれてしまって、自分の意見を表に出すことはできなかっただろう。それだけ自分の意見は変わっていて、話すことすら恥ずかしいという思いを持っていたのだ。
「先輩らしいとは思いますが、僕も先輩と同じようなところがあります。だから先輩の気持ちも分かるので、余計に僕も意見を戦わせてみたいと思ったのだと感じています」