新しい世界への輪廻
私が路傍の石の時に夢を見たと感じたのは、錯覚ではなく、本当のことだったのかも知れない。路傍の石だった時の記憶は、決して思い出したくないものであり、人間以外記憶も思い出したくない。
いや、人間だった時があったとしても、それが本当に幸福だったと言えるだろうか。人間には歴史があり、過去の歴史で今のような平和な時代など、どれほどあったというのだろう。
――そういう意味では歴史を勉強するというのは、いろいろな意味で大切なことだと言える――
という思いを抱くようになっていた。
ただ、現世を生きる上で、前世を信じている人がどれほどいるだろう?
人によっては信じているが、口にするとバカにされてしまうと思い、考えていることを封印している人もいることだろう。
私もそうだった。
前世などという言葉を人に話すと何を言われるか分からないという思いはあったが、そもそも私には、人と関わることを嫌だと思っている考えがある。人に話すことなどないはずなのだ。
ただ、絶えず自分に問いかけているような気がした。
時々、何も考えていないと思っている時があるが、急に我に返って、
――今、何をしていたんだろう?
と思うことがある。
何かを考えていたという意識はあるのだが、そんな時に考えていたことを思い出したいとは思わなかった。
――どうせ、ロクなことではないんだわ――
と考えているからだ。
私は、氷室の口から出てきた「前世」という言葉だけで、ここまでの発想が頭に浮かんできた。氷室は、前世の記憶があるような気がすると言ったが、それはどんな記憶だというのだろう。
私も確かに、彼のように前世の記憶という言葉を意識すれば、
――これって前世の記憶なんじゃないかしら?
と感じることも少なからず存在しているような気がする。
しかし、存在しているからと言って、すぐに言葉にできるかと言えば、それは難しいことだった。一人の世界に入り込み、考えることができる時だけ、前世を想像することができる。
しかも、それが本当に自分の記憶なのかどうか、ハッキリとは分からない。
「記憶なんだ」
と言われれば、そんな気にもなるし、
「記憶じゃないんだ」
と言われれば、それを言い返すだけの材料が私にはなかった。
しかし、一旦、
――前世の記憶だ――
と思えば、その感情を貫いてしまう。基本的に、一旦思い込んでしまったら、自分が納得できるまで、その思いを覆すことは自分からできないのであった。
「前世の記憶があるって一体?」
と、氷室に聞いてみた。
「それは先輩も似たような気持ちを持っているように思うんですが、もちろん、いつの時であっても、覚えているというわけではないんです。何かのきっかけがあって思い出せそうな気がするのであり、しかも、一度思い出しかけたことであっても、途中で少しでも戸惑ってしまうと、それまで思い出したことすら、忘れてしまうんです。だから、思い出せそうだったという意識だけが残って、まるで夢の中で考えていたことを時間が経っておぼろげに思い出したような、そんなおかしな気分になるんです」
と、彼がいうと、
「それなら、思い出したことを意識しないようにすればいいんじゃないですか?」
と、私はわざと簡単に答えた。
「そんなに簡単なことではないと思うんです。一旦意識してしまったことは、忘れてしまったとしても、頭のどこかに残っているんですよ。それが近い将来必ず顔を出すと分かっているので、その時のために、自分なりに覚悟のようなものが必要になります。これって結構エネルギーを必要とするんですよ」
「エネルギー……。確かにそうですね。でも、それはエネルギーなんでしょうか? ストレスというマイナスのエネルギーなのかも知れませんよ」
「そうですね。確かにストレスかも知れませんけど、思い出しかけて中途半端に終わってしまう方が、私にはストレスを溜める大きな要因だって思うんです。だから、一度思い出したことは、忘れないようにするために、自分の覚悟を持っていなければいけないんですよ」
「氷室君は、それで前世の記憶をどこまで覚えているの?」
「本当に何となくなんです。記憶というのは、時間が経てば経つほど、薄れていくものなんでしょうけど、前世の記憶というのは、薄れていくことはないんです」
「どういうことですか?」
「普通の記憶は、忘れるためにあるようなものだって僕は思うんです。つまり、頭の中とは敵のような状態です。その時、毛嫌いしているのは自分の頭の方で、本人の意識は、忘れたくないと思っていても、頭の中では反対のことを考えている。でも、前世の記憶は逆なんです。自分の頭は忘れたくないと思っているんですが、記憶の方が、自分から遠ざかっていく。何しろ、記憶した相手とは違う相手に記憶されているわけですから、前世の記憶からすれば、迷惑千万ですよね。だから、何とか僕は前世の記憶に、自分の意識を少しでも近づけようと考えているんです」
「それって、普通の記憶は、意識の方が記憶を遠ざけているんだけど、前世の場合は、記憶の方が、意識を遠ざけていると考えているわけですね」
「ええ、その通りです。だから、同じ記憶だと言っても、種類はまったく違う。でも、前世の記憶は意識を遠ざけようとする中で、その方法を、前世の記憶を普通の記憶にまぎれさせることで、隠そうとしているんですよ。つまりは、隠すわけではなく、紛れ込ませるという考えですね」
「木を隠すには森の中ということわざですね」
「ええ、その通りです」
「あなたはそこまで分かっているのであれば、前世の記憶にたどり着けることもできるんじゃないですか?」
「僕はそう思っています。でも、なかなか難しいところなんですよね。ひょっとすると、前世の記憶にたどり着くことは、自分の運命を決定付けることになるかも知れない」
と、彼は言ったが、
「どういうことですか?」
私は、何となく胸騒ぎを覚え、背中に汗が滲んだような気がした。顔が紅潮し、ハッキリと何かを感じたような気がしたが、身体の中に一瞬流れた電流にショックを覚え、彼が次に言う言葉を予想することができた。
「僕がもし、前世の記憶にたどり着くことができれば、僕の現世での人生は終わってしまうような気がするんだ」
――やっぱり――
私の想像したとおりだった。
「私も今、あなたがそう言うだろうという想像はつきました。でも、それってあなただけのことなんでしょうか?」
というと、彼はニヤッと笑ったかと思うとすぐに真顔に戻り、
「まさしくその通りです。僕はこの考えは誰にでも言えることであり、例外のないことだって思っているんですよ」
「つまりは、人が寿命であれ、事故や病気であれ、この世から魂が消えてしまうことになるその寸前に、誰もが前世の記憶を意識の中に取り込もうとして、最初で最後の取り込みが成功すると考えているんですね?」
「ええ、そうです。もちろん、突飛な発想であることは分かるんですが、こちらの方が、前世という世界を肯定する上で、一番しっくりくる考えではないかと思うんです。思い出すことでまた来世への道筋ができる。そうやって輪廻を繰り返していくことになるんじゃないでしょうか?」