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短編集14(過去作品)

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 秀樹は今までとは違っていた。自分に自信を持った秀樹は、去る者を追わなくても、次から次に新しい出会いが待っていることを知っている。また、そんな自分から、よもや泰代が去って行こうなど、考えられなかった。去っていく者を追いかけるほど自分が浅ましい人間ではないと思うあまり、焦りがなくなり余裕だけが残ったのかも知れない。
――だが、本当にそうなのだろうか?
 泰代に対しての思いは今までに付き合った人とはまるで違う。秀樹自身が変わったということもあるかも知れないが、確かに泰代には今まで付き合ってきた女性にはない何かがある。
 神秘的な面を感じるのだが、それはきっと秀樹に対しても見せていない泰代自身の本質に迫る部分かも知れない。秀樹も泰代に対してすべてをさらけ出しているつもりになっているが、他人から見てベールのかかった部分があるに違いない。自分ですら、やっと最近もう一人の自分が身体のなかに同居しているのに気づいたばかりではないか。
 そういえば、前に付き合っていた女性が言っていた言葉を思い出した。
 元々秀樹の優しさに触れて付き合うようになった女性だったのだが、別れ際の捨てセリフのつもりだったのか、
「優しい人って誰にでも優しいのよね」
 別に喧嘩別れをしたわけではなかった。お互いに嫌いになって別れたわけでもなかったと思う。そんな中、覚えているのはこのセリフだけなのだが、最初は意味が分からなかった。客観的に見ることのできる自分の存在に気づいてからは、それが彼女の嫉妬であったことを理解したのだ。
 自分の長所であると思い、そこを好きになってくれたはずなのに、まさか致命傷になるなど想像もしていなかった。
 今から考えれば分かるような気がする。自分に自信が確立されていない時の優しさはきっと薄っぺらいものに見えるのではないだろうか? 相手が薄っぺらい優しさの向こう側にある自信のなさに気づいた時、それが自分にだけ向けられているものかどうか疑問をもったのだろう。それが、
「優しい人って誰にでも優しい」
 という言葉になったに違いない。
 しかも彼女の真意を分からなかった秀樹には、優しさがモットーだと思っていただけに、自分を喪失してしまうほどのショックだった。自信がないだけに、落ちる時には加速がついてしまって、誰にも止められず、自分の世界の底辺で漂うことになってしまった。
 きっとそれが鬱状態の入り口だったのだろう。
 秀樹は泰代を抱いているような感触に包まれていた。きっと満たされたいという思いがあるからであろうが、それが夢の中であることは自覚していた。夢というのは潜在意識が見せるものだという意識があるから見たのだろうが、実際に見ているのは、泰代が誰かに抱かれている夢だった。
 それが秀樹自身であることは間違いない。自分の意識の中にある仕草、雰囲気、背格好は間違いなく秀樹なのだ。だが、どうしても信じられない自分がいるのも事実で、
――夢とはいえ、私が泰代を抱くなんて――
 と思っている。
 泰代が秀樹の後ろにいる誰かを見ているのを、焦点の合わない視線が虚空を見つめているのを見た時に感じてたものだ。泰代が秀樹以外の誰かを見ているとして、それが誰なのか想像もつかない。
 そんなことを考えながら横で寝ている泰代の顔を見ていると、秀樹は次第に眠くなくなってくるのを感じていた。気持ちよさそうな泰代の寝顔が少し苦痛に変わりつつある。それはまるで夢から現実に引き戻される時に感じる苦しさのようで、現実世界が泰代にとって苦痛を感じさせるものであることを暗示させるかのようであった。
 自分の気持ちと裏腹に、身体が反応しているのが分かる。しかし気持ちとしては、
――人のそばに寄りたくない、近づきたくない――
 という心境である。それはまさしく鬱状態であり、快感すら煩わしいものになるはずであった。
 以前によく足がつったりしたことがあったが、そんな時、誰にも触れられたくない一心から、我慢をしていたのを思い出す。そっとしておいてほしいという気持ち、それは鬱状態も同じであった。
 夢から次第に覚めてくるのを秀樹は感じていた。自分が夢を見ているのだということを自覚した時から、夢が覚めかけていることを認識していたのかも知れない。
夢とは目が覚める寸前に見るものだということを、常々口にしている秀樹だからこそ、感じることなのだろう。
ゆっくりとだが、頭痛がすることから夢が覚めつつあることが分かったのだ。眠りの浅い時に頭痛がするのだと聞いたことがあるが、夢を見るのは眠りが深いからだと認識している。そこに何かアンバランスなものを感じていた。
――本当に夢から覚めていってるのだろうか?
 そんな思いがよぎってくる。覚めているつもりの夢がまた違う世界の夢へとつながっているのではないかという思いは今が初めてではない。
 あれはいつだっただろうか? 最近だったような気がする。
――そうだ、あれは自分の中にもう一人の自分を感じた時だった――
 なぜそこまでハッキリと分かるのか、自分でも不思議だった。秀樹にとってのもう一人の自分とは、本当にずっと以前から秀樹の中にいたのだろうか?
 その疑問を解いてくれるのが、今日の夢のような気がする。ひょっとして覚めることのない夢ではないかという恐怖心を感じながら、もう一人の自分に対しての好奇心を持ち続けている。
 泰代の態度が急に変わったことがあった。まるで二重人格ではないかと思えるほどの変わりように驚かされた。その時は自分の中にもう一人の自分を感じ始めた時だったので、それほどの驚きはなかったように思える。
 時々泰代は秀樹を諭すような話し方になる時がある。それは戒めているのではなく、包み込むような暖かさを含んだ目を向けている。そんな目で見つめられた秀樹は身体から力が抜け、ひたすら泰代の目を見ている。いつもは秀樹の言うことにすべて賛成する従順な泰代だったが、その時だけは、まるで涙目になったようになって何かを訴えていた。
 暖かさを感じる時もあった。諭されているのに感じる暖かさは、それが決して戒めでないことを示していた。心地よさを感じながらの秀樹は、自分が泰代に従順になっていくのを感じている。その時の秀樹はもう一人の自分になっているのである。なぜなら、暖かさに包まれて気がつけば眠っているような気持ちになるのだ。そのために後から思い出そうとすると覚えておらず、どれだけの時間が経っていたとしても、眠っていたのがあっという間だったような気がしてくる。
 もう一人の自分が満足しているように感じる。目覚めが心地よく、実に爽やかなものだからだ。目の前にいる泰代の瞳を覗き込むと、そこにはくっきりと秀樹の顔が写し出されている。
――実にすがすがしい表情をしている――
 思わず瞳に写った姿に、笑みを零している自分に気付く。
――これから泰代とはどんな関係になっていくのだろうか?
作品名:短編集14(過去作品) 作家名:森本晃次