短編集14(過去作品)
元々いつも考え事をしている私は、その時間が充実したものになることから、考え事が好きだった。しかも時間は感じさせることもなく過ぎて行く、その場で結論は出なくとも心の中に少なからずの何かが残る気がするからだった。
いろいろ考えている時の私の頭は、自分でもすごいと思うことがある。結構論理立てたことを考えているようで、小学生の頃に算数が好きだったこともあって、論理的な思考が焼きついているのかも知れない。数式のように決まった規則で並んでいるものは、それなりに必ず法則性があるものである。その法則を見つけ出すのが好きだったのだ。
その傾向はそれ以後も続いていて、まるで自分の頭が体から切り離されているような気になっていた。しかも前を見ているはずであっても、客観的に見ているせいか、頭に残らない。
それはずっと感じていた。どこかに向って歩いている時でも、目的地への道のりを自分の歩いている方向から見ている時と、気が着けば、目的地から現在いる自分の場所に向ってまるで綱を伸ばしていくように見えている時もある。
それが同時進行のような感じを受ける時もあり、それゆえに、自分の視線が時々分からなくなる。いつも歩いているはずの道なのに、なぜか知らない道に迷い込んでしまったような感じがしてきて、ひどい時には袋小路に入ったような気になる。そして、そこから抜けられないのではという恐怖に繋がったことも一度や二度ではなかった。
神経質だといわれるゆえんは、そのあたりにあるのかも知れない。それまでは人から、
「お前は神経質だからな」
といわれてもピンと来ず、まるで他人事のような顔をしていたが、今言われるときっと露骨に嫌な顔をするか、苦虫を噛み潰したような顔になるであろう。
それほどいやなのだろうか?
自分でも不思議である。神経質といわれて、以前であれば却って喜んでいたかも知れない。何しろ物忘れが激しいタイプで、小学生の頃はよく宿題を忘れたりしていた。それもわざとではなく、宿題が出たことから忘れているのである。
最近はその原因が何となく分かってきたような気がしてきた。
――理論で理解しないとダメな性格なんだ――
自己分析でそこまでできるようになった。いつもいろいろ考えていることの裏づけがそこにある。
たとえば、よく友達から旅行の話を聞かされることがあったが、私の行ったことのないところを説明してくれる。必死になって聞こうとしてもどうしても思い浮かばない。行ったことがないのだから無理はないことなのだ。
しかし情景は浮かんでくる。それはあくまで平面的で、立体感のあるものではない。きっと影は映っていないだろう。
やはり平面でしか、ものを見れないとまったくの別世界である。写真や絵とは違うのだろうが、色も漠然としていて、却って写真の方が鮮やかだ。
――私の想像力って所詮それだけのものなんだ――
と考えると、本当に見たものでないと信じられなくなった。どうしても想像の域をでるものではなく、想像してもそれ以上はないからだ。
それがきっと理論で納得しないことへの抵抗感なのかも知れない。
想像力と理論で成り立つもの、まるで平行線である。どこまで行っても、じっと見つめていて交わるように見えたとしても、決して交わることのない線、結局それぞれが直線なのである。
どちらかが強くなれば、どちらかが引っ込む、完全な直線ではないように感じるが、感覚的なものなので、私には直線にしか思えない。実に不思議な感覚だ。
平面と立体、これも決して交わることのないものなのだろうか?
一見、交わっているように見えて実は違う。確かに平面が重なってできているのが立体なのだが、その間に何かがありそうな気がして仕方がない。その何かが分かれば、ひょっとしたら平行線が交わるかも知れない。それを捜し求めているような気がして仕方がないのは、私が理論立ててものを考える性格だからだろう。
女を抱くということに対して、私は時々自分が分からなくなる時がある。お互いに昂ぶってくる気持ち、抑えられなくなって言葉も自然に口説きモードになってくる。それが自然な空気に変わった時、お互いに求め合うのだろう。それが自然に変わらないとずっと平行線。そんなことは今まで希だったから、平行線ということに関して違和感があるのかも知れない。
平行線……、実に都合のいい表現に感じる。
彩音に対しての私はどうだったのだろう。
彩音に対して抱いた感情、最初は心も身体もであった。心が最初だったのか、身体が最初だったのか、覚えていない。しかし、それが次第に身体の方が大きなものになってきた。気持ちが萎えてきたのか、最初から幻だったのか分からないが、時間が経つにつれて、感覚が麻痺していった。そんな頃にふっと我に返ったのである。
彩音のどこに惚れたのだろう?
私が彩音に対して少し冷めてきた頃に感じたことだった。確かに従順で、私の言うことに逆らうことのない女性、それが彩音だったのだが、別に物足りないわけではない。男として彩音のような女性を愛することができるのは、それこそ男冥利に尽きるというものだった。
彩音の行動パターンは熟知していて、私の想像したとおりの行動、言動、そしてベッドの中での仕草まで、私には見切ることができた。そんな女の存在を男というのは最高に感じるのではないだろうか。
彩音からよく手紙を貰った。最近でこそワープロやパソコンの普及で、手書きの手紙などにお目にかかることはないが、彩音は手書きだった。しかも丁寧できれいに整った字が彩音の性格をあらわしているようで、嬉しかったのだ。文章としてはセンテンスが短く、その中に思いを込めている。昔の人が和歌に込めた愛情、短い文章だからこそ、そこに感情が凝縮している。彩音はそういう古風なところのある女性だと感じていたのだ。
それに、間違いはなかった。確かに古風なところがあった。簡単に男が近寄りがたい雰囲気をいつも醸し出していて、私に安心感を与えてくれている。それも彩音の魅力に違いない。相手が私か私以外の人かで、完全に声のトーンが違っていた。彩音は声で明らかに相手に伝える何かを持っている。もし彩音が私といる時に出すような声の持ち主でなかったら、ここまで彩音に深入りしていなかったかも知れない。いくら妻に感情がなくなりつつあるとはいえ、別の女に深入りしてはいけないことくらい分かっていたつもりだった。
――いったいどうしてしまったんだろう――
何度自問自答したことだろう。そのたびに返ってくるはずのない答えを期待してしまった自分がおかしくなっている。それが身体だけでないことは分かっているからだ。
――身体だけであれば、ここまで深入りするものか――
これも私の性格である。
身体だけの関係だけを望んでいないことを知っているのは、かくいう自分の身体なのかも知れない。
――気持ちが伴ってこそ――
抱いたあとの気だるい倦怠感の中でおぼろげに感じている。私を見つめる潤んだ彩音のまなざし、それが私の求めているものなのだ。
作品名:短編集14(過去作品) 作家名:森本晃次