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短編集14(過去作品)

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 だが、気が強い良子が涙を流したのを見たことがあった。純粋だが気が強く、涙など見せたことのない良子を頼もしく思っていた。今から思えばたいしたことではなかったように感じたのだが、さすがに涙を見た時はビックリしてしまった。
「僕にだけ見せる涙なのかい?」
「ええ、そうよ。他の人の前で涙など見せないわ」
 咳き込みながら話していた。何か私にじれったさを感じたのだろうか、私が良子に対して結婚の二文字を考えたのはその時だった。
 結婚生活は私にとって夢のようなひと時を与えてくれた。二人のマンションでの新居、真新しい家具に囲まれ、今まで知らなかった部屋での毎日、それは良子にとっても同じだったかも知れない。毎日、ずっと一緒にいられることの喜びを感じると、どうして結婚を最初から考えなかったのか不思議に思うのだった。
 しかし、それにもやはり理由のようなものがあったのかも知れない。少し離れているから見えた部分、そんなものもあったのだろう。例えば富士山を見る時も、遠くから見ているから雪が綺麗に見えたりするのであって、実際に目の前で見ると見えないものである。それに気がついたのもしばらくしてからだった。
 幸せなときにこそ不安に思うことがある。
――好事魔多し――
 ということわざがあるが、まさしくその通りで、何もなくとも、ついつい余計なことを考えてしまう。会話もぎこちなくなり、途切れてしまうこともあった。それはお互いに感じていたことで、きっと二人とも性格が似すぎていたのかも知れない。
 子供がいないことがいいことなのか悪いことなのか、私には分からなかった。子供がいたらいたで大変だという話を聞く。女性は神経質になり、さらにはヒステリーを起こしかねない。ハッキリ言ってヒステリーを起こしている良子など今まで想像したこともなく、気持ちの中に持っている余裕がハッキリと見えていたから良子は美しく見えた。少しツンとしたところのある美人ではあるが、ニコヤカな顔も最高である。特に表ではポーカーフェイスである良子の笑顔を知っているのは、私だけだという自負が働いていたことも事実である。
 綺麗好きの良子が次第に億劫になってくる。確かに私は綺麗好きではない。一つに理由として散らかっていてもあまり気にならないのだ。綺麗に越したことはないといつも思っているのだが、少々散らかっている方が却って落ち着くと思うのは、学生時代から一人暮らしをしていて、社会人になってからも一人暮らしが長いこともあるだろう。
「男やもめに何とやら……」
 思わずビロウなことわざを口ずさんでいた。
 とはいえそこまでひどくはなくとも、少し感覚が麻痺していることは事実で、そんな私の気持ちを分かっていないのか、最近は露骨に私の前で掃除機を使いはじめた。
 休みの日に部屋で休んでいると響いてくる掃除機の音、心なしか操作が乱暴に聞こえる。私に対してのあてつけではないだろうかと思えるほどで、落ち着けるはずもない。いつも
――早く終わってくれないかな――
 と思いつつじっと我慢しているのも辛いものだ。それもいやがっている様子を見せないようにである。あまり感情を表に出すと、すぐに私の気持ちに気付いてしまう良子のことだから、余計に神経質になるかも知れない。
 とにかく黙って時が過ぎるのを待つしかないのだ。
 それにしてもこんなことを続けていると精神的にもよくないのは分かっている。それからだった、休みの日には散歩に出かけることが多くなったのだ。朝起きて朝食を表で食べる。これが日課になってしまった。
 元々は会社の帰りにいつも見えている綺麗な照明で照らされている喫茶店が気になっていたことから始まったことだった。
――一度寄ってみたいな――
 それが最初のきっかけ。それまでは気になってはいても行くことはないだろうと思っていた。休みの日は良子と過ごすのは当たり前だと思っていて、休みになるのを楽しみにしている自分がいたのだ。きっと原因は掃除機の音だけではないのだろうが、とにかく休日家にいるのが億劫になっていった。
――休日はゆっくりするものだ――
 という考えだったのが、
――休日にしたいことをする――
 という考えに変わったのは、きっと喫茶店が気になり始めてからだ。
 元々私は絵を描くのが好きで、学生時代も美術部に所属していた。もちろん美術鑑賞も好きで、独身の時など休日は、よく美術館に顔を出していたものだ。
 最初に喫茶店を見た時、
――綺麗で芸術的なところだ――
 と感じていた。
 白い壁が帰宅途中のすっかり夜の帳の降りた風景の中に浮かび上がっている。まるでアメリカのカントリーを思わせるその佇まいに、駐車場からライトアップされた建物が浮かび上がって見える。それが最大の魅力だったのだ。
「あなた、こんなに早くどこに行くの?」
 と言われるのを覚悟で、ある朝思い切って出かけてみた。前の日から緊張していて、あまり眠れなかったかも知れない。こんな些細なことで緊張するなど、考えてみればおかしくて今にも笑い出しそうだった。
 ゆっくりと扉を開く。そこは私の想像したとおりの場所だった。きっとその時から私は夢の世界に入っていってしまったのだろう……。

「ねぇ、奥さんは何て言ってるの?」
 ベッドから女の声が響く。
 ベッドのそばにあるソファーには無残にも脱ぎ散らかされた服や下着が無造作に置かれていた。高ぶっていた気持ちがそうさせたのか、ハッキリとした意識がない。
「別にどうのはないんだけど、まあいつもどおりだ」
 さっきまでの興奮はどこへやら、喋るのもきついくらいに放心状態だ。身体がまだ火照っていて、ついさっき放たれた分身たちの余韻が体の奥に残っているのを感じていた。
 この感覚は嫌いではない。シーツのカサカサした部分がこすれて身体の一部がまだ反応してしまうのではないかと思えるような、そんなむず痒い感覚である。
 こんな時、男は恰好をつけてみたくなる。テレビドラマなどでは、女の頭に腕枕をしながらくわえタバコをしてみせたりするのが恰好いいのだろうが、私はタバコを吸う習慣がない。
 裸のまま腰にバスタオルを巻き、ソファーに座っている。女だけそのままベッドの中に残したまま、ゆっくりとベッドの方を見ている。
 さっきまでの快楽の余韻を残したままのこの時間が永遠に続いてほしいと思っているのは男のわがままなのだろうか? 本当なら冷めるのが早いはずの男としては反対に女にそのことを望むのだろう。
 私がすぐにベッドから立ち上がりソファーへと移動するのは、そういう気持ちがあるからだ。快楽の後に訪れる倦怠感が私は強すぎるのだ。
――きっと敏感すぎるのかも知れない――
 シーツのすれる感触がつらいくらいになってしまっている。ちょっとの刺激だけでも足の指先に痙攣が走るほどの感覚に、大袈裟ではあるが少し後悔を感じる。いったい何に後悔を感じるのか分からない。妻の顔が脳裏に浮かぶわけではない。どちらかというと今まで付き合ってきた女性の顔が浮かぶことがあるくらいだ。しかもそれが一人というわけではないことからも、自分の抱いている後悔というものがあまりにも漠然としていることを示している。
作品名:短編集14(過去作品) 作家名:森本晃次