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始まりの終わり

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 さすがに数十年も経っているので、どんな顔をしていたのかなど、まったく覚えていない。かすかに、のっぺらぼうに影が差したような彼女を想像することはできるが、なぜか不気味には感じない。顔は見えないまでも、表情を想像することはできるような気がしているからだった。
 顔を覚えていないことが、却って同棲していた女性を彷彿させたのかも知れない。なまじ記憶があると、少し似ていた程度では、彷彿させるまでの感情には至らなかったに違いない。洋一にとってかつて付き合っていた女性を思い出すということは、少なくともその時、誰か女性を好きになりかかっているという証拠であった。
 その時に相手がいなくてもよかった。出会いを感じさせる予感があるだけでもいいのである。そう思うことでそれまでの自分と違った明るい妄想を抱くことができるのだし、本当の出会いが待っているのかも知れない。
 若い頃であれば、過度な妄想は禁物だと思っていたが、五十歳を過ぎての妄想は、それが叶えられるかどうかは別にして、妄想を抱くことで気分的にポジティブになれるかどうかが一番の問題なのだ。
 若い頃というのは、猪突猛進だと言われるが、洋一の若い頃もそうだった。だが、それも妄想が伴って、初めて猪突猛進になれるのであって、あの頃は、
「妄想を現実にすること」
 それが、一番ポジティブな考えだと思っていたのだ。
 三十代も後半を過ぎてからの洋一は、
――毎日が同じことの繰り返しだ――
 としか思えなくなっていた。
 それでも、四十代前半くらいまでは、毎朝起きると、その日に何かハプニングのようなことが起きてくれないかと思ってワクワクしたこともあったが、さすがにそれもなくなってくると、朝の目覚めも億劫になってきた。要するに、朝の目覚めがマンネリ化してきたのである。
 満員電車に揺られての通勤電車。元々嫌だったが、さらに嫌になってくる。以前は、そばに女性がいてくれれば、それだけでほんのりとした気分になれたものだったが、今では女性が近くにいると、却って煩わしく感じられる。
――こんなに近いのに、その距離は果てしなく遠い――
 それが距離の問題なのか、自分が勝手に創造してしまった結界のせいなのか、どちらにしても悪いのは相手ではない。自分の気持ちの持ちようが、まったく変わってしまったことが原因なのだ。
 同棲していた女性とは、今から思えば、おかしな関係だったように思う。
 元々、かわいいと思っていた女性だったが、まさか同棲をするようになるなど、想像もしていなかった。
――付き合ってみたいな――
 とは思っていたが、自分から告白するだけの勇気もなく、自分としては悶々としていたのだ。
 そんなオーラは簡単にまわりの人に悟られるもので、最初から隠そうとしていなかったのだから、見破られても別に構わなかった。
 中にはおせっかいな人がいるもので、しっかりデートの段取りまでつけてくれて、行かないわけにはいかない状態を作られてしまった。
 洋一としても、まんざらでもないと思っていたので、乗っかることにしたのだが、これが結構うまくいくもので、
――勇気がなかったというよりも、余計なことを考えすぎていたのかも知れないな――
 と感じた。
 どんなことを考えていたのかはおっぼえていないが、考えてみれば、勇気がないということも、
「突き詰めれば余計なことを考えているから、勇気がモテないだけなんだ」
 と言えるのではないだろうか。
 洋一は、まわりの気遣いのおかげで、彼女とのデートにこぎつけることができ、恋人として付き合い始めた。
 さすがに最初は結婚など考えていたわけではない。
――結婚できれば、それに越したことはない――
 という程度のことで、
――ひょっとすると、他にいい人が現れれば乗り換えるかも知れない――
 とまで思っていたほどだ。
 しかし、次第に彼女の様子が変わってきた。どうやら、親から、
「誰かお付き合いしている人がいるなら、結婚を前提にしなさい」
 と言われていたようだ。
 実は彼女は年上で、まだに十歳代だったが、彼女の母親が厳格な人のようで、二十代のうちに結婚することを望んでいた。彼女も母親の意志を忠実に守る性格のようで、本人もまだ結婚までは実感がなかったようだが、母親のプレッシャーを感じるせいか、気が付けば、洋一の部屋に転がり込んできていた。
 これが同棲のきっかけだったが、今から思えば、
「夫婦ごっこ」
 に違いなかった。
 それ以上でも、それ以下でもない。ただ一緒に住んでいるというだけで、お互いに先のことを話すことはなかった。むしろ避けていたと言ってもいいだろう。お互いに、一緒に暮らしながら、あての腹を探っていたというのが、その時の実情だったのかも知れない。
 そんな状態なので、均衡が保たれている時は問題なかったのだが、どちらかの精神状態に異変が起こると、バランスが崩れてしまう。最初にバランスを崩したのは、彼女の方だった。
 最初は些細なことから始まった。喧嘩というには些細すぎるほどのことで、他の人が見ると、
「痴話げんか」
 でしかなかっただろう。
 しかし、二人にはそれだけでは済まなかった。
 売り言葉に買い言葉、
「喧嘩というのは、こうやってひどくなっていくものだ」
 というのを、まるで絵に描いたようになっていった。
 喧嘩ばかりしていると、それまで一番の理解者だと思っていた相手が、
「今では一番一緒にいたくない相手」
 として君臨することになる。
 別に夫婦でもないのだし、一緒に住むという理由もない。むじろ、同棲自体が無理を押し通していることなのだから、喧嘩が絶えなくなった時点で、彼女が出て行ってくれれば、それでいいはずだ。それなのに、彼女は出ていこうとしない。そして洋一も追い出そうとはしなかった。
 その理由は、その時は分からなかったが、今ならハッキリと分かる。
「もし、あの時喧嘩が原因で追い出したり、いなくなられたりしたら、自分の中に残った後悔は一生消えなかったかも知れない」
 という思いに至った。
 それは年齢を重ねたから分かることであって、今まで年齢を重ねることは負の要素しかないと思っていたが、それだけではないようだ。
――今まで分からなかったことが、徐々に分かってくる――
 という思いが浮かんだが、考えてみれば、
「逆も真なり」
 なのである。
 つまり、分からなければいけなかったことは、分かることが、望む望まないに限らないということだ。知りたくもないことを分かるというのも、あまり嬉しいことではない。
――知らないなら知らないで、このまま永遠の秘密であってほしかった――
 と思えることも多々あるだろう。
 ただ、それをどれほど本人が自覚しているのか分からない。
 分かってくることはたくさんある中で、どれが望む望まないことになるのかということを、本人としてすべて理解できているか不思議だからだ。同棲していた相手とのことが分かってくることにしても、そのすべてが本当に理解できることを望んでいるのかということを知るにはどうすればいいのだろう? あまりにも昔のことなので、自分でもよく分かっていない。
作品名:始まりの終わり 作家名:森本晃次