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始まりの終わり

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 どうしてすぐに喫茶店だと思ったのか分からないが、デジャブを感じたかのようだった。
「前にも似たような喫茶店を見たことがあった」
 というのがデジャブの正体だが、思い出してみると、大通りに面したログハウスの喫茶店のイメージが曲がって記憶されていたことで、まったく違った佇まいであるはずの白壁を、
「あれは喫茶店」
 だという風に感じたのであろう。
 イメージを曲げて記憶していたということに、何かの理由があるのだろうか?
 馴染みの店を持てば、毎日のように通ってくるくらいだった洋一なのに、すぐに馴染みではなくなり、どうしてその店に行かなくなったのかということを覚えていない時点で、事実も意識も曲がって記憶されたと考えても仕方のないことではないだろうか。
 洋一は、若い頃、馴染みの喫茶店を持ちたくて、たくさんの喫茶店に通ったものだった。しかし、なかなか馴染みになれないのは、他の常連の人たちと馴染めなかったり、馴染もうという思いが強すぎて、まわりの視線を意識しすぎて、自分の殻に閉じこもってしまったりしたのが原因だったということは分かっている。
 だが、他にもあったような気がするのだ。
 そのことを意識がしているが、自分でどうしてなのか、理解できていない。都合が悪いから忘れてしまったわけではなく、自分の中で理解できていないからだった。
「他の人なら、簡単に理解できたんだろうな」
 この思いは結構強く持っている。自分をあまり他の人と比較することは年とともになくなってきたが、学生時代までは、結構他人と比較してみていた。
 本当は人と比較することなど好きではないくせに、どうしてそんな気分になったのか、今でも不思議に思っていた。
 白壁の喫茶店の扉を開いて中に入ってみると、想像していた光景とは違い、かなり質素な造りになっていた。白壁が太陽の光を反射させる効果があることで、目が白い色に慣れてしまっていて、明るさに感覚がマヒしているようだった。店の中に入ると、暗闇に迷い込んでしまったかのようで、一瞬不安に感じたが、慣れてくると、却って質素な雰囲気に安心感を覚えている自分がいた。
 店に入った瞬間、暗闇に支配された空間は、すべてを飲み込んでしまっているようで、音も耳に入ってこなかったような気がしたが、目が慣れてくると、BGMにクラシックが流れているのに気が付いた。
 質素な雰囲気は、耳に入ってくるクラシックのメロディのおかげで、最初に感じた明るさとのギャップを感じさせないものになっていた。
 それでも、店の中の全貌が分かってくるようになるまでに少し時間が掛かった。その間に、洋一はいろいろ考えていた。いくら質素だからといって、それだけで安心感を与えられるわけもなく、
――やはり、どこかで見たことのあるような光景なんだろうか?
 と感じていた。
 確かに、この雰囲気は以前にも感じたことがあるような気がしていたが、どこか違和感があった。違和感の正体を感じるまでに、さらに少し時間が掛かったが、それは自分が必要以上に汗を掻いていることに気づいたからだ。
 感じている汗は、冷や汗のようなものではなく、気持ち悪いものでもない。子供の頃にはよく感じたことのある汗だったが、
――汗を掻いていることに気づいたからこそ、この質素な光景を見て、安心感を与えられるんだ――
 と、感じた。
 汗を掻いているということは、夏の暑さに汗を掻いていると思うのが一番自然だった。夏に掻く汗は、気持ち悪くないと言えばウソになるが、暑さを紛らわせるために汗を掻かなければ、さらに気持ち悪くなるのを分かっていた。
 汗が身体に絡みついていることで、一度耐えた暑さを、汗が今度は緩和してくれる。汗が乾いていくにしたがって、風が心地よく感じられるようになり、汗を掻くということが大切であるということを、身を持って感じさせられた子供の頃だった。
 クラシックというのも、部屋の雰囲気にマッチしていた。
 目が慣れてきて見えてきた店内は、表の白壁からは思ってもいなかった木目調の壁でできた風景が広がっていた。レトロな雰囲気にクラシックは実によく合う。学生時代に大学の近くに乱立していた喫茶店の中にはレトロな雰囲気を醸し出している店も少なくはなく、クラシックが奏でられている雰囲気も似合っていた。
 そんな中でこの店のような木目調のログハウスのような雰囲気の店もあった。以前馴染みにしていたと思っていた店もログハウスのような店内だった。そういう意味では、洋一とログハウスのような造りは、引き合うものがあるのかも知れない。
 だが、洋一が学生時代に一番気に入っていた喫茶店は、赤れんがで造られた店だった。店内にはクラシックが流れていたのは同じだが、明らかにログハウスの雰囲気とは違っている。
 ログハウスが落ち着きを感じさせるものであるなら、赤れんがは、西洋における中世を思い起こさせる雰囲気があった。学生時代に通っていたその店の奥には、今では見ることのできないマントルピースがあったことだった。
 暖炉装飾と言えばいいのか、赤レンガ造りに綺麗にマッチしていた。一番最初に見て感じたのは、
――サンタクロースがやってくる時の煙突――
 のイメージだった。
 ということは、赤れんがのイメージは自然と季節は冬になる。連想されるものはマントルピースになり、その横に赤い衣装のサンタクロースが立っていれば、完璧な赤れんがへの想像だった。
 それとは逆にログハウスの雰囲気は、暑さの中の避暑的なイメージだった。
 身体に纏わりついた汗に、流れていく風が当たると、心地よさを感じさせる。そんな雰囲気がログハウスにはあり、表の光景も目に浮かんでくるような気持ちだった。
 赤れんがであれば、雪景色を想像してしまうが、ログハウスであれば、まわりは緑一色の高原が目に浮かんでくる。表に出ると、どちらが明るいかということは明らかで、真っ白い雪の反射は、目の錯覚を誘うほどに違いない。
 白壁の外装に、内部がログハウスという一見、アンバランスな雰囲気に見えるが、洋一の頭の中で一つに組み立てられるような佇まいに洋一は、
――他人事のように思えない――
 という思いを抱かせるに至ったのだ。
 今までの人生の半分は、他人事だと思うことで形づけられていたような思いがある中で、目の当たりにしている光景から、他人事だと思えないものを感じることができたのは、
――今、自分が何かの転換点に来ているのかも知れない――
 と感じさせた。
 しかし、年齢的にはもう五十歳を過ぎている。何かがあるには少し年を取りすぎてはいないか?
 もし、人生の中で味わうものが誰にも平等に用意されているのだとすれば、今まで変化を感じることもない人生だった今から考えれば、何かが変わっていくのだと言い聞かせれば説得力はある。
 クラシックにも聞き覚えがあった。
――これは、チャイコフスキーだ――
 洋一の好きな「くるみ割り人形」だった。
 組曲になっていて、それぞれのパートはいろいろなところで掛かっているので、実際に曲を知らない人は、同じ曲だとは思わないだろう。
作品名:始まりの終わり 作家名:森本晃次