始まりの終わり
「相手は分かっていたので、お母さん、その人のところに乗り込んでいったんだ。でも、そこで何をしたいとかいうわけではなく、足が勝手に向いていたというべきかしら」
一度思い立ってしまうと、引き返せなくなるということは往々にしてあるものだ。洋一の場合は、それが今までに何度あったことだろう。そのたびに、
「またやってしまった」
という後悔の念に駆られるのだった。
後悔するような同じことを何度も繰り返すのは、あまりいい傾向ではないのだろうが、もし、違う行動を取っても、違う意味で後悔することになるのであれば、同じ行動で後悔した方がいいと思うのも一つの考えだと言えよう。
母親は続けた。
「その時、まだ彼女は妊婦さんだったんだけど、その姿を見て、『どうしてこんな人にうちの人が』って思って、腹が立ったの」
「そんなに女性として魅力がなかったということ?」
「そういうわけではなく、ものすごく不安そうな表情で、その表情が私にはわざとらしく思えたの。特に眉毛を八の字にして、困惑している顔を見ると、じわじわと怒りが込み上げてくるのを感じたわ」
完全な逆恨みだった。
浮気というのは、どちらが悪いのかというのは難しいところだ。ましてや、二人並んで相対しているわけではないので、浮気をされた妻としては、相手の女に対して、無条件で怒りを覚えるに違いない。
しかも、洋一は母の話を聞いて、
――俺もお母さんと同じ立場なら、きっと怒りを覚えたに違いない。しかも、最高潮の怒りだったかも知れない――
と感じた。
相手の女がどんな顔をしていたのかは知らないが、表情の描写を聞いて、想像を膨らませると、どんな顔をしていたとしても、その表情からは怒りしか生まれないと思ったからだ。
――生理的に受け付けない表情――
というのはあるもので、その時の浮気相手の表情は、まさしくその通りだったに違いない。
ましてや、寝取られた奥さんという立場に自分を陥れた張本人である相手の表情だというだけで、制裁に値すると思ったとしても、それは無理もないことだろう。
「お母さん、そんなつもりはなかったんだけど、気が付けば、その女の人を突き飛ばしていて、目の前でお腹を押さえて苦しんでいたの。我に返ってからも、すぐには救急車を呼ぼうとは思わなかった。苦しんでいる相手を見下げながら、無表情だったと思うの。それから少しして救急車を呼んで病院に搬送されたけど、その時には、お腹の中の赤ちゃんは生まれてくることはなかったわ」
「お母さんは、それを後悔しているの?」
「そうね、生まれてくるはずだった子供に罪はないと思うと、可哀そうなことをしたと思うわ。でもね、もしその子が生まれてきたとして、不倫の子供なのよ。父親が認知するかどうかは別にして、将来に対して生まれながらにハンデを背負って生まれてくるの。そういう意味では、生まれなかった方がよかったのかも知れないって、私はずっと自分に言い聞かせてきた」
母親のいうことは、やってしまったことへの正当性を自分に都合よく唱えているだけである。しかし、冷静に考えると、母の言っていることにも一理ある。
「生まれてこなくて正解だった」
と言える子供もいるのかも知れないと思うと、何とも苦々しい思いがあったが、宿命という運命からは逃れることはできない。ただ、洋一としては生まれてきてほしかった気がする。もし、生まれてきてくれていれば、洋一自身の人生も変わっていた気がするからだ。何の根拠もない考えだが、少なくともたと思える人生をここまでは歩んでこれたような気がしていた。
ただ、母親は罪の意識はあるかも知れないが、突き飛ばしただけで流産したのだとすれば、犯罪ではないだろう。もし犯罪になっていれば、その時にすべてが露呈していたはずだ。それを今まで隠していたというのは、母親のどういう意識が働いてのことだったのかということが重要に思えた。
――母親の立場だったら、自分ならどうだろう?
洋一は考えてみた。
何も言わなかったことで、この事実を自分一人の胸に抱いて、墓場まで持っていこうと思ったのだろう。しかし、罪の意識を持っていたのだとすればそれは、
「時効のない犯罪」
であり、ずっと自虐の念に囚われ続けることになるはずだ。
実際に、母親は洋一の高校時代、洋一から虐待行為を受けていた。最初こそ抵抗の意志はあったのだろうが、次第に悦びに変わっていったのだが、そのあたりから、洋一はどこか変だと気付いていたはずなのに、それを意識しないようにしていた。
それは、まるで母親の罪を知っていて、容認しているようであった。そして、母親の罪を容認するということは、母親と同じ十字架を背負っているということにもなる。
高校時代に、洋一はまさかそこまで考えていたわけではなかったはずだ。単純に母親を見ていて、苛めたくなった。そして苛めているうちにさらにイライラが募ってきて、自分を止めることができなくなった。
そのこと自体が洋一にとって、誰にも言うことのできない自分だけの秘密だったに違いない。
洋一が、博物館で見た絵の赤ん坊がのっぺらぼうだったのも、母親の話を聞いて何となく分かったような気がした。
だが、ここでもう一つの疑問が洋一の中に沸いてきた。
――どうしてお母さんは、死の間際になって、告白しようと思ったのだろう?
最初から、このことは墓場まで持っていくつもりではなかったのか。今になって告白しても、それが懺悔になるわけでもない。それとも、死を真剣に意識してしまうと、この世に憂いを残したまま死んでいくことに疑問を感じるようになったのだろうか?
確かによくテレビなどでは、死の間際に、それまでの自分の罪を、誰にも言っていなかったことを告白するというシーンを見たことがあった。しかし、それはあくまでドラマでのこと、現実には違うと思っていた。
――ドラマになるくらいなので、事実として、死を目の前にした人が懺悔の意味からか、罪の告白をする人がたくさんいたということなのだろう――
と形式的には考えられるが、洋一の中では納得がいかない。
もし、死を目の前にした人が告白をするのが少なからずであるとしたとしても、それは懺悔などからではないとしか思えなかった。
――では一体何で?
その答えは、自分が死を間際にしないと分からない。
人間誰しも、人には言えない秘密を抱えているもの。それが、罪に値するものであるかどうかは、その人にしか分からない。告白することで、罪に問われるようなこともあるかも知れないが、それでも、死を間際にすれば告白してしまうのであろうか。
洋一がスナックで見たのっぺらぼうの自分に似た人。ひょっとすると、その人は他の誰も知らない自分の秘密を知っている唯一の人なのかも知れない。
ということは、誰も口にしないだけで、洋一だけではなく、誰もが一度は自分に似たのっぺらぼうを見たことがあるということになる。
母親が自分の罪を告白しようと思ったのは死の間際だったが、本当は死の間際だったから告白したのではなく、自分に似たのっぺらぼうを見たことで、自分の罪を告白する気になったのかも知れない。
「じゃあ、俺も誰かに告白したのか?」