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始まりの終わり

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 その絵を不気味に感じ、赤ん坊の存在が頭の中から消えていたのは、その絵に描かれた赤ん坊の顔が描かれていなかったからなのかも知れない。
「顔のない赤ん坊を抱く女性」
 有名な画家による作品でなければ、世に出ることのないシチュエーションではないだろうか。
 その絵を見たのは、自分に妹がいるということを知ってからのことだったのだろうか?時期的には微妙だったような気がするが、知る前に見たのと、知ってから見たのとでは、かなりの精神的な違いがあったように思う。ずっと忘れていたというのだから、知ってから見たような気がする。知ってから見た方が、いろいろな角度から絵を見たような気がして、どの角度から見ても、相手に見つめられているという意識が芽生えたのも、その思いが強かったからなのかも知れない。
 洋一は、母親が父親に対して口走った、
「あなたの子供」
 という言葉と、博物館で母親に抱かれている子供の姿がダブってしまった。一度ダブって想像してしまうと、その想像はとどまるところを知らない。きっと、いろいろ想像してみたに違いない。
 その結果が、顔のない赤ん坊の絵だったのだ。
 結果的に、一度も見ることのできなかった妹の顔、永遠に見ることができなくなったことを知ったのは、母親が父親を罵っていた時から、さほど経っていない時だった。
 それを知った時の母親の表情が何とも言えない複雑なものだった。目は一点を見つめていて、それでいて、挙動が定まっていない。
 その時の母親の顔が洋一の頭の中に焼き付いてしまった。もし、その時の顔を知らなければ、洋一は母親を蹂躙しようなどと思わなかっただろう。思ったとしても、行動に移すことはない。なぜなら、その時の母親の表情は、隙だらけだったからだ。
 子供の洋一から見ても、どこをどういじくっても、好き放題にできるような気がした。その思いが洋一の中の本性を呼び起こしたのだ。
 もっとも、母親の蹂躙されたいという意識は、裏を返せば、子供にS性を遺伝させるものだったに違いない。二人の性格はまるで磁石のS極とN極が対になっているようなものだ。
――元々一つだったものが、二つに分かれたんだ――
 二つのものが一つになったり、一つのものが二つに分かれたりするのも、元は一つだったという発想から生まれたものなのかも知れない。
 そうやって、洋一は自分の行動を正当化させてきた。ただ、母親を見ている限り、悦んでいるのは間違いないようだ。だが、それは自分の行動を正当化させるものではあるが、自分を納得させるものではなかった。
 この違いに気づかない洋一は、自己嫌悪を抱くことのない自己否定へと、突き進むことになる。感覚がマヒしてしまっていることで、そのことに気づいていなかったが、気づいた時には、母親が何をしたのか、洋一にとって、
「後戻りできない出来事」
 として、記憶の奥に封印された。
 封印が解けるのは母が死ぬ時だった。母が死ぬことを、ずっと恐れて生きてきたのかも知れない。
 洋一は、母親が死ぬ直前、病院のベッドの上で信じられない話を聞いた。今から思えば信じられないという思いもあるが、あの時は、
「何を聞いても驚かない」
 という意識もあった。
「人は、死ぬ前に自分がしてきた悪行を話したくなる」
 というのを聞いたことがあったが、まさにそのことだったのかも知れない。
 三十歳になるまでには、今までに知っている人の死に立ち会ってきたこともあった。
――何べん立ち会っても、この感覚は独特だ――
 子供の頃であっても、大人になってからも、人の死に立ち会うという意識に変わりはない。立ち会うと言っても、臨終の際にそばにいるというだけではなく、死んだという知らせを聞いて通夜や告別式に参加する場合も同じだった。
――参列する人が皆同じというわけではないのに、どうして、まったく同じだという感覚になるのだろう?
 まるでデジャブのようだった。
 ただ、それは人の死というものに対してだけではなく、結婚式の時も同じだった。冠婚葬祭の儀式の時は、それだけ特別なものであり、普段とは一線を画した状況に、まったく同じ感覚を覚えているからなのだろう。遠くを見る時、遠ければ遠いほど、同じ距離に感じられる。それと同じ感覚だと言えはしないだろうか。
――母の死が近づいている――
 医者からは、
「いつお亡くなりになっても不思議のない状態です。皆さん、覚悟だけはしておいてください」
 と言われていた。
 年齢的にはまだまだ大往生というわけではないが、医者から死が近いことを宣告されると、大往生のような気がしてきた。実際にはベッドの上で、まだまだ減らず口を叩けるだけの元気さは残っているが、少しずつ近づいている死の影をリアルに感じていた洋一だった。
 そんな母親の姿を見ていると、何を言われても気にならないように思えた。
「死ぬ間際の戯言」
 として、まるで他人事のようにスルーしてもいいのだが、洋一にはそんな感覚はなかった。
 言っていることは本心なのだろうが、これから死にゆく人だと思うと、すでに死の世界を覗いてきた後での戯言に聞こえる。真剣に聞いてしまうと、自分まで死の世界を覗いてしまったかのように思え、
――自分も死が近いのではないか?
 という錯覚に襲われてしまう。
 死を間近に控えた人の話を、まともに聞いてはいけないと感じた。この思いがあるから、子供の頃も大人になってからも、通夜や告別式の雰囲気は同じ感覚に陥るのかも知れない。
「洋一」
「なんだい?」
 母親が、自分の名前だけを呼んで、相手の返事を待つなど、今までになかったことだった。よほど大切なことを言いたいのは分かったが、
――本当は聞きたくない――
 と感じていた。
 それでも、この状態で逃げるわけにはいかない。覚悟を決めるというべきか、表向きには平静を装っているが、実際には正座をして聞くくらいのかしこまった気持ちになっていた。
「お母さん、いよいよのようだね」
 黙っていると、
「自分の身体のことは自分がよく分かる」
 テレビドラマで死を間近にした人がいうセリフをベタで聞いた気がした。しかし、普段からそんなベタなセリフが一番似合わないはずの母親の口から聞けた、最初で最後のベタなセリフは、それなりに説得力があった。洋一は黙っていたというよりも、返す言葉がなかったのである。
「昔、お父さんが浮気をして、浮気相手に子供ができたことがあったんだよ」
 博物館の絵を見た時と、この話を聞いたのはどちらが先だったのか、今となっては思い出せない。ただ、この話を聞いて、さほど驚かかなかったことだけは覚えている。まるで最初から分かっていたような気がしたからだ。
 返す言葉がなく黙っているのを、母はどう感じただろう。驚きに言葉も出ないとでも思ったのだろうか。
 構わず母は続けた。
「お母さんは、その時、なるべく平静を装うつもりでいたんだ。取り乱さない自信も自分にはあったし」
「それで?」
 相槌を打ったのは、早くその先を聞きたいからではなく、あまり言葉を返さないと、会話の雰囲気が固まってしまうように思ったからだ。こんな時に返す言葉は、相槌を打つしかなかっただろう。
作品名:始まりの終わり 作家名:森本晃次