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始まりの終わり

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「考えてみれば当たり前のことだけど、簡単なことなのに、発想するとなると、難しいよね」
 と言っていた。
「安倍川餅のことを考えていると、他にも同じように勘違いしているものもたくさんあるような気がしてくるな」
 それが、洋一のその時に一番感じたことだった。
 それからの洋一は、おいしい安倍川餅を探すようになった。
 甘党のお店の前にくれば、安倍川餅があるかどうかの確認をし、少々満腹状態でも、入ってみようと思った。しかし、実際に入ってみて食べてみると、確かにおいしいのだが、空腹ではなかったことで、かなり味を損しているような気がした。
 ただ、普段感じることのない匂いを感じることができた。甘い香りは暖かさを含んでいるようで、普段なら空腹でなければ入らないはずの甘味のものも、その時は食べることができるような気がした。
 空腹というのは、本当に食べたものが消化されて、お腹の中に何もない状態なのだと思えるが、満腹感というのは、半分は精神状態ではないかと思うようになっていた。
「デザートは別腹」
 と言っている女の子がいるが、精神状態で、
「好きなものならいくらでも入る」
 と思えさえすれば、少々なら空腹感に繋げられそうに思う。
 しかし、実際に食べてみると、思ったよりも入らない。今度は胃が受け付けないのだ。
それはきっと、
――幻影に惑わされて、空腹感に浸ってしまったが、実際に体内で受け付けてしまうと、とたんに我に返ってしまい、一気に満腹感を引き出してしまう――
 と考えられるであろう。
 我に返ると、後悔してしまう。
「食べなければよかった」
 そう思っても、その思いは苦しいと思っている間だけ、数日後には、もし同じシチュエーションであれば、また同じことを繰り返しているに違いない。
――自分を惑わす幻影はどこからくるというのか?
 洋一は、睡魔が大きく関わっているような気がする。空腹感と満腹感の間で一番の大きな違いは、
「満腹感には、睡魔が隣り合わせで付きまとっている」
 と思っている。襲ってきた睡魔の中でも、またさらに匂いを感じさせるものがあるのだとすれば、それは本当に、
「別腹」
 と言えるものではないだろうか?
 洋一にとって安倍川餅が一時期、そんな存在だったのだ。
 博物館で睡魔に襲われた時に感じた匂い、あれこそ安倍川餅だった。今目の前で湯気を見ながらそのことを思い出していると、昔の懐かしい安倍川餅の匂いがしてくるような気がしたのだ。
「そういえば、博物館なんて、ずっと行ってないな」
 といまさらながらに感じた。今までに何度か行ったことはあったが、いつも一人だった。デートで博物館に行きたくなるような女性と付き合ったことがなかったという理由と、博物館に行くくらいなら、もっと他のところに……という思いと、それぞれ半々だった。
 今では、デートに博物館を使わなかったことを後悔している。一人で赴くのと、気分的にどのように違うのか、感じてみたかったというのが本音である。
 いまさらデートする相手もいないのだが、博物館に行くと、今だったら、また違った印象を感じるかも知れないと思った。
 さっき、安倍川餅のことを思い出したのも、博物館のことを思い出させるための伏線だったのかも知れない。
 だが、本当の順序は、睡魔に襲われた時、博物館のイメージを思い出し、その時の印象としての安倍川餅を思い出したのかも知れない。それでも、博物館を思い出すためには、安倍川餅の記憶は不可欠だった。
 どちらから先に思い出したのかは別にして、一つのことを思い出すと、それが二にもなり三にもなる。そんな相乗効果を生むことになったのだろう。
 安倍川餅の醍醐味はきな粉だった。きな粉がなければ安倍川餅ではない。しかし、蕎麦屋でそば粉を使って作る安倍川餅も一般的に食されていることから、餅の違いを強く認識している洋一にとって、餅の存在も、決して無視できるものではなかったのだ。
 女性というものも安倍川餅と似たところがある。
 相手のどこを見るかによって、その人の魅力が変わってくる。その人の魅力が変わるという言い方はおかしいが、見る角度を変えてもいないのに、見え方が違っていることがある。相手も生きていて動いているのだから当然のことなのだが、相手が女性だと思うと、その当たり前の発想がなかなか自分の考えに結びついてこなくなる。
「今度の休み、博物館に行ってみよう」
 今回の展示は、歴史的な展示であった。少しは興味が持てそうな気がした。
 その日も朝の寒さに比べて、昼に近づくにつれて暖かさが感じられた。風は生暖かく、花の香りを運んでくるようだ。
「花の香りを感じるなんて、いつぶりのことだろう?」
 毎年、春先には感じていた匂いだったはずなのに、ここ数年は感じることもなく過ぎていたような気がする。
「最後に感じたのは、いくつの時だったのだろう?」
 などと思うのも、仕方のないことだった。
 彩名と二人だけで会うようになったきっかけが何であったのか、思い出そうと思った。いつもであれば、自分の年齢を考えれば、そんな大それたことができるはずがないと思うに違いないのだが、その時はなぜか、どうでもいいように思えた。
「彩名と話をしていければいい「
 それはまるで娘を見ているような感覚だったのだが、その時どうして、
「嫌われたらどうしよう?」
 という気持ちが生まれてこなかったのだろう?
 そんなことを少しでも思ったら、二人で会おうなどというきっかけを自分から作り出すことはなかったはずだ。
――ということは、本当のきっかけを与えてくれたのは、彩名の方だったということなのか?
 自分の方からきっかけを作ったかのように思ったのは、二人で会うようになるまでに違和感がまったくなかったからだ。もし、彩名の方からそのきっかけを与えてくれたのであれば、男としては違和感があってしかるべきだと思っている。そもそも違和感などというのは、二人の間には最初から存在しなかったのかも知れない。
 そう思うと、二人で会うようになってから、
「ずっと一緒にいたい」
 などという思いは不思議となかった。
「釣った魚に餌をやらない」
 という言葉があるが、二人だけで会うことができるようになっただけで満足してしまっているのだろうか? その後会えなくなったとしても、それはそれでいいとでも思っているのだろうか? そのあたりが二人の間に存在する距離感なのかも知れない。
――遠いのか近いのか分からない――
 無駄に広いと思っている博物館の中に入って、エントランスで博物館の内部を見渡した時、彩名のことを思い出していた。
「彩名と俺は、このエントランスの中に二人だけでいるようだ」
 その場所は定かではない。くっついているのかも知れないし、お互いに遠くの方に存在しているのかも知れない。
 だが、二人の間に距離感を感じないということは、くっついていても、一番端の方にいたとしても、同じ空間に存在してさえいればそれだけで満足だった。
「彩名も同じ思いでいてくれているに違いない」
作品名:始まりの終わり 作家名:森本晃次