始まりの終わり
と感じるようになるまでどれほどの時間が掛かったのか、自分でも分からない。気が付けば踵を返してきた道を帰っていた。来た時とは比べ物にならないほど足取りは重い。
「俺はこのままどこに向かおうというのだろう?」
家に向かって帰っているつもりなのに、そんな感じはしない。
「本当に角を曲がれば自分の家があるのだろうか?」
目の前で何が起こっても不思議はないような気がしていた。
「きっとこれは夢なんだ」
なるべく、不思議な出来事に遭遇しても、「夢」という一言で片づけないようにしようと思っていたはずなのに、この時だけは、「夢」という言葉を言い訳として使っても、問題はないと思ったのだ。
汗を額に滲ませながら歩いてくると、角を曲がるのに、勇気はいらなかった。
「家がないはずはない」
ここには確証があった。
「今まで何十年も見てきた光景。一度としてなかったことのない家だ」
そう思うことが確証に繋がる。
さっきのスナックには一度しか行ったことがない。しかも、自分から入ったというよりも、吸い込まれるように入った場所だ。
「まるで夢を見ていた」
と言っても過言ではないだろう。
「たった一回なら夢として自分を納得させられる」
家があったことで、夢だと思えるのも、その時の自分が決してネガティブになっていなかった証拠であろう。
その日、家に帰って最初にしたことは、風呂に入ることだった。冷え切った身体を暖めることで、睡魔も襲ってきた。しかし、そのまま眠ってしまうことはなく、目の前に立ち上る湯気を見ながら、また何かを思い出していた。
あれは、社会人になってすぐくらいの頃のことで、休みの日に何もすることがなく、前もって計画を立てていたわけでもなかったので、フラッと街に出た時のことだった。
見たい映画があるわけでもなく、ショッピングをするような心境でもなかった洋一は、駅近くにある公園に行き、ベンチに座って、どうしようかと考えていた。
道を挟んで反対側に博物館があった。
あることは前から知っていたが、入ったことなどあるはずもなかった。その頃はまだ、絵や芸術に興味があったわけではなかったからだ。
学生時代なら、入ってみようなどと思うことはなかっただろう。きっと、
「時間の無駄だ」
とでも思ったからである。
自分が望んですること以外に時間を使うなど愚の骨頂と思っていた学生時代。特に大学三年生になってからというもの、そのイメージが強かった。
学生から社会人になるまでの壁は、想像を絶するものだと思っていた。それだけに、
「大学四年生というのは、死を前にした老人と変わりはない」
とまで感じていた。
それまでの浮かれた気分を払拭し、いかに社会人としての心構えを自分に植え付けることができるかが、大きな問題だった。
当時、洋一にも友達がいた。まわりが就職活動一色になっていれば、自分もその波に乗り遅れるわけにはいかない。のんびりしていれば、誰も相手にしてくれないことくらい分かっている。自分で何かを覚悟しなくとも、まわりが勝手に導いてくれるのだ。その思いが、洋一に心構えを植え付けさせてくれることに一役買ったのである。
洋一は、社会人になると、それまでなくなっていたはずの「余裕」を取り戻した。社会人一年生としての余裕はなかったが、精神的な余裕は、大学四年生の時よりもかなりあったのも事実である。
そのおかげで、休みの日に何もすることがなくても、気持ちに余裕があることから、
「何か行動さえ起こせば何とかなる」
という気持ちになっていた。
博物館を目の前に見て、
「行ってみよう」
と思ったのも、無理もないことだった。
その日は季節外れの寒さが朝から襲っていたが、昼前になる頃には、歩いていると汗ばむくらいになっていた。博物館の中に入った時は少し暑いとも感じられたが、すぐに快適になってきた。
――この感覚、好きなんだよな――
無駄に広いと思わせる管内には、ざわめきが感じられた。しかし、それも無駄な広さの空間が、まるで真空状態を作っているかのような佇まいで、吹いてくるはずのない風を心地よく感じられたのだ。
ざわめきも次第に気にならなくなる。
いや、気にならなくなるというのは語弊があるのか、意識はしているのだ。意識しながら、嫌だとは思わない。普段は静かなことに越したことはないと思っているのに、その時だけは、少々のざわめきなら、あったほうがマシだと思うほどだった。
あまり興味のある展示ではなかったので、漠然と目の前を流していく程度に見て行った。興味のない展示だったことも、ざわめきを感じさせる要因だったのかも知れないが、何気なくであっても、展示物を見ていると、吸い込まれそうな錯覚に陥るから不思議だった。
次第に空腹に襲われてきた。朝食は普通に家で摂ってきたのに、腹が減るというのもおかしな感じがした。博物館の入り口に入るまでは、確かに満腹感があったのを覚えていた。館内に入り、すぐに睡魔に襲われた。この睡魔は空腹では絶対に訪れるものではない。満腹な状態にこそ、訪れる睡魔だったのだ。
それなのに、展示を見ているだけで急に襲ってきた空腹感。一体どうしたことなのだろう?
考えてみれば、それまでにも同じようなことがあった。満腹感から間髪入れることなく空腹感に襲われることだった。しかも、その時に必ず睡魔がともなっている。その時の睡魔は独特で、睡魔を感じる中で、食べたいものが特定されていることが、空腹感に繋がっていたのだ。
家の風呂で湯気を見ながら思い出していたのは、その時のことだった。
その時に思い出した以前の空腹感がどのようなものだったのかまでは思い出せないが、博物館で感じた空腹感。そしてその時に何を食べたいと思ったのかは、思い出せたような気がしていた。
「そうだ、あれは安倍川餅だった」
安倍川餅というと、お餅のまわりにきな粉をまぶしてあるもので、お茶と一緒に竹のフォークを使って食べるのが理想だと思っていた。
以前から食べていた安倍川餅は、少しもちの部分が硬く、餅のように粘っこさがなかった。すぐにちぎれる感じだった。
甘味専門店で食べれば普通のお餅だったのだろうが、食べていたのは、蕎麦屋さんにデザートとしておいてあるものだった。今から考えれば当然のことだが、蕎麦屋さんで食べる餅は、そば粉で作られていた。普通のお餅と違うのも当たり前のことだった。
「これが安倍川餅なんだ」
と思って、子供の頃から食べてきたが、そば粉で作った餅は、洋一には物足りなかった。大学に入って男女数人で出かけた時に赴いたお店で食べた安倍川餅は、本当の餅粉を使っていた。
「こんなにおいしい安倍川餅、初めて食べた」
興奮に値するほどだった。
「そんなにおいしいかい? 普段は一体どんなのを食べているんだい?」
と言われて、
「全然味が違う。普段食べる安倍川餅の餅は味気なくて」
というと、一人の女の子が納得してくれて、
「お蕎麦屋さんで食べるからでしょう?」
と言われて、頷くと、その理由を話してくれた。
その場にいた連中もそこまで考えたことがないらしく、