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始まりの終わり

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 ただ、のっぺらぼうを思い浮かべたのは、彼女に対してのイメージからではない。そこにいた男性に、どこか自分と同じものを感じたからなのだが、今になって思い出そうと思えば、あれだけ意識していたはずの男性なのに、存在すら疑わしいと思えるほど、今は自分の記憶の中にも意識の中のどこにも存在していないのだ。
 逆に、彼女のことを意識するから、のっぺらぼうのことを思い出す。のっぺらぼうを意識するから、今度はあの男の存在を意識してしまう。そんな三段論法のような流れが頭の中にあった。
 ただ、その三段論法が、「三すくみ」を生み出すのではないかとも思えていた。
 三すくみというのは、じゃんけんのように、
「ハサミは紙には強いが、石には負ける。紙は石には強いがハサミには弱い。石は、ハサミには強いが、紙には弱い」
 つまり、三角形の相関関係がバランスを保っていて、均衡している。そんな状況を言うのだ。
 その均衡がどれほどの大きさで、どれほどまわりに影響を与えているかということは、その中の当事者には分からないことなのかも知れない。
「三すくみというと、ヘビ、カエル、ナメクジの話が有名だ」
 という話を聞いたことがある。話を聞いてみると、確かにその通りで、力の均衡が保たれていることから、まわりは手を出すことができないことの代名詞のように感じられる。――それだけ、三すくみのまわりには、結界のようなものが存在しているのかも知れない――
 と感じていた。
 そう思うと、三すくみのまわりにはバリアのようなものが張り巡らされていて、そのバリアは、見る人によっては見えているのかも知れない。
 そんなことを考えたのは、今ではなく、子供の頃だった。三すくみの発想を思い浮かべた時、子供の頃に感じていたことや考えていたことが思い出せるような気がしてきた。
 ただ、今考えるのと、子供の頃に考えるのとでは少し勝手が違っている。子供の頃であれば、これ以上の発想はできないと思うが、今であれば、そこからの発想はどんどん生まれてくるような気がする。
 しかし、いかんせん、子供の頃にはできた最初の発想を、今はすることができない。つまりは、子供の頃の発想が頭の中に残っていて、何かの機会に、扉を開けることで、より大きな発想を生むという意識がなければいけない。いくつもの喚問を通り抜ける必要があるのだ。
――ひょっとすると、そのために、頭の中に残っている記憶には、限りがあるのかも知れない――
 と感じた。
 大人になったどこかの段階で、一度は子供の頃に抱いた疑問や発想を思い出し、大人の頭で消化するということは、避けて通ることのできない道であることを示しているのだろう。
 それがいったいいくつあるのか想像もつかないが、今三すくみのことを思い出したことで、過去の記憶がよみがえり、子供の頃に自分を納得させることができなかった後悔を、今まさに晴らす時なのかも知れない。
 洋一は、頭の中が何か不思議な世界の中にいるかのような錯覚を覚えているふぁ、そもそも自分の頭の中自体が不思議な世界だと言えないだろうか。
 自分の頭の中なのに想像することもできない。自分の顔だって、鏡のような媒体がなければ見えないのだ。一番身近なものに限って、一番遠い存在に感じられるのではないだろうか。そう思うと、自分を納得させることがどれほど難しいことなのか、いまさらながらに思い知らされる。
「だからこそ、自分を納得させようとしているのだろう」
 それができれば、鉄板である。
 自分を納得させることができれば、他人を納得させるなど、さほど難しいことではない。自分の中で納得済みだという態度は、相手にも伝わるものだと思っている。しかしながら、今まで自分の接した人で、
「この人は自分を納得させたことがある人だ」
 と、感じた相手は一度もいない。
 だが、洋一は、自分を納得させたことがある相手に出会えるという確信めいたものがあった。そしてその人に出会うことで、自分も、
「自分自身を納得させることができるようになるような気がする」
 と思えるようになると感じていた。
 ただ、本当になれるかどうかは確証はなかった。自分を納得させたことがある相手に出会えるという思いほど、強いものではないのだ。
「自分のことになると、とたんに自信がなくなってくる」
 この思いは、洋一だけのものではないだろう。他の人のいうことは分かる気がするのに、自分をなかなか信じられない。そのくせ、人のいうことにはなぜか反発してしまうという意識を強く持っている人、きっと自分のことを、
「天邪鬼なんだ」
 と思っていることだろう。
 しかし、自分のことを理解できているという意味では、
――自分に対して素直になれる人だ――
 と思うことで、洋一は、それだけで尊敬に値する相手だと思っている。
 洋一は、スナックに入った時、気になる女性の方には、
「自分自身に素直で、自分を納得させられる人ではないか?」
 と感じたが、逆に男性の方には、まったく何も感じなかった。のっぺらぼうに見えたのも、そのせいなのかも知れない。最初は、
「得体の知れない人」
 としてしか映らなかったが、見ているうちに、
「まるで自分を見ているようだ」
 と感じてきた。
「自分自身のことを一番自分が分からない」
 という発想から生まれたもので、何十年も生きてきて初めて感じた思いのはずなのに、前から感じていたような気がしていたのは、
――今までに誰かに見られていたという意識がなかったのに、急にゾッとするほどの視線を感じていた――
 という意識を感じていたにも関わらず、そのことを意識できていなかったことに気が付いたからだった。
 洋一は、自分のことを納得させることのできる人を探していたような気がする。
 もし、その人が見つかったとしても、その人と仲良くなったり、話をしたりなどという発想はなかった。ただ、そんな人がいるということを見つけることができれば、自分の中で何かを納得できる気がしたからだ。
 そういう意味では、彼女を見つけることができたのは嬉しかった。
 しかし、まさか同時に洋一自身がまったく分からない相手、つまりは、
「もう一人の自分ではないか?」
 と感じることのできるような男性に出会うなど、想像もしていなかった。両極端な二人に出会ったことで戸惑いが生まれ、何をどうすればいいのか、頭が回転していても、空回りではないかと思えてならなかった。
 そういう意味で、もう一度、あのスナックに行かなければいけないという思いを強く持ち、意を決して赴いた。
 しかし、実際にはその店は存在しなかった。
 確かにあったという意識はある。それでもどこかホッとしている自分を思うと、不気味な思いはさほどではない気がしている。
 だが、やはり気持ち悪さは残っているもので、スナックがあったと思う場所から、しばらくは離れることができなかった。店に入っていく人の姿、出てくる人の姿を想像することができるのに、店の佇まいを想像することができない。実におかしな印象で、まるで真空の壁の中に吸い込まれていく人を見ているようなイメージだった。
――やはり夢だったんだ――
作品名:始まりの終わり 作家名:森本晃次