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始まりの終わり

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 目の前に店はないのに、今洋一は、以前この店に来た時のことを思い出していた。急に遠い過去のことにしか感じられなくなって、店のことを思い出すことはできなかった。
 今日、こうやって訪れたのは、前に訪れた時の記憶を思い出したいという思いがあったからだ。そういう意味では、ここに店がなくても、目的の半分は達成できたと思えるのだった。
 目の前に店がなくなっているのを見ると、
「俺も年を取ったんだな」
 と感じた。
 今までは、
「年を重ねてきた」
 と思っていたが、年は重ねたのではなく、取ってきたものだということを再認識したような気がした。
 そのことは最初から分かっていたような気がする。
「年を重ねるなんておこがましい。年を取るということは、少しずつ何かを失っていくんだ」
 と思えてきた。
 若いうちは、失うものよりも、得るものの方が多いので、成長していると思い、失うという意識はほとんどなかったが、失うものがなければ、新たに得るものもないと考えれば、理屈も通るし、自分を納得させられるというものだ。
「では、何を失ってきたというのだろう?」
 すぐに思い浮かぶものはあった。これは自分だけではなく他の人も同じであろうし、誰もが認めるものだ。
 しかし、それを未来に認めたくないから努力をするという人はたくさんいる。実際に、洋一も、自分が喪失を意識するようになると、努力をするものだと思っていた。
 しかし、実際には、その喪失が一体いつから始まるものなのか、ハッキリとしない。
「この境界を越えたら」
 というハッキリとしたものがあるわけではない。
 もちろん、人それぞれでもあるし、気の持ちようでもある。
 中には、
「俺は失ったりはしない」
 と、頑なに信じている人もいるだろう。
 自覚症状がありながら、認めたくないという思いは、人間の理性のギリギリの抵抗なのかも知れない。中には、感覚がマヒしてしまい、
「どっちでもいいや」
 と思う人もいるだろう。今の洋一は、どちらかというと、その思いに近いのかも知れない。いわゆる、
「惰性で生きている」
 というべきであろうか。
 失うもので一番ハッキリとしているにも関わらず、個人差が激しく、一体どこからが失うことになるのか曖昧なところがある。そんな不可思議なもの、それはいうまでもなく、
「若さ」
 である。
 洋一も気が付けば五十歳を過ぎていた。
「年齢を重ねるほどに、感覚がマヒしてくる。いや、年は取るものだ。年を取るという感覚はないから、感覚がマヒしてくるのに違いない」
 と、そんな風に感じるようになっていたのだ。
 結婚もせずに、ずっと一人でくると、子供の頃を思い出してきた。思春期になれば、彼女がほしいと思うのは当たり前だが、その時に自分の中での彼女のタイプは、消去法だった。
 まず、妹のような女性が一番嫌だった。
 一人っ子に育った洋一は、妹がほしかった。子供の頃、いつも感じていた思いだったので、いざ彼女がほしいと思った時、子供の頃に思っていた感情を巻き込みたくはなかった。だから、妹のような女の子を彼女にしたいとは思わなかったのだ。
 次は姉のような女性だった。
――甘えてみたい――
 という思いがあったくせに、姉のような女性を避けていたのは明白だったような気がする。
 妹のような女の子も姉のような女性も、どちらも避けていたのは無意識にであって、意識して避けていたわけではない。しかし、無意識と言えども見る人から見れば見えるのだろう。妹のような女の子も姉のような女性も、洋一に寄ってくることはなかった。だから、なかなか彼女ができなかったのだ。
 タイプを消去していたくせに、自分の中の理性の望む女性は、妹のような女の子や姉のような女性だった。そのことが自分の中でジレンマとなり、やがてトラウマになってくると、付き合ってみたいと思う女性の範囲は、本当に狭いものになってしまった。
 こんな状態で彼女などできるはずもない。相手もいることなのだ。結局、彼女もなかなかできることもなく、いつの間にか殻に閉じこもってしまった洋一は、この年まで一人でいることになったのだ。
 ただ、最近になって、
「誰かと出会えるのではないか?」
 という思いが湧き上がってきた。
 それは、自分の中にあるトラウマが解けてきたような気がしたからで、これも考え方ひとつで、状況はいろいろと変わるということを自分の中で証明したようなものだった。
 暗かった四十代に比べて、五十歳になると、どこか自分の中で明るさが感じられるような気がした。それは、子供の頃に感じていた。
「明日は今日よりも楽しい」
 という思いを感じているからなのかも知れない。
 何の根拠もなければ、実際にそんな日があったことなど、五十歳になってからはなかった。それなのに、なぜそう思ってしまうのか、それは、
「自分の中で信じて疑わない」
 という感覚があるからだ。
 ただ、その感覚は、
「マヒしてしまっているのではないか?」
 という紙一重のところで存在しているもので、どちらかが否定されれば、どちらかも否定されてしまう。どちらも否定するということは、自分の存在意義も脅かすことになるような気がしているので、どちらも失うわけにはいかない気がしている。そう思うことで、
「信じて疑わない」
 という感覚が生まれてくるのかも知れない。
 一人の女性に引き寄せられるように入ったスナックが、忽然と姿を消したことで、実は少し安心した気分になっていた。
 スナックに立ち寄った時、彼女の顔を見たはずなのに、店を出て少ししてから、彼女の顔を思い出せなくなってしまっていた。その時洋一は、
――俺は彼女の掌で踊らされているのだろうか?
 と感じた。
 自分から入りたいと思って入った店ではない。彼女の記憶が残っていれば、彼女に対しての気持ちがどれほどのものなのかを思い起こせば、不思議な気持ちになることもなかった。
 しかし、彼女の顔を思い出せない時点で、まるでキツネにつままれたような気持ちにさせられたことで、化かされているような気がしてくると、気持ち悪くもなってくるものである。
「彼女に会って自分を確かめたい」
 出会ったばかりで、そんなに性急な気持ちになっているはずもないのに、この気持ちの高鳴りは恐怖を感じさせるほどだ。それを思うと、彼女同様に店が消えていてくれたことで、
――まるで夢を見ていたみたいだ――
 と、自分を納得させることができるように思えたからだ。
 それでも、後になってふと思い出すと、さらなる不気味さがよみがえってくるかも知れない。だが、今気持ち悪さがなければそれでいいのだ。
 考えてみれば、彼女の顔をまともに凝視していなかったようにも思えた。店を出てすぐに顔を思い出せなくなったのも頷けるというものだ。
――スナックの中でのっぺらぼうを思い浮かべたのも、何かの因縁かも知れない――
作品名:始まりの終わり 作家名:森本晃次