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始まりの終わり

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 と感じたことを、何十年も経ってから、また感じるようになるなど、その時に想像ができたであろうか?
 その頃の洋一は、喫茶店の彩名のことが気になっていた。
 付き合いたいと思ったり、男女の関係になりたいと思っていたわけではない。どちらかというと、娘のような気持ちになっていたからだ。
 今まで十年以上も女性を意識したことはなかった。彩名は女性というよりも、女の子というイメージなのだが、たまに見せる寂しげな雰囲気に、
「妖艶な大人の女性」
 を感じさせた。
――この感覚、以前知っている女性にも感じたことがある――
 そう思った時、自分が好きになる女性の共通のパターンが、妖艶な大人の女性の雰囲気なのか、それとも、妖艶な大人の女性の雰囲気を持っている女性の方から自分の方に寄ってくるのか、少なくとも運命のようなものを感じたのは、気のせいではないような気がする。
 その時に気になったバーの女性、それが初めて感じた、
「妖艶な大人の雰囲気を感じさせる女性」
 だったのだ。
 洋一はその時まで、自分の好みは、
「可愛らしい妹のような女の子」
 だと思っていた。
 それまで数人の女性を付き合ったことがあったが、そのほとんどが自分の理想だった。すぐに別れることになった女性もいたが、別れる理由のすべては、
「自分が悪いんだ」
 と言い聞かせた。
 今から思えば、相手のわがままで別れた人もいた。しかし、別れの言い方が、
「ごめんなさい。全部私のわがままなの」
 と言われてしまうと、納得いかないと思い、口では、
「何でなんだよ」
 と言いながらも、心の中では、
――やっぱり俺が悪いんだろうな――
 と自分に言い聞かせた。そんな思いを知ってか知らずか、相手との別れは成立してしまう。
 それは、最後には自分を納得させたいという思いが強かったからだろう。彼女の言葉を真に受けてしまうと、余計に相手を拘束してしまい、最後には泥仕合になることは分かっていた。
 実際に二十代の前半には、泥仕合になったことは何度かあった。それでも、
――自分が納得できない――
 という理由で、泥仕合になっても拘束してしまいたい気持ちが強かったのだ。
 何度も繰り返しているうちに、さすがに自分が相手を拘束したいがための言い訳であることに気づくと、
「穴があったら、入りたい」
 と思うほどの情けなさに包まれていた。
 それからは、相手の言葉に納得がいかないと思いながら、言葉では一応抵抗は試みるものの、どうしても無理だと思えば、自ら身を引くことを心掛けるようになった。
「これが大人の男の対応なんだ」
 と思っていたが、結局は自分を納得させたいがためのもの。そのことに気づいてくると、
「一体、どうすればいいんだ?」
 と思い悩むようになった。
 しかし、
「どうやっても、最後は自分を納得させるという考えに落ち着くのなら、それを真実として受け止めるしかない」
 と思うようになった。
 堂々巡りを繰り返したのなら、答えはその中に隠れているのだということを悟ったのは、四十代に入ってからのことだった。
 その頃になると、
「来る者は拒まず、離れていく者は、深追いしない」
 という、なすがままのような考えに落ち着いてきた。
 しかも、その頃になると、今度は孤独も悪くないと思うようになり、次第に孤独を愛するようになっていた。
「まわりに人がいないということがこれほど気楽なものだとは思ってもみなかったな」
 と感じた。
 若い頃のことをよく思い出し、寂しかった思いもよみがえってくるが、四十代を超えると、それも楽しい思い出に変わっていた。その理由は、
――過去の自分を他人事のように思えるようになったからだ――
 と感じているからだった。
 五十代になると、今度は少し変わってきた。
 確かに一人の孤独は楽しいものだと思っていることに変わりはない。しかし、
――他に誰かいてもいいんじゃないか?
 と感じるようになっていた。
 一人が楽しいということは、他の人が介在すると、どうしても煩わしさが伴うということを意味していた。それが分かっているだけに、四十代の洋一は、人との接触をなるべく避けてきた。
 しかし、五十代になって感じたことが二つだった。
 一つは、
「十年があっという間だった」
 ということと、もう一つは、
「四十代に比べて五十代になると、急に過去のことを思い出すようになった」
 ということであった。
 この二つは、微妙に結び付いているような気がする。
 実際に年齢を重ねると、若い頃に比べて考えていることが極端に減ったような気がした。それはまわりに人がいないことで序実に分かることだった。しかし、それは考えられる範囲が減ったというわけではなく、逆に若い頃に比べて増えたのは間違いない。忘れていくこともあるが、一度身に付いたものが消えることはないからである。
 そのために、考えられることが減ると、その分、過去のことを思い出してしまうというのも無理のないことだ。
 子供の頃のことはさすがに思い出さなかったが、二十代くらいのことはいつも思い出していた。そのうちに子供の頃のことまで思い出すようになると、
「俺も年を取ったんだな」
 と、いまさらながらに思い知らされた。
 というのも、子供の頃の記憶というのは思い出したくはないものだとして、意識して封印してきたのだ。それを思い出すというのは、
――封印していたということすら忘れてしまっている?
 と言えるのではないだろうか。
 それは記憶を忘れるというわけではく、自分の考え方を忘れてしまっているからで、考え方を忘れるということは、その間に、数々にいろいろな考え方の変革が自分の中で積み重なっていたということである。
 それは、本来なら悪いことではない。
 年齢を重ねれば、当然そういう考えに落ち着くのも分かることで、その考えさえ浮かばない人もたくさんいるだろうと思えば、今その結論に至っている洋一は、
――まっすぐに年を重ねてきた――
 と言っていいに違いない。
 そんな洋一は、最近会社の近くにあるスナックに通うようになった。
 それまで若い頃にバーに赴いたことはあるが、
「酒を呑むなら居酒屋」
 という程度に収めていた。
 意外と、居酒屋で一人で呑むのも悪くはない。まわりの喧騒とした雰囲気や、時々若い連中の奇声が上がるのには困ったものだと思っていたが、まだ早い時間であれば、カウンターでも十分だったからだ。
 そんなに呑める方ではない洋一は、ほろ酔い気分になるまでに、一時間も掛からない。仕事が終わって開店すぐくらいに行って、ほろ酔いになるくらいまでは、そんなに客もいないからだ。
 居酒屋に通う時期が何年かあったが、居酒屋というのは、
「自分の馴染みの店」
 と自分で感じていた雰囲気とは微妙に違っていた。
 自分の馴染みの店というのは、
「自分だけの空間がそこにはある」
 と思えるのが最低限の条件だと思っていた。
 居酒屋にはそれがなかった。自分が帰った後、その席には他の人が座るのだ。そして、その空間は、すぐに違ったものに変わってしまう。それを思うと、どう考えても自分の馴染みの店として認めたくはなかった。
作品名:始まりの終わり 作家名:森本晃次