始まりの終わり
洋一は、そのまま彼女の顔を忘れてしまった。彼女と会うことはそれ以上なかったので仕方のないことなのだが、なぜか夢で彼女には何度か会っていた。
会っていたと言っても、話をしたわけでもなく、彼女の笑顔を感じただけだった。洋一はそれだけでよかったのだが、彼女の方は洋一に笑顔を投げかけたそのすぐ後に、何とも言えない寂しそうな表情をした。
洋一は、きっとその時の自分の顔が、
「苦虫を噛み潰したような」
そんな表情だったのではないかと感じたのだ。
好きになった女の子に対して感じたことがある思いだったのではないだろうか?
最初は、
――こんなことを感じたのは初めてだ――
と思ったにもかかわらず、すぐに、
――いや、かつて同じような思いをしたことがあったような――
と感じながら思い出していくと、
――もっとごく最近のことだったように思う――
それはやはり、好きになった人への思いがその時も意識として記憶の中に貼りついていたからなのに違いない。
――こういうのを、「面影」というのかも知れない――
顔や表情を覚えているわけではないのに、誰か似た人がいると、思い出すという構図は、それまでの洋一にはなかったことだ。
洋一が女性を好きになる時、それはその人の顔を好きになるのではないと思っていた。
「その人の顔や表情から、性格を判断する」
という信念だったが、それも、しょせんは顔からの判断だと思えば、自分が信念だと思っていたことが、実際には言い訳だったりする。
だが、それでも自分を納得させることができさえすれば、他の人の誰が何と言おうとも、口にしたことは、
「自分にとっての真実」
に他ならないのである。
――自分は昔、どんな女性が好きだったんだろう?
二十代の終わりに、「昔」という言葉を使うというのも、
「年を取ってきたことを意識しているからだろうか?」
とも思ったが、その時点から見て直近の過去から比べて、自分の中でかなり古い時代のことだと思えば、それは「昔」と表現してもいいのではないか?
そういう意味では、今思い出している二十代末期のバブル崩壊の時代は、洋一にとって、それほど昔には感じられなかった。むしろ、その頃に好きだった女性を思い出すと、まるで昨日のことのように感じられることがあるくらいだった。
しかし、その思いは稀にしかない。バブル崩壊の時代をそんなに古い時代だと思わなくとも、当時好きだった女性を思い起こすと、やはり「昔」という言葉を使っても無理のないように思えるのだった。
自分がその頃に好きだった女性は、バーで知り合った女性ではなかった。ただ、彼女を思い出している時、ほぼ同じ時期くらいに好きだった女性がいるのに、まったく違った時代だったような気がする。
それは同じ時間でも次元の違いを感じさせるような、そんな不思議な気持ちにさせるものだった。
バーで見かけた彼女を最初に正面から見た時、
――昔好きだった人の面影がある――
と感じたが、今の自分が好きになるという気にはならなかった。
別に自分の感じている「昔」と、女性に対しての好みが変わったわけではない。確かに好みの範囲は増えたかも知れないが、本当に好きだと思えるタイプは決まっていると思っていた。
ただ、一つ感じていたのは、
「本当に好きになる相手というのは、普段から好みと思っているイメージと一致するのか、疑わしい」
という思いだった。
一目惚れという言葉があるが、自分も人間なら相手も人間、面と向かって見れば、その表情に輝きを感じ、一目で好きになることもあるだろう。
しかも、それが普段から好みだという意識を持っていない人であれば、なおさら自分が好きになるはずはないという思いから、迷いのようなものが生まれてくるだろう。
「迷いは、余計に相手を深く見させてくれる」
と言えないだろうか?
迷いには、自分の中でのいい面、悪い面、すべてに納得できなければ解消できるものではない。少なくとも、元々自分のタイプとドンピシャの相手であれば、どうしても贔屓目に見てしまい、悪い方の想像はしないに違いない。片手落ちになってしまうことを思えば、納得いくまで相手を見つめるという意味で、すべてを納得した上で好きになる相手であれば、それが最強と言えるだろう。疑いようのない自分の好みとして、自分の中で確立されるに違いない。
洋一にとってその頃から、
「自分の好みは、自分のことを気に入ってくれた人だ」
と思うようにもなっていったが、それも、最初はあまり意識していなかったはずの相手が自分を凝視し、さらに興味を持って見てくれたのであれば、洋一も全力で相手を理解しようとする。その気持ちが無意識に起こってくれば、その時点で、
「恋をしている」
と言ってもいいのではないだろうか。
洋一がその頃に付き合っていた女性は、まさにそんな出会いの女性だったように思う。それだけ新鮮で、初めて、
「恋愛を最初から意識しない恋愛が存在するんだ」
ということを感じた時だった。
彼女との出会いは、不思議なものだった。
最初に意識したのは、彼女の方で、洋一は彼女の視線ししばらく気が付かなかった。
彼女の視線を感じるようになると、今度は彼女の方がソワソワし始めて、彼女を見る洋一の視線を避け始めたのだ。
洋一は、最初こそ、こそこそと気づかれないように彼女を見ていたが、彼女のソワソワした態度に対して苛立ちを覚えた。そのうちに気が付けば、彼女に対しての視線が露骨なものになっていた。
その状態を洋一は楽しんでいた。
「俺って、サディストなのかな?」
と思えたほどで、彼女のソワソワした態度に、?っ気を感じないわけにはいかなかった。まるで自分がいじめっ子になったような気がして、いつの間にか楽しんでいたのだ。
子供の頃の洋一は、いじめられっ子だった。いつも誰かに苛められていて、その理由を考えても思い浮かぶことはない。
「謂れのない苛め」
だと思っていたのだ。
それは子供の頃の自分の考えが浅はかだっただけだ。確かに子供なので、深い考えがなくても仕方がないだろう。だが、その時の洋一は、
「子供だから仕方がない」
と思っていた。
「無理もない」
と思っていたわけではない。「仕方がない」ということは、最初から考えることを放棄していたようなものだ。「無理もない」ということであれば、自分にとってできるだけのことをしても、それでもダメだったということで、自分を納得させることができる。要するに、「仕方がない」という考えは、自分を納得させられるかどうかの問題ではないのである。
そのことから、洋一の口癖は、
「仕方がない」
というようになった。
実は洋一にはどうして苛められるか、少しだけ分かっていたような気がしていた。
――おだてに弱く、すぐに言われるままにしていたのがよくなかったのかも知れないな――
という思いだ。