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短編集13(過去作品)

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 そうハッキリと宣告されてしまった友人は、なかなか立ち直れないようだった。子供もいる家庭なので、一気に離婚とまではいかないだろうが、確実にお互いの気持ちの中の亀裂が深まっていることには違いないようだ。そんな時に私は友人に何と言えばいいのだろう。掛ける言葉もなくて、ただじっと聞いてあげるだけしかなかったのだ。
――話をするだけで落ち着くならいくらでも聞いてあげる――
 これが私の持論であった。私も人から話を聞いてもらうだけで落ち着く気持ちになったことが過去に何回あったことだろう。
 しかし先輩の話は私の中でかなりなショックを与えたことも事実である。女性というものを本当に知らない私は、その時は、実感が湧かないで聞いていただけだった。きっと、そんな心境に陥る日が近い将来訪れるかも知れないと思いながらも、実感が湧かないことで、どこか他人事だった自分がいるのだ。
 さっきの話が、そのことを思い出させてくれた。今回も他人事として聞いていたが、さすがに何度も耳にすると、他人事ではないような気になってくるから不思議だった。
――女性って、だから分からないんだよな――
 まるで女性を知っているかのようであるが、女心の何たるかなど、今までに考えたことはあっても当然のことながら結論めいたことが出てくるわけではない。
 美穂は私にとって最高のガールフレンドであり、パートナーのようなものだ。彼女の言うことにはいちいち説得力を感じ、まるで聖人君子の言葉のように頭の中に響いている。
 今までに何度か失恋したことはあった。失恋といってもほとんどが片想いであって、告白してダメだったこともあれば、告白する前にすでに友達以上に見られていないことを悟って諦めざるおえないこともあった。そんな時、いろいろな人に相談し、様々な意見をもらったが、当たり前のことだが、そのすべてが皆違った意見だった。たくさん相談すればするほど混乱するのは当然のことで、それをいかに自分に当て嵌めて考えるかがキーとなるのだ。
 自分としては、人の意見の当て嵌まるところだけを組み立てることに長けてきたつもりだが、美穂の意見は自分に当て嵌まる中で一番妥当な意見を述べてくれる。ある意味冷静沈着な意見で、大人の意見だった。特に落ち込んでいる時など、そのことを痛感した。
 喫茶「ピノキオ」でのデートはそれから数度あっただろうか。美穂が行きたいと言い出したこともあったし、私が誘ったこともあった。月に二回くらいのペースだっただろう。
「私一人で行くこともあるんですよ」
 と言うくらい彼女も喫茶「ピノキオ」が気に入ったようだ。
 しかし社会人としての常である「転勤」という言葉が私に襲いかかってきた。以前からそろそろという話は出ていたのだが、名古屋や大阪ならまだしも、福岡とは私も予想外だった。しかし日本全国に支店がある以上、私が独身男性で身が軽いという事実がある以上、それは避けては通れない道でもあった。
「遠距離恋愛になるのね。仕方がないわ。私の方からも会いに行くわね」
 美穂に転勤を告げる前の心境はいろいろ心の中での葛藤があった。毅然とした態度をとろうと思いながらも手の震えや胸の動悸は治まることを知らず、声も震えていたに違いない。しかし、美穂から返ってきた暖かい言葉に、どれだけ癒された気持ちになったか知れない。やはり美穂は私が考えていたように精神的に「大人の女」なのだ。
「うん、僕もなるべく週末には帰ってこれるようにがんばるよ」
 申し訳ないという気持ちと後ろ髪を引かれる思いがある中、美穂の暖かい言葉に酔っていた。今までに経験したことのない遠距離恋愛も、美穂とだったらうまくいく気がして仕方がなかった。
 だが、私に彼女がいることを知っているやつの中には、
「遠距離恋愛なんてうまくいくはずないよ」
 という助言をしてくれる人もいるが、
――所詮は他人事なんだ――
 として聞き流していた。それだけ私にとって、美穂の言葉は説得力を感じたのだ。
 私が福岡に転勤になる前の日、美穂を誘って喫茶「ピノキオ」に向かった。いつも余裕を持って計画を立てる私は、前日までに引越しや会社での引継ぎなど、すべてを済ませていた。後は単身乗り込むだけである。
「大丈夫なの?」
 美穂の心配ももっともだが、
「大丈夫さ、しっかり計画は立ててるから」
 そういうと安心した顔になる。私の性格は彼女にはお見通しなのだ。
「ここが一番落ち着くわね」
「うんうん、僕が転勤になってもここを利用するんだろう?」
「ええ、私はもうここの常連の一人よ」
 といって美穂はマスターの方を見た。マスターもしっかりと分かっていて、ニコニコ頷きながら私と美穂のどちらを見るでもなく、視線を向けている。
「はい、餞別」
 美穂が紙袋を手渡してくれた。
「開けていいかい?」
「ええ、いいわよ」
 微笑む美穂の前で、ビリビリと音を立て袋を破いて見せた。中から出てきたのは時計で、
「これ、あなた欲しがっていたでしょ?」
 前から欲しかったブランド物の時計である。五万円くらいするものである。
「ありがとう。大事に使うよ」
 いつも時間に追われる仕事をしていることを知っている彼女の心遣いでもあった。
「どこにいても日本国内ならいつも同じ時間だからね」
 美穂はそう付け加えた。
 確かに美穂の言う通りだ。同じ空間を所有できなくても。同じ時間を所有していると思えば、少しでもそばにいるような気持ちになれる。美穂はそのことが言いたいのだろう。
それに東京と福岡といっても、飛行機を使って二時間と掛からないところだ。会おうと思えばいつだって会えるのだ。
 その夜の美穂はとても綺麗だった。当分は忙しくて会えないだろうという思いがあるからか、余計に綺麗に見える。喫茶「ピノキオ」では夜になるとアルコールも出してくれるので、ワインを頼み、二人で呑むことにした。
 居酒屋などに行くことはしばしばだった。しかし、ゆっくりとしたスペースで顔を見合わせながら呑むということはあまりなく、とても新鮮だ。今までは喫茶店でゆっくりすることはあっても、バーに行くより居酒屋が多かったことが自分でも不思議だ。雰囲気的に居酒屋に入る方がリラックスできると思っていたのだろうか?
「ワインがこんなにおいしいなんて」
 少し赤らんできた顔で私を見つめる美穂の瞳は潤んでいた。
 美穂のこんな顔を見たのは何度目だったろうか?
 最初に美穂を抱いた日、確かあの日もこんな潤んだ目だったような気がする。私がいよいよ今日だと感じたのも、美穂のそんな目を見たからだった。
 ほのかに赤らんだ頬を手の平で触ってみる。最初に手を繋いだ時に、腕が触れた時でさえ震えていた彼女だったが、その時に震えのようなものはなく、今にもはちきれそうに光っている頬は焼けるように熱かった。
 照れ隠しのような微笑みを浮かべる美穂、そんな表情が妖艶に見えた。私も幾分かいい気分になっていたこともあって、かなり大胆になっていたことも否めない。
「酔いを醒まして行こうか?」
「ええ」
作品名:短編集13(過去作品) 作家名:森本晃次