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短編集13(過去作品)

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 ネコの話をしていた時の彼女は寂しそうだった。それまで、ずっと犬が好きで、学校帰りなど犬がいると、そこで遊んでしまって時間を忘れることもしばしばだった。犬の私を見つめる目を見ていると、そこから立ち去ることができなくなる。それに比べてネコに表情を感じることはなかった。見つめられることもないし、下手に目を合わせることの怖さを無意識に知っていたような気さえする。
 ネコという動物を思い浮かべる時に「自由奔放」というイメージがついてくる。人につくことをしないネコはあくまでも自由なのである。時々、それを羨ましく思うが、やはりネコにはなれないとも感じる。どうしても人につくことをしないと、「寂しさ」という言葉を払拭することができないからだ。寂しさには冷たさがある。冷たいということはそこに本当に意志が存在するのかと考えてしまうからである。
――氷のような冷たい意志――
 そんなものも存在するだろう。しかし私の中に氷のように冷たいものが存在するかどうか、自分では分からない。存在するわけがないと思っているからである。
 氷のような冷たさは誰にも冒すことのできない硬さがある。しかし、だからといってそれが強さだと言えるのだろうか?
 叩くと脆くも崩れる氷、しかも熱には圧倒的な弱さを示し、すぐに解けてしまう。内面的な強さは感じるが、外部からの圧力には非常に弱いのが氷というものではなかろうか?
 ネコにそんな意志があるとは思えない。しかし誰にも冒すことのできない意志を持っている人を見て、
――ネコのような人だ――
 と思ってしまうのも仕方のないことだ。
 ネコを見ていると、自分もああなりたいと思ってしまうことがある。いつでも好きなことをして、好きなところへいける。それがネコの特権であり、それでいてあまり憎まれたりはしない。
 しかし、嫌いな人は極端に嫌いらしく、見るのも嫌と思われていたりする。アレルギーがある人もいたりして、石を投げつけられたりもする。
 それがネコの特徴でもある。犬を嫌いな人はいても石を投げつけるほど嫌われることは希である。以前犬に噛まれた経験のある人でもない限り、愛玩動物として人間との共存ができるのである。
 ネコのような意志を持ったと思ったことがあった記憶がある。だからこそクラスメイトの女の子の
「ネコって意志があるのかしら」
 という言葉に敏感に反応したのだろう。
 その時の私は、穴が空くほどの目で、彼女を見つめていたような気がする。これ以上ないと思えるほど大きな目を見開いて、凝視していたことだろう。しかし彼女は私のその視線に臆すことなく、まともに私の目を見返してきた。そこに幾分かの余裕が感じられたために、私の方が一瞬臆してしまったくらいである。
 その少し前くらいからであろうか? 私はまわりの人がすべて鬱陶しく感じられることがあった。笑顔を向けてくれているのに、それが重たく感じられてくるのである。
 もちろん私から笑顔を見せることもない。最初は無理してでも笑顔を見せようとしたのだが、引きつっていてそれが苦しさを誘発する。相手にもそれが分かるのか、私から目を逸らそうという意志がありありで、それでも私の顔に視線が釘付けになっていて、お互いに苦しいのだ。
 それが鬱病の入り口だということに気付いたのはかなり後になってからのことで、その時は、「ネコ」を思い浮かべるだけだった。
――どうしてネコを思い浮かべたのだろう?
 彼女にネコの意志の話をされて、初めて陥った鬱状態の時も、
――ネコに意志なんてあるのだろうか?
 と感じたことを思い出した。
 自分がネコだとは決して思わない。それは彼女からネコの話をされた後でも同じことである。だからといって犬だとは思わない。犬というのは、人間につくので、従順であり、相手の機嫌ばかりをとり、いつも気を遣っていなければならない。鬱状態でない時の私でも、そこまでできないだろうと思っている。
 宮崎の地で久しぶりにネコを見たような気がする。白いワンピースに白い帽子の女性、私の行く先々で現われるその女性は、幻想的なシチュエーションであり、幻想的なイメージを私に与えてくれる。
 彼女を見ていて「ネコ」のイメージを感じたのは、きっと意志というものが感じられなかったからかも知れない。幻想的な雰囲気はまさしくその場にいる彼女の存在を感じさせないように思えるが、空気が重たかったり、風の感覚を麻痺させるような淫靡な雰囲気を醸し出していたり、私が錯覚を起こしているような気持ちにさせる不思議なものだった。
――本当に彼女は存在するのだろうか?
 いろいろなネコがいて、皆同じ顔をしているのに、私には自分がどんな顔のネコなのか分かるような気がする。ネコではないと思いながら想像できるのは、心の底が自分でも分からないからだろう。白いワンピースの女性のネコとしての顔が思い浮かんでくる。私と同じような顔に見え、そう思うと他のネコが皆違う顔に思えてくるのだ。
 そういえば風の噂で聞いたと言って、おばさん連中の井戸端会議を耳にしたことがある。今までであれば、いくら子供とはいえ、いや子供だからこそ、おばさん連中の井戸端会議から耳を貸そうとはしなかったことだろう。しかし今回の噂の人というのが例の未亡人だったことで、自然に耳が傾いていった。聞こえるべくして聞こえてきたような気がして、私には好都合だったのだろうか?
 話を聞いてみると、どうやら例の未亡人は気の毒な人のようだ。性格的にも本当のお嬢様だったようで、元貴族の家庭の中でお嬢様としての教育を受けて育ってきたようだ。そのため他の人にはない上品さを兼ね備えていて、子供の私にもそれは分かっていた。習い事やしつけもしっかり受けていて、身のこなし一つを取っても、他の奥様には真似ができないことだったように見えた。
 中にはそんなお嬢様に嫉妬の炎を燃やしていた奥さんもいただろう。家庭の中がうまくいかず、金銭的にも困っているような人には、ただのやっかみしか浮かんでこないだろう。それだけにどのような目で見られていたか分からないが、少なくとも女性としての魅力が醸し出されていることは、おばさん連中の会話からも分かった。その上でおばさんたちは未亡人を「気の毒」だと評していた。
「彼女も大変よね。ちょうどの時に旦那さんに亡くなられて」
「ええ、そうね。遺産相続の問題なんかも結構大変だったみたいよ」
「そういえば、たくさんの方がいらしていたみたいね。きっと揉めるだろうとは思っていましたわ」
「弁護士さんに任せたのでしょうが、彼女も心身ともに疲れたのね。さすがにあの屋敷に住んでいられなくなったんですものね」
 内容までは分からなかったが、未亡人の苦労する顔など想像したこともない。また、私に想像できるものでもなく、人間関係や金銭的なことで歪む彼女の顔を想像することは、まるで彼女を冒涜するかのごとくであった。
作品名:短編集13(過去作品) 作家名:森本晃次