短編集13(過去作品)
「亡くなったらしいわね」
「ええ、今度盛大に告別式が行われるらしいの。きっとたくさんのすごい方たちがいらっしゃるんでしょうね」
文字にするといかにも上品だが、横で聞いていると羞恥も露なアクセントに、
――おばさんたちの井戸端会議のいやらしさ――
を思い知らされたような気がする。
まさしく今まで陰気で人も立ち寄らない、ある意味威風堂々とした屋敷が初めて目立つ時がやってくるのである。しかし、それが最初で最後になることは明白で、何とも皮肉なことに思えた。ずっとこの佇まいのまま、堂々としていてほしかったという思いもあったのだが、一度盛大になったあと、本当に朽ち果てたかのように陰気な佇まいが半永久的に続くことを約束させられたように思うのは、いささか寂しいものである。人間の感情なんて、実にわがままなものだ。
告別式は盛大に行われたようだ。さすがに子供の私には近づくことを許されなかったし、表から見ているだけでは、本当の盛大さが分からない。しかし、本当の屋敷の顔を知っているのは私たち子供だけだという自負もあったので、それほどの興味もなかった。
――きっと中に入れば、思ったより狭く感じるんだろうな――
空気の重々しさが屋敷を広く感じさせていると思っていたからだ。
告別式も終わり、しばらくは今までどおりの静けさを取り戻した。人が住んでいるのに感じない人の気配、そこには時間というものが存在しないようにさえ思えた。
しかし時間は確実に時を刻んでいた。同じ人の気配を感じないと思っていた中でも、途中から違った感覚がそこにあったのだ。それからだった、その屋敷が空家になったと聞いたのは……。
屋敷の主人が亡くなり、その後未亡人となった奥さんは、実家に帰ったということを聞かされたのである。聞かされたといっても、噂を耳にしただけで、考えてみればそれも致し方ないことである。ただ自分の感じた、人の気配の変化が本当だったんだと思うと、何かその屋敷に想いを残してしまったかのように感じる。しかし、その日を最後に屋敷に近づくことはなかった。そこにはもう私の待っている人がいないという思いが強かったからである。
屋敷の中の想いは、そのまま未亡人への想いとして私の中に当分残ることになった。
それから、初恋をしても私の中に誰かがいることを意識していたが、それがその時の未亡人であることを、最初私には分からなかった。ただ心の奥に、
――誰かを見つめているもう一人の私――
を漠然と感じるのである。
その屋敷にはそれから毎日行っていた。別に何をするというわけではないのだが、とりあえず敷地内に入り、人の気配を感じようとしていたのだ。私には分かっていたのかも知れない。いったいいつからそこが空き家になったかをである。いや空き家になった人いうよりも、未亡人がそこからいなくなった日と言った方が正解だろう。
空気の重たさを感じなくなったのである。そして風の流れを感じるようになった。空気の重たさを感じることが、そのまま未亡人の吐息であり、心臓の鼓動だったような気がするのだ。その重たさがなくなると、湿気も感じなくなり、爽やかな空気に包まれている。それでは私の気持ちは満足しないのだ。それもあってか、風の流れをまともに感じることで、そこに未亡人のいない空間が出来上がってしまったことを感じるのだ。
今まで冬であっても青々と茂っていた裏の森も、落ち葉が目立つようになってきた。秋も深まる時期なので当たり前なのだが、以前は落ち葉があっても青々とした葉が落ちているだけだった。しかしそれからは、赤や黄色の落ち葉は目立つようになったのである。カサカサになって、枝についていることもできなくなり朽ち果てた葉、それはまさしく季節感を表わしていた。
本当はこうでなければならないのだ。朽ち果てて落ちてきた葉っぱに精気があるがごとく、青々として光沢のある方がおかしいのだ。しかし私はそれを今まで不思議とも何とも感じなかった、ここではそれが当たり前とさえ思っていたのである。それだけ、ここが私にとって特別な場所であったということと、感覚を麻痺させるに十分な雰囲気を醸し出していたということなのだろう。
それからしばらく私はこの場所を忘れることができなかった。親の転勤の都合でいろいろな場所に赴いても、似たような場所がないか、探し回ったものだ。しかしなかなかあるものではない。大きな屋敷があったり、森を後ろに抱える屋敷が存在したりするのだが、なかなか私が感じた空気の重さを感じるところは皆無だった。
――私はネコなのだろうか?
と、ふぃと考えたことがある。
本当であれば、探す相手は未亡人であり、屋敷ではないはずである。未亡人の雰囲気に魅了され、未亡人がいたから空気も重く感じたのだ。憧れというのではないかも知れないが、もう一度重たい空気の感覚を味わいたいと思っているに間違いない。
ネコだと思った理由には、
「犬は人につき、ネコは家につく」
という言葉を思い出したからである。
犬型ksネコ型で、人を見ていたこともあった。学校で先生に内緒でネコを飼っていたことがあったが、その時はエサを求めやってくるネコがかわいらしくて仕方がなかった。友達数人と世話をしていたのだが、時間になったらやってくるネコは従順で、普段はいなくとも私たちがエサを与えにやってくると必ず現われたのだ。
「ネコって意志があるのかしら」
クラスメイトの女の子が、そんなことを口走ったのを今でも思い出す。元々暗い女の子で、グループの中でもほとんど発言がなく、自分から消しているのではないかと思えるほど、存在感が薄かった。そんな娘が呟いた言葉、その時まわりにいた人誰も気付かなかったかも知れないほどの小さな声だったのだが、私にはハッキリと聞こえた。隣にいたからなのかも知れないが、何よりもその時に空気の重さを感じたからである。
それが私は未亡人に感じた空気の重さとまったく同じものかと言われれば自分でも分からないが、少なくともそれまでまったく意識したことのない女の子の存在を感じたのである。
――初めて女性というものを感じたのかも知れない――
私が異性に興味を持ち始めたのは中学に入ってからのことだった。それまでは女性を見ても異性として見ている気もなく、同じクラスメイトであくまでも、「女の子」という存在を意識するだけだった。肉体的に魅力を感じるわけでもないし、また、その頃の私は大人の女性を見て興奮することはあっても、それが異性に対して感じる興奮とは違っていたように思える。
――本能が感じるだけのもの――
そう思っていた。
しかし、それが異性を感じる第一歩であり、最初にそれを感じたのは、その時のクラスメイトだったように思う。
――空気の重たさを感じるのは、本能が感じるのだ――
作品名:短編集13(過去作品) 作家名:森本晃次