春はまだ先 探偵奇談14
王子焦る
視聴覚室の扉を開けると、電気が消えていた。暗い。前方窓際の席だけがぼんやりと明るく、瑞の背中が見えた。伊吹は静かに扉を閉めると、そちらへ歩き出す。
(一人か)
斎藤はもう帰ったらしい。
瑞が暗闇の中で映画を観ている。ヘッドフォンをつけて、机に肩ひじをついて。
鼻をすすっているところを見ると、どうやら泣いているらしかった。画面にはエンドロールが流れていて、もう本編は終わったようだが、余韻に浸っているのか彼が立ち上がる気配はなかった。
(…この後姿ときたらまあ)
壁にもたれ、伊吹は後輩の背中を見る。
切ない気持ちややるせない悲しみといったものに、彼はどうも深く同調するらしい。これまでの付き合いからわかってきた。見た目は派手でも、射を見ればわかる。この男は、他人が想像するよりもずっと、感受性が強くて臆病なのだ。そんなことを思いながら、静かに瑞の姿を見守る。こんなふうに彼の内面が理解できるほど、心を交わしてきたということなのだろう。
画面が暗くなり、瑞が立ち上がる。終わったようだ。壁に向かい電気をつけると、彼は驚いたようにこちらを振り返る。
「あれ、先輩いつからいました?」
「ちょっと前から。何観てたんだ?」
「ん?これ」
DVDのジャケットを渡される。古い古いイタリア映画だった。少年と老人が、笑顔で自転車に跨っている。タイトルくらいは知っていたが、伊吹は観たことがない。
「じいちゃんの家に古いビデオテープがいっぱいあってね。全部録画した映画なの。テレビで放送をするたびに録画してたやつ。この映画も、子どもの頃から何度も観たんだ。巻き戻しすぎて擦り切れて、もう綺麗に観られないけど、DVDならこんなに綺麗に観られるんだね」
瑞は、赤い目をこすって気恥ずかしそうに俯く。まだ鼻をすすっていて、余韻に浸っているところに水を差しただろうか、申し訳なかったなと伊吹は思う。
騒がしい女生徒たちも、こんな彼を知らないだろう。映画を観て、悲しみに深く同調して涙を流す瑞なんて、きっと想像できないに違いない。
「ここにいると見放題だから時間忘れちゃいます。帰りましょうか」
片付けをすませ、コートを羽織った瑞が笑った。
作品名:春はまだ先 探偵奇談14 作家名:ひなた眞白