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偶然の裏返し

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 もちろん、その人がその後どうなったのか知る由もなかった。だが、死を見つめている人というのが分かるのは、あまり気持ちいいものではなかった。まるで自分の心の中を覗かれているように感じたからだ。
 自殺を考えている時というのは、一見大胆になっているように思われがちだが、その時ほど臆病で、誰かに頼りたいと思うことはない。しかし、人に気持ちの中を知られるのがもっとも嫌でもある。自分の精神状態は、矛盾だらけだということを、自覚できる期間でもあったのだ。
 先輩が自殺するまでに、どんな気持ちだったのだろう。そういえば、以前読んだ小説の中で自殺するシーンがあったが、そこで印象的だったのが自殺した男のセリフの中で、
「普段見えない、何か虫のようなものが、自分に話しかけてくるのを感じた。その虫に話しかけられると、少しでも生きようと思っていた気持ちが次第に萎えてきて、どうでもよくなってきたのだ」
 というフレーズがあった。
 自殺についていろいろ考えていた時、確かに自殺しようとしている人が誰なのか分かった気がしたが、自分にはそんな虫の姿は見えなかった。ただ、どこかその人が他の人とは違っていた。今から思えば、何か頭の上に重たいものがあって、苦しいのだろうが、それを押しのけようとする気力を失っているように思えた。それが、小説の中に出てきた虫のようなものだったのだとすれば、頭の中で辻褄が合っているように感じたのだ。
 自殺という中で心中は含まれるのだろうか?
 純也は中学生の時に、そのことを考えたことがあった。
――一人死んでいくのは怖いけど、誰か仲間がいれば怖くない――
 実際に、誰かと心中する場面を思い浮かべてみた。
――相手は誰がいいだろう? 友達? それとも理想の女の子かな?
 などと適当なことを考えたが、相手が誰であっても、一緒に死のうと考えると、自分の苦しんでいる姿を見られると思うと、嫌だった。
 本当であれば、相手が苦しむ姿を見なければいけないので、そちらの方が辛いはずである。同じ苦しみを自分も味わうことになるからだ。苦しんでいる人を見ながら自分も苦しんで死んでいくなんて、こんなに恐ろしいことはない。そう思うと、心中などというのは自分には考えられないと思うのだった。
 では、次に考えられることとして、
――誰かに殺してもらう――
 という考え方だった。
 世の中には、自分で死ぬということよりも、誰かに殺してもらうという道を選ぶ人もいると聞いたことがある。そんな話の小説も読んだことがあったが、小説の中では、その話は枝葉のようなもので、本当に誰かに殺してもらって、死ぬことができたのかということは、明らかにされていなかった。
 その時は、小説の流れの中だったので、あまり気にもしていなかったが、自殺のことを考えるようになると、その時に本当に誰かに殺してもらったのかどうか、気になって仕方がなかった。作者に確認するわけにもいかず、悶々としていたが、そのうちに誰かに殺してもらうという発想が頭の中から自然消滅していた。先輩が自殺したと聞かされた時、最初に考えてからずっと忘れていたことを思い出したのだった。
 そういう意味でも先輩の自殺は純也にいろいろな思いを抱かせることになったのだった。
 純也は自殺する夢を今までに何度か見たことがあった。いつも死ぬ寸前で目が覚めた。夢の中でもいろいろなことを考える。どうすれば楽に死ぬことができるか、それを考えると、いつも楽に死ぬ方法などないのだと気づく。
 しかし、それでも夢の中では死ぬ寸前まで行くのだ。見ているのが夢なので、実際には死ぬことはないということが分かっているからなのか、自分でも分からない。
――いや、夢の中で夢を見ているという夢を見ているのかも知れない――
 と考えることもあった。
 そう思った時、夢は確実に覚めていた。
――ということは、夢から覚める時というのは、ほとんどの時、夢を見ているという夢を感じている時に目が覚めるのであって、目が覚めてから、どうして目が覚めたのかということを覚えていないだけなのかも知れない――
 とも感じた。
 いつも夢は肝心なところで目が覚めるようになっている。それは、夢の内容によるものではなく、夢から覚めるための意識がそうさせるのかも知れない。そう思うと、見ている夢も、「偶然の演出」ではないかと考えるようになっていた。
 偶然の演出とは、起きている時に起こっていることは、夢を見ている時から比べると、そのほとんどが偶然の集積ではないかと思える。
 夢というのは、自分の中で勝手に創造できるものなので、現実のように、誰かの力が加わったりするものではない。だが、自分だけで勝手に創造しているとはいえ、そこに何かの力が働いていないと、肝心なところで夢から覚めたりはしないだろう。その力というのが、「偶然」という力ではないかと思うのは純也だけだろうか。起きている時に集積した偶然という力が、夢を見ることで、自分だけが演出できる力になる。そう考えると、見えない力によって、「予知夢」などのような、普通では説明がつかないようあ夢を見ることはできないのではないだろうか。
 それを思うと、純也は起きている時に起こっている現実に偶然の力を感じるようになったのも無理もないことだった。
――そういえば、先輩が死んだ時に残したという遺書の中に、偶然という言葉が含まれていたような気がしたな――
 時々、常人では理解できないような発想を抱き、それを口にすることのある先輩の残した遺書だっただけに、理解不能でも、
――先輩らしい――
 という言葉で、それ以上深く考えることはなかった。
 先輩にとって、何か偶然が自殺に影響することがあったのだろうが、それが何だったのか、警察も理解できなかった。
「死を目前にした人はえてして、自分でも理解できないことが頭をよぎったりするらしいですからね」
 と言っていたらしい。
 なるほど、警察は現実的なことしかあまり考えない。目の前に見えている事実だけを材料に、考え方も事実から導き出そうとしている。偶然であっても、そこに感情は含まれないと考える人が多いだろう。警察の捜査というのは、どれだけの判断材料を集めて、そこからいかに辻褄が合うような結論を導き出すかによって、事実関係を解明していくのが仕事だと思っているだろう。
「我々は事実を知りたいんですよ」
 と、テレビドラマの刑事はよく話している。純也にもそお気持ちはよく分かるのだが、事実というものが、必ずしも真実だとは限らない。ということは、真実も必ずしも事実だとは限らないとも言えるだろう。純也が今考えていることは、真実と事実の間に、偶然という力が働いているということだった。
 ここでいう偶然というのは、感情というものに影響されるものなのかどうか、すぐには分からなかったが、考えているうちに、
――偶然には、感情は含まれない――
 という結論が導き出されたのであった。
 感情が含まれないからこそ、力となるのであって、人の感情を含むことによって、目に見えない力が介入することはない。なぜなら、感情というのは、目に見える力しか生み出さないからではないだろうか。
作品名:偶然の裏返し 作家名:森本晃次