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偶然の裏返し

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 それなのに、どうして彼女たちが知っているというのだろう。
 同じ社会部の人間であればまだしも、まったく趣旨の違っている旅行雑誌社で、しかも事務員の女の子のウワサ話になっているのだ。下手をすると、純也がばらしたのではないかと思われかねない。少し怖かった。
 ただ、女の子のウワサ話の中で、なぜいまさら宗教団体の総本山に入信取材に行ったことが話題になるというのだろう。社内で当時オフレコになっていた理由とすれば、その時だけでなく、今度は他の人を別に入信取材に派遣するという話もあったからだ。先輩が取ってきた取材内容だけでは不十分だったのか、それとも、先輩の取材は使うことができなかったのか。もし後者だとすれば、
――取材内容がプライバシーの侵害に当たることだったり、宗教団体の隠しておかなければいけない内容、たとえば、世間に公表されてしまうと社会問題にもなりかねない内容が先輩の取材の中に含まれていたのかも知れない――
 と、考えられた。
 そう思うと、先輩の突然の退職と、この時の体験入信に、何かの因果が含まれているのではないかと思うのは、当然のことだろう。先輩にとって良心の呵責がそこに存在しているとすれば、退職してから、先輩が体験ではなく、本当に入信したと考えるのも決しておかしな発想というわけでもない。
 純也が社会部へ疑問を感じるようになったのは、先輩の突然の退職だった。
 純也も、先輩も、あの時の体験入信の前までは、
「宗教団体ほど胡散臭いものはない」
 と思っていた。
 純也は、三十歳になった今でも宗教団体を胡散臭いと思っているが、温泉旅行に行った時に気づかなかった近くにあるという総本山のことは、後になって気になってきたのだった。
 純也は、この間行った温泉が、社会部にいた時に先輩に連れられていった宗教団体の総本山から五キロも離れていないところにあったということをずっと知らなかった。取材で行った時はもちろんのこと、休暇で電車を使って行った時も、近くに総本山があるという話は聞いていたが、まさかそこが以前行ったことがある場所だったなんて、想像もつかなかったのだ。
 先輩の死が自殺だったのか、それとも事故だったのか、あるいは、誰かに殺されたのか、気にはなっていたが、結局その真相を純也が知ることはなかった。
 純也は、温泉旅館に泊まった時、一人の女性が宿泊していた気配を感じていた。遭うことはなかったが、
――もし、出会っていたら――
 という思いがあったのも事実だった。
 純也は、最初に取材で訪れた時と、一人で泊まった時とで、同じ旅館でありながら、明らかに何かが違っているのを感じた。それが、他に誰かが泊まっているという気配を感じながら、出会うことがなかったという事実だったのではないだろうか。
 駅からは宿の人の送迎で向かった途中にあったはごろも伝説のあの場所。何度も夢に見たような気がするのだが、それもハッキリとはしない。
 ただ、最近はごろも伝説の場所とシンクロするように、なぜか先輩のことが思い出された。
 一緒に総本山に行った時の先輩ではない。静かに辞めて行ってから遭ったことなどないはずの先輩が、通勤途中の純也を待っているところである。
 ただ、純也は先輩が自分を待っているところを知っているのに、先輩に近づくことはできない。さらに、自分を待っているはずの先輩は、肝心な純也の姿が見えていないのか、目の前にいても、目を合わせることもなければ、声を掛けてくることもない。まるで、違う次元に存在していて、こちらは姿が見えているのに、相手に伝わらない。相手は意識はできるはずなのに、存在を確認することができないという矛盾というよりも、凸凹の状態を意味しているような存在を形成しているかのようだった。
 そんな純也は、見えている先輩が意識してくれていないのをいいことに、目の前にいる以前助けた女性のことを気にするようになっていた。
 継続した同じ夢を見ているのに、途中から完全に違う夢になってしまっている。
――ひょっとして、夢を見ていながら、さらにその中で夢を見ているのではないだろうか?
 という意識を感じた。
――目を覚ますには、一度、夢の中の夢から目を覚まし、その中で、さらに目を覚ます必要があるのではないだろうか?
 と考えた。
 ただ、夢の中の夢は、本当に夢なのか、疑問に感じられた。
 マイナス同士を掛け合わせるとプラスになるように、夢の中の夢というのは、実際の世界に通じるものがあるのではないかと思うと、下手に目を覚まそうとすると、最初に見た夢の中から抜けられなくなってしまうのではないかと思うようになっていた。
――先輩のことを思い出そうとすると、どうしても温泉旅館を思い出す。温泉旅館を思い出そうとすると、はごろも伝説のあの場所を思い出す――
 先輩とはごろも伝説のあの場所とは、純也の意識の中でシンクロしているようだ。ひょっとすると、先輩の死んだのは、あの場所だったのではないだろうか。
 そういえば、あの場所に花束が置かれていたような気がする。あの時は漠然と見ていたので意識はあまりなかったが、花束は旅館に泊まっていた女性が持ってきたものだったのかも知れない。
 純也は自分が偶然の中に身を置いていることを意識していた。偶然というのは、自分が意識しているわけではなく、何かの力が働くことで、自分に対して繋がりのある何かが起こっていることだと思っていた。本当にそれだけで理解していていいのだろうか?
 純也は先輩のことが、まるで自分のことのように感じられてきていることを意識していた。元々、誰かの身に起こっていることを、自分の身に置き換えて考える方だった。特に子供の頃には、テレビで見ている出来事を自分に置き換えてみることが多かった。それはアニメであったり特撮であったり、ドラマであったりもする。
 しかし、実際に起こっていることをニュースで流されている場面だけは、自分に置き換えることはできなかった。それはドキュメンタリーであっても同じことで、要するに実際に起こっていることを自分に置き換えることはできなかったのだ。
――架空だと思っているからできるんだ――
 リアルな状況を、自分で想像することはできても、そこに自分の身をおくということはできない。そこまでの勇気がないのだ。
 小学生の頃は、架空であるアニメなどで起こっている核戦争などでシェルターに入り込み、生き残った人間たちが、たくましく生きている姿を自分に置き換えることができた。
 しかし、中学生になった頃には、アニメを見ていて、次第に他人事のように思ってくるのを感じた。
――小学生の頃は、もっと面白いと思って見ていたのに――
 と、どうして面白くなくなったのか、その理由が分からなかった。
 子供の頃の方が、架空と現実を自然と分けて見ることができたのだろう。大人になるにつれて、架空と現実の分け目に対して、感覚がなくなってくる。アニメや特撮を見ていて、何が楽しいのかというと、
――自分に置き換えて見ていることが楽しかったんだ――
 と感じるようになったのは、大学生になってからだ。
作品名:偶然の裏返し 作家名:森本晃次