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偶然の裏返し

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 さらに、建物の中に入ると、最初に目立った赤い鳥居の真っ赤な色が目に焼きついたまま、建物も屋根から柱と、真っ赤に彩られていた。これほど目立つ建物もないのではないかと思ったが、
「これくらいの赤い建物は、昔のお寺には珍しくありません」
 と、案内役の人の相変わらずの淡々とした話だった。
 ここまでは先輩を助手席に乗せて、自分が車を運転してきたのだが、遠くからでも見えた山の中腹にある真っ赤な総本山、それを見た先輩は、
「稲荷神社のようだな」
 と一言口にしたが、純也は稲荷神社をすぐに想像できた先輩の感覚が自分とは違っていることに気がついた。
 しかし、先輩から稲荷神社と言われてすぐにピンと来たのだったが、先輩の遠くを見るような視線を見ながら、
――一体、どれほどの稲荷神社を見てきたんだろう?
 と、先輩を見ていて、そう感じた。
「稲荷神社というのは、子供の神様だって思っていますけど、ここの総本山もそうなんでしょうかね?」
 と聞いてみると、
「それは分からないが、他の神社に比べて目立っているのは確かだな。宗教団体というものがどれほどのものなのか、少し興味があるのも事実なんだ」
 という答えが返ってきた。
 自分の期待した答えではなかったが、少なくとも先輩は宗教に興味を持っているのは確かなようだ。それが記者としての興味本位なのか、それとも人間として宗教というものに興味を持っているのか分からない。最初は記者としての興味本位だけだと思っていたが、この時の先輩の遠くを見るような視線は、真っ赤な色で稲荷神社を真っ先に想像したという思いとともに、印象深く、純也の心の中に残っていた。
 先輩と一緒に入った総本山の建物の中、圧倒されたのは間違いないが、何に圧倒されたのか分からなかった。
 規模の大きさからなのか、すべてを真っ赤に彩られた迫力からなのか、無駄な広さから、無限に広がる可能性のようなものを感じさせられたとでも思ったのか、先輩を残して一人帰ってくることに、後ろめたさのようなものさえ感じられた。
 先輩の体験入信は一週間だった。一週間という期間が長いのか短いのか、純也には分からない。きっと実体験として感じている先輩にしか分からないだろう。
 純也は、一週間して、先輩を迎えに行くことになっていた。
――どんな風に変わっているんだろう?
 純也の頭の中には、
――先輩は変わっていない――
 という選択肢は存在しなかった。
 約束の時間は午前十時だった。少し早いのかも知れないが、宗教団体側からの申し出だったので、ただ従うしかなかった。
 最初に先輩を引き渡した座敷で待っていると、
「今から連れてまいります」
 といって信者が連れてきた先輩は、少し細っそりとしていた。
「お約束の一週間ですので、お兄さんはお返しいたします。どうもお疲れ様でした」
 と言って、信者の人はその場から退席した。
 残された二人だったが、余計なことを口にするわけにもいかず、
「兄さん、それじゃあ、行こうか?」
 と言って、その場を立つと、先輩は無表情で純也の後ろからついてきた。
 先輩は、以前から無口だったが、ここまで無表情というのは少し以前とは違って感じられた。
――先輩は変わってしまったのかな?
 と思ったが、変わってしまったのだと思うと、どうもそうでもないように思えた。
――元々、こんな性格で、それを表に出さなかっただけなんじゃないだろうか?
 今回の潜入捜査のような仕事も、最初は先輩の記者としての興味と、仕事に対しての前向きな姿勢の表れだと思っていたが、会社の命令で嫌々やらされたのではないかと思うと、それを否定するだけの材料が見当たらない。
 純也は配属されて間もないので、人の性格まで把握できているわけではなかった。何も知らない状態で、どんなことにも興味を持ち、しかも、先輩の性格を分かっていない自分を弟に仕立てたのは、会社側に何らかの意図があったのではないかと思えた。
 先輩は帰りの車の中では一言も口にしなかった。純也も先輩から口を開いてくれないと、自分から何かを聞くというわけにもいかず、気まずい雰囲気のまま、会社に戻ってきた。
 一週間前と同じ道を帰ってきたにも関わらず、行く時に比べて、こんなに長い時間を味合わさせられるとは、思ってもいなかった。
――先輩は変わっていないという選択肢、どうしてなかったのだろう?
 先輩の顔を見る前に感じた思いに疑問を感じた純也は、気まずい車の中の密室を、どんな思いでいたのか、後になってその思いを感じることはできなかった。
 会社に戻ってから先輩は、
「上司に報告してくる」
 と言って、部長と会議室に入った。
 三十分ほどして出てくると、
「記事にするのは止めになった」
 と一言言われた。
 今までの純也なら、
「どうしてなんですか?」
 と意見をしただろう。下手をすれば詰め寄ったかも知れない。しかし、その時はそこまでの勢いは自分にはなかった。まるで金縛りにでも遭ったかのように、先輩に見つめられると、何も言えなくなったのだ。
 それ以上、先輩は何も言わなかった。純也が何も言わないのをいいことに、一人黙々と仕事を始めた。まるで人が変わったかのように見えたが、まわりの人は誰も先輩の様子を気にもしていないようだった。
――先輩が変わったと思っているのは、僕だけなのかな?
 と感じた。しかし、そう感じたのもその日までで、翌日になると、先輩はいつもの先輩に戻っていた。
 だが、純也は却ってそこに違和感があった。先輩が変わってしまっていると思った次の日、急に元に戻っていると感じた自分に違和感があったのだ。
――昨日の先輩の雰囲気が思い出せない――
 と思ったからで、今日になって先輩を見た時、
――いつもの先輩だ――
 と感じたのと同時に、
――昨日の先輩とどこが違うんだ?
 と感じたことで、昨日の先輩を思い出そうとして思い出せないことに違和感があったのだ。
 昨日の先輩と今日を敢えて比較しようとしたから思い出せないのかも知れない。比較するのではなく、ただ思い出そうとしただけであれば、思い出せたのかも知れないと感じたのだ。
 そんな先輩が退社したのは、それから一ヶ月経ってからのことだった。辞めるまでの一ヶ月というのは、まったく覇気が見られなかった。
――やる気が失せたというのは、こういう人のことを言うんだ――
 と、まるで絵に描いたような退職劇だった。
 先輩が辞めると言った時、誰も止める人はいなかった。純也が入社してきてすぐに、
「この人が君の教育係になるんだよ」
 と課長から紹介された時に感じた覇気は、間違いだったのだろうか?
 先輩は、送別会もしてもらえなかった。そのことについて誰も疑問を抱く者はいなかった。
「俺は静かに去るだけさ」
 そう言って、本当に静かに去っていった先輩だったが、いなくなってしまったら、まるで最初からいなかったような気がしてくるから不思議だった。
――僕くらいは、覚えておいてあげなければいけない――
 と、先輩が辞める時に感じていた。
 つまりは、先輩が辞める時、誰もが先輩が在籍していたことすら意識していないほど、影のような存在だったと思っているのではないかと感じていた。
作品名:偶然の裏返し 作家名:森本晃次