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偶然の裏返し

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 目の前に一人の男の子がいた。彼は思い詰めたような顔をしていたが、それ以上に、吹っ切れた様子でもあった。すると、その向こうに一人の女性がいいた。その女性の顔は分からなかった。想像するしかなかったが、大学生の女の子という情報が頭をよぎった程度で、それ以上はハッキリとはしなかった。
 彼女は男の子を説得している。どうやら、男の子は家を出ていくようだった。
――なるほど、この二人は姉弟なんだ。弟が家を出ていこうとするのを姉が必死に止めているんだ――
 そんな状況が見て取れた。
 男の子が思い詰めているのは、姉への後ろ髪を引かれるような思いからだろう。しかし、それ以上に決意が固いのだろう。吹っ切れた様子は、それ以上のものだった。
 だからこそ、姉は必死に止めようとする。
――ここで踏ん張らないと、二度と弟は帰ってこない――
 という思いの表れに違いない。
 弟は姉を吹っ切って家を出ていく。その先は闇となっていて、男の子がどこに行ったのか分からなかった……。
 そして場面はまた変わった。
 男の子は学生服を着ていて、椅子に座っている姿が映し出された。どうやらそこは教室のようで、普通の高校の授業風景だった。
 男の子が先生から刺された。
「お前、これを答えてみろ」
 どうやら数学の授業のようで、男の子は言われた通り、前に出て、黒板に向かって回答していた。
 男の子はうろたえていた。
 後ろからの視線に怯えを感じていたのだ。
 後ろを向いていると余計に背中からのひそひそ声でも大きく聞こえる。ひそひそ声だからこそ、余計に聴き耳を立ててしまうのだ。
――皆、そんなことは百も承知でわざとひそひそ声で話しているんだ――
 男の子は分かっていた。
 先生の怒りの声が罵声となって飛んでくる。
「こんな問題も分からないのか。お前は本当にダメなやつだな」
 ひそひそ声が、失笑に変わる。先生の罵声は嘲笑いに変わる。
「もういい。他のやつに頼むさ」
 と言って、先生は男の子を座らせた。
――わざとだ――
 男の子の気持ちが聞こえてくるようだった。
――どうせ俺ができないことは分かっていて、皆でバカにしようとしているに違いないんだ――
 と思った。
 その時の男の子にはどうして自分がそんなに苛められるのか分からかった。
 まわりがいつの間にか苛めに回っていて、誰も助けてはくれない。本当なら少しずつ敵が増えていくのが普通なのだろうに、どうして自分だけがこんな目に合わなければいけないのか、まったく分からなかった。
――まるで村八分だ――
 苛めというのは、こうやって始まっていくんだろうが、こんなに一気に敵ができるというのは、聞いたことがない。夢を見ている純也も、苛められている本人よりも苛立っていた。少年が逆らうことができないのも分からなくはないが、苛立ちはまわりだけではなく、その男の子にも向けられている自分の心境に、いたたまれないような思いがしているのも事実だ。
――何だ、この思いは――
 純也は夢の中で、登場人物を通して自分に苛立ちを覚えたのだ。
 自分も苛めに遭っている同級生がクラスにいた。実際には先生や大人には分からないようにしていたので、表向きは目立たないようにやっていたことになるのだろう。
 苛めている方は、決まっているわけではなかった。確かに苛めが始まるきっかけというのは誰かにあったのだろうが、苛めの拡散は早かった。そのうちに誰が最初に苛め始めたのかということすら、別に問題ではなくなっていった。
 だいぶ前の苛めというと、苛めっこと、苛められっ子という構図ができあがっていて、それ以外の人は傍観者だった。しかし、純也が味わった苛めの世界というのは、そういう構図ではなく、苛められっ子以外は、皆苛めっ子だったのだ。
 もちろん、数少ない傍観者もいるにはいたが、彼らは放っておくと自分たちが苛められるようになることに気づいていなかった。昔の苛めというものを考えると、どうしてこういう構図になったのか、分からなくもなかった。
 一昔前の苛めが社会問題になった時、
「悪いのは苛めっ子だけではなく、傍観者も苛めをしていたのと同じだ」
 という大学の偉い先生たちが言い出してから、傍観者に対しても罪があるということが世間一般に知られるようになった。
 偉い先生たちや大人たちの狙いは、
「傍観者に罪の意識を植え付けて、それが苛めの抑止力になればいい」
 というものであったが、実際にはそんなに甘いものではなかった。
 子供の世界を大人の世界と一緒にして考えようとしたのがそもそもの間違いなのか、それとも一筋縄で片づけようという安易な考えがあったのか、その目論見は、目的とは少し違った方向に向けられたのだ。
 あくまでも、苛め問題に対して解決策のターゲットは、傍観者たちだった。
 傍観者というのは、数からすれば、苛めっ子の何倍もの人数なので、数の理屈からすれば、確かに、
「苛めの抑止に繋がる」
 という考えは、理に適った考えだったのかも知れない。
 しかし、一刀両断とは行かないのも世の中の常ではないだろうか。
 傍観者たちに集団意識というものが存在していれば、そこに数の理屈は存在したのかも知れないが、傍観者は皆孤独であった。
「自分さえ苛めの対象にならなければいいんだ」
 と皆が考えていたはずだ。
 そもそも傍観していたのは、
「苛めの対象になりたくない」
 という思いから来ることで、苛めの対象になるのは、傍観者の中で目立ってしまうと、対象が自分に移ってしまうからだ。
 いくら世間が、
「傍観者も苛めっ子と同じで罪なことだ」
 と言ったとしても、実際に手を下しているわけではないので、法で裁かれることもない。しかも、その他大勢が傍観者なのだから、傍観者一人一人を罪で裁くことなど不可能だ。
 それよりも、自分が目立ってしまって苛めの対象になることは、これほど危険なことはない。それならまだ、苛めっ子に転身してしまう方がいいだろう。そういう意味で、その後の傍観者は、傍観者としてそのまま苛めの体勢をやり過ごすか、自分が苛めっ子に転身するかのどちらかだった。苛めっ子に転身した人は、その後の人生に大きな汚点を残してしまい、その汚点がいずれ、進学や就職に直接影響してくることになるのを知らないまま、その場に流されることになるのだ。
――これなら、傍観者の方がよかった――
 苛めに対して、世間は罰則を強化した。それでも苛めはなくなることはなかった。それは傍観者という存在が苛めという体制をやめさせることのできないものとして、無言の圧力を与えていたのだった。
 傍観者をターゲットにしたのは完全な間違いで、それ以降の苛めの構図は、傍観者が苛めっ子になってくるという構図に発展していた。
 いくら苛めに対しての罰則を強化したとしても、苛めっ子が増え続けることで、今度は罰則の強化が社会問題になった。
「せっかくの人材を、苛めっ子だったというだけで埋もれさせるのはもったいない」
 という意見が企業が大学側から出て、結局、苛めに対しての罰則は元に戻された。
作品名:偶然の裏返し 作家名:森本晃次