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偶然の裏返し

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「そうですか。実はその温泉から五キロほど離れたところに宗教団体の総本山があるらしいんですが、ご存じでしたか?」
「いや、そんな話は聞いてなかったな」
 もし、その話が本当だとすれば、宿の人の口からわざわざそんな話が出るとは思えなかった。宗教団体というと絶えず何かの問題から、世間を騒がせているイメージがある。特に二十年くらい前に世間を震撼させたテロ集団のような宗教団体を思い出す人も少なくはない。宗教団体の話を出した時点で客が訝しい気持ちになることは分かり切っているからだろう。
 実際に純也がその話を聞かされていたら、それ以降の気分はまったく違っていただろう。いや、今は旅行関係の仕事をしているとはいえ、元々はジャーナリストを志したものとして、宗教団体に興味を持ったかも知れない。
――いやいや、そんなことはないか――
 一旦は忘れた夢、それをいまさら思い出すこともないはずだ。
 今では人のウワサ話すら、
――なるべく気にしないようにしよう――
 と思っている。宗教団体のような胡散臭い話には、嫌悪以外の感情を抱くことはないはずだった。
 それを思うと、
――何を今さら――
 と、わざわざ自分にそんな話をしている後輩の意図が分からなかった。興味本位で仕入れた話題を自分だけで抱え込んでおく気はなく、気楽な気持ちで純也に話しているだけなのかも知れない。
 しかし、聞いてしまった以上、いくらいまさらだと思っていても気になってしまうのはジャーナリストへの思いが残っているせいなのか、それともただの興味本位なのか分からない。ただ、このまま聞き捨てておくことができなくなってしまっている自分に苛立ちを覚えていた。
「昔話と宗教団体と、どういう繋がりがあるというんだい?」
 これが後輩の言いたいことであることは明らかだった。純也が話に食いついてきたのが分かったところで後輩は唇をニヤッと歪め、
「僕もネットで発見しただけなのでハッキリしたことは分かっていないんですが、その宗教団体は、まわりの逸話のほとんどに自分たち宗教団体が過去からずっと影響しているのだと話しているんですよ」
 宗教団体であれば、それくらいのことがあっても別に不思議はないだろう。
「それで?」
 純也は後輩の言いたいことがいまいち分からなかった。
「昔話というのは、おとぎ話のように子供向けのものではなくて、その当時の支配者が自民を先導するためにでっち上げた話も多いということです」
「というのは、プロパガンダということかな?」
「ええ、そうです。だから、全国には似たような昔話が多く残っているでしょう? どこまでが信憑性のあるものかは分かりませんが、それも土地に根付いた民族性で少しずつ変えているのだとすれば、分からなくもないですよね」
「なるほど、今の世界のよりも、ひょっとすると地域ごとの密着もあったのかも知れないということだね」
「ええ、民族性にこそ違いはあれ、支配者とすれば、臣民を支配するという意味では共通しています。だから、支配階級の間では強力なコミュニケーションが図られていたのかも知れません。今ではそれを証明することはなかなかできないんですけどね」
「でも、理屈からいけば、それもありえるよね。田舎にいけばいくほど、中央集権の時代であっても、藩閥制度のように、地方自治に近い時代であっても、薄くなってくるはずだからね」
「ええ、あの宗教団体が今のように大きくなったのは、ある時期を境らしいんですが、それまでは、地味に表に出ることがなかったそうです。でも、一度一気に大きくなったんですが、その後、勢いに任せてさらに大きくするようなことはなかったようです。あくまでも地味に存在していて、だから、今も生き残っているんじゃないかっていう意見もあるようなんですよ」
 後輩は熱弁をふるっていた。
「君の情報はどこからなんだい?」
 後輩の熱気と眩しさに圧倒されそうになっていたが、一旦冷却の必要があると思った純也だった。
 純也が思ったよりも落ち着いていることで半分我に返った後輩は落ち着いた口調で、
「ネットに出ていたことなので、すべてに信憑性があるとは言い切れないんですが、こうやって話題に出せば、それなりに同じ意見でそのまま発想が豊かになりそうな感じであれば、そこには信憑性を見出してもいいような気がするんですよ」
「なるほど、確かに君のいう通りかも知れないな」
「樋渡さんが、この間行った温泉も、距離的にも宗教団体の影響を受けていて不思議がないように思えるんです。行った時はそんな先入観がなかったので無理もないと思いますが、今、俺の話を聞いて、何かピンとくるものがなかったのかって思いましてね」
――この男、一体何を知りたいというのだろう?
 純也は、後輩が純也からどんな情報を得たいと思っているのだろう。純也のどんな回答を期待しているというのだろう? 純也は後輩の顔を見ながら考えていたが、彼の考えていることは分かるはずもなかった。
 純也はそんな後輩に対して、まず表情でその答えを伝えた。
「そうですか。何もありませんか」
 表情で回答を察知した後輩は、少し落胆したように答えたが、その様子は本当に落胆しているとは思わなかった。最初から分かっていたという様子である。
 ということは、これが彼の最終目的ではないことは分かった。彼の目的は今すぐに出てくる答えを期待しているわけではなく、この時点では疑問を持たせることが目的だ。そしてこれから自分がやろうとしていることに純也も巻き込もうと思っているのかも知れない。純也とすれば、なるべくそんなことに巻き込まれたくはなかった。正直、
――いい迷惑――
 なのだ。
「今日は、これくらいにこの話は終わりにしましょうか?」
 後輩の方から、今日の話としては幕を引いてきた。
 これは純也にとってありがたいことだった。言い出したのは後輩の方なのだから、純也の方から幕を引いたとしても、別に問題はないはずなのに。純也には自分から幕を引きたいという思いはなかった。
――ん? 待てよ。こんな風に感じるということは、それだけ自分がすでにこの話に興味を持っているという証拠ではないか?
 そう思うと、後輩の作戦に引っかかってしまったことに気が付いた。その証拠にホッとしている純也の顔を見て、少しだけ「ドヤ顔」になっている後輩の顔が、目の前に鎮座しているからだった。
 次の日の朝、目覚めはあまりよくなかった。なぜなら、その日の夢を覚えていたからである。
――怖い夢だったんだな――
 目が覚めた瞬間、その夢が怖い夢だったということを意識した。そして目が覚めていくにしたがって、その夢の全貌が少しずつ明らかになっていくのだった。
 夢は過去に遡るように思い出された。しかし、最初に思い出したのは、夢から覚める瞬間ではなく、その少し前からだった。
――目を覚ますきっかけになるところからは、最後に思い出すに違いない――
 と感じた。
作品名:偶然の裏返し 作家名:森本晃次