偶然の裏返し
と感じた。
それから、しばらくして、もう一度インタビューに答えることがあった。街を一人で歩いていた時、テレビ局のインタビューを受けたのだ。ちょうどその時は高校生で、予備校の帰りだったように思う。
「ほんの少しでいいので、ご協力願えますか?」
と言われたので、
「はい」
と答えた。
インタビューの内容は、本当に些細なことで、時間的にも一瞬だった。しかし、スポットライトが自分に当たり、少ない人ではあったが、通行人のほとんどが、歩きながらでも純也に注目していたのである。
「ありがとうございました。放送日はここに書いていますので、よかったら、ご覧ください」
と言って、一枚の紙を渡された。
インタビューの内容がアンケートのようなものだったので、ピンとは来ていたが、番組はゴールデンタイムのクイズ番組だった。
――どっちの意見が多いかというようなそんなインタビューだったんだろうな――
なるほど、それであれば、インタビューが一瞬であったのも説明がつく。放送日は一週間後の夜七時からで、一応、ビデオ録画しておくことにした。
ちょうど、その時間、家にいることができたので、自分の部屋でその番組を見ていた。本当に一瞬だったが、純也がインタビューを受けている。あまり気にして見ていなければ、自分を知っている人が見ていたとしても、これが純也であったということを分からずにやり過ごしてしまうほどだった。
実際に、出演したのが知っている人で、純也が視聴者だとすると、事前にテレビに出ているという話を聞いていないと、きっと見過ごすに違いないと思えた。それほど純也は、テレビを漠然としてしか見ていなかったのだ。
自分の出番を見ていると、
「やっぱり、声のトーンの違いに、訛りのある話し方には特徴を感じるな」
と呟いた。
せっかく録画はしたが、それから録画テープを見ることはなかった。しかし、消すには忍びないと思ったのか、その時のビデオテープはあだ保管してある。
――いまさら見ることなんかないはずなのに、何を後生大事に持っているんだろうか?
と思っていた。
純也は、三十歳になった今になって、電車の中で自分の声を聞いてしまったような気がして仕方がなかった。
相手の女性が確かにあの時の女性だったとすれば、相手の男性の声が気になってしまう。その声の主が、聞き覚えのある訛りを喋っているのを聞くと、本当に他人事には思えない。
同じ時間に同じ次元で同じ人間が存在できるはずもないのに、その声の主が中学の時の弁論大会での自分の声なのか、それとも高校時代のインタビューを受けた時の声なのか、想像していると、時間だけが悪戯に過ぎていったのだ。
純也は、結局自分が降りる駅まで、その時の声の主を発見することはできなかった。声がしたのが、途中の駅に到着する寸前だったので、ちょうどその駅で降りたのかも知れない。満員とは言わないまでも、結構人の乗り降りが激しい駅だったので、人の波に呑まれてしまうと、確認することは容易ではない。
――きっと、途中で降りていってしまったんだな――
と考えると、どこかホッとした気分になっている自分がいるのを感じていた。
電車を降りてから会社までは、徒歩で十分ほど、ただ、それも信号に引っかからなければの話なので、決して近いとはいえないだろう。駅からの人の波は、途中までは感じることができるが、次第に人の数もまばらになっていって、最後にはまわりにほとんど歩いている人がいないほどになっていた。
事務所は雑居ビルの二階にあった。エレベーターを使うまでもなく、非常階段と書かれた扉を開いて、そこから事務所へと向かい。二階の扉を開くと正面に、旅行雑誌部があった。
本社ビルからは、結構離れている。そのおかげで、社会部の連中と顔を合わせることもないので、気は楽だが、最初はさすかに寂しさを感じた。
――やっぱり、左遷だったんだ――
嫌でもそう思わせる人事であり、場所が離れていることをそれが証明していた。事務所も社会部のような戦場ではなく、慌しいことなど何一つない、気楽な部署だった。
さすがに最初は自分の身を持て余していた。
「僕は何をすればいいんですか?」
上司としても、何をさせればいいのか迷っていた。
何しろ元は社会部。この部署からすれば、花形に見えるだろう。そう思うと、気を遣っているのが分かった。
しかし、実際に彼らは社会部を花形だとは思っていなかった。
「あんな自由のない部署に行かなくてよかった」
であったり、
「あそこに人権なんてあるのかしら?」
とまで考えている女子社員もいるほどだった。
「樋渡君も、ここに来たのなら出世や人を蹴落とすようなことを考えなくてもよくなったんだから、自分ができることが何かをゆっくりでいいから探していけばいいよ。ここは君の思っているような左遷場所ではない。自由な発想が求められている風通しのいい職場だと私は自負しているよ」
と、転属された時に、部長からそういわれた。
最初は、
――何をそんな綺麗ごと――
と思っていたが、次第にその心が分かってきた。やはり自由というのはいいものだ。
その頃から樋渡は、
――自分は未来のことが分かるようになるような気がする――
まるで禅問答のように思ったが、それは未来のことが分かるようになるという時点で、未来のことが分かっているのではないかと思えるからだ。だが、漠然とした頭の中で一番考えられることでふさわしい言葉といえば、この言葉になるのだった。
樋渡はその日もパソコンを開いて、いろいろな情報を得ることから始めていた。営業に出て営業相手と話をするにも、あらかじめ最低限の情報がなければ始まらない。それは自分の仕事に限ったことではない。今の時代は新聞やニュースよりもネットの方が情報の量や検索の早さを考えれば、圧倒的に有利であることも分かっていた。
この間、休暇を取って赴いた温泉宿のことは、会社に出社した時点で頭から消すようにしていた。思い出すことはなかったといえばウソになるが、思い出として思い出すことはなかった。一瞬頭をよぎるという程度で、そのことでせっかく仕事用に頭を切り替えたのに、休暇モードに頭の中が戻るということはなかった。
「これ、お土産」
と言って、事務員の女の子に渡すと、
「うわぁ、ありがとうございます。楽しかったですか?」
と大げさに喜んで見せる女の子をよそに、
「うん、リフレッシュはできたよ」
と、あくまでもリフレッシュを強調した言い方をした。
彼女の質問に対して正確に答えているわけではなかったが、彼女もそれ以上言及することはなかった。プライバシーにかかわりそうなことには踏み込まないという礼儀は、しっかりとわきまえていた。
他の社員も、休暇について言及することはなかったが、夕方頃になって一人の後輩社員が面白いことを言いだした。
「樋渡さんがこの間リフレッシュで行った温泉なんですが、あの温泉のまわりには、結構昔話のような逸話が残っていたりするらしいんですが、知っていましたか?」
純也は、送迎バスでの話を思い出していた。
「そういえば、送迎バスで送ってくれた宿の人から、羽衣伝説のような話を聞いたな」