短編集12(過去作品)
それ以上のことは言わなかったが、明らかに出雲大社を意識している。出雲大社が縁結びの神様であることは知っていたが、それよりも私にとって今回の旅行は松江に対する思い入れが大きいのだ。
今回の旅行は一週間計画である。国内旅行としては結構長い時間をとっているが、移動などを考えれば結構ハードかも知れない。会社では今まで公休らしいものを取ったことがなく、毎年皆勤に近かった私が休暇を取ることはそれほど難しくはなかった。
「君がいないと少しきついが、まあいいだろう」
上司もそれほど困ったという様子を見せず、口だけだったように思う。一応快く休暇願いを受理してくれた。
「どこか旅行にでも行きたいわね」
そう言い出したのは、初めて美佐子とスナック「カトレア」以外で会ってから、数ヶ月が経ってからだった。
スナック「カトレア」以外で会うようになってから、美佐子は積極的な女になっていた。相変わらず口数は少なく会話としては長く続くことはなかったが、それでも二人の時間は短く感じた。きっとそれはお互いが身体を求めるようになったからだろう。
初めてスナック「カトレア」以外で会おうと言い出したのは、私の方からだった。
目の前にあるポインセチアを眺めながら美佐子に離婚のことについて聞かれた私は、その時はそれほどでもなかったのだが、一度違った環境で美佐子に会ってみたくなった。ちょうど見てみたい映画があったので、誘うと二つ返事でOKが返ってきた。
「私も見たかったのよ」
恋愛映画なので、一人で見るよりも女性と見る方がいい。映画館でもさすがに若いカップルが多く、私たちのように少し年の離れたカップルはどのように見えただろう。確かに年のわりには落ち着いて見える美佐子だが、それでも干支が一回り以上違うカップルである。ジロジロ見られていたと思うのは被害妄想だったのではなかっただろう。
「あなた、結構周りを気にしてらしたわね」
「気付いていたかい? 君は気にならなかったのかい? きっと年が離れているからだろうね」
「年の差なんて気にならないわ。それよりあなたが周りを気にしていたことの方が気になったわ」
そういうと、美佐子は急に腕を組んできた。私の肘が美佐子の胸にあたり心地よい。美佐子が私を上目遣いに見上げるが、あどけなさそうに見えるその目には妖艶さが含まれているようであり、口元が微妙に歪んだのを見た時、美佐子が私を求めているのに気がついた。
その日の美佐子は明らかにいつもと違っていた。私がホテル街の近くに足を踏み入れても足を止めることなくついてくる。私の腕の間に滑り込ませた美佐子の腕が微妙に震えていることから、期待と不安の中で私についてきているのだと分かった。
その気持ちがいつからだったか分からないが、きっと最初からそのつもりだったような気がしてならない、それは後になって考えるからそう思うのかも知れない。
そう考えた時に浮かんできたのが松江だった。
熱で気持ち悪かったのは仕事が終わってからだったにもかかわらず、まるで松江にいる時すべてが、きつかったような錯覚に襲われている。きっともう一度訪れて駅に下りた瞬間、無意識に気持ち悪さが戻ってくるのではないかと感じるくらいだ。幸か不幸か、あれから出張で松江に行くことはなかった。それからしばらくして松江の営業所が閉鎖されたことで、本当に出張はなくなってしまった。
あの夜のことを思い出すと、私の身体が反応する。暗闇に浮かび上がる美佐子のシルエット、それほど背が高い方でもなく、スリムな体型は、強く抱きしめるにはあまりにも辛いものを感じる。白い肌が印象的な美佐子は、薄暗い背景に浮かび上がる身体をくねらせるようにして誘っているかのようだった。
それまで美佐子に感じたイメージは、
――可愛い女性――
だった。可愛い女の子というには大人びたところがあり、シルエットに浮かんだ白い肌を見て、初めて大人びたところを感じた時のことを思い出した。白い肌がまるでヘビのように滑らかで妖艶に見えるのだろう。怪しげな雰囲気を持った女性であることを知ったのも、シルエットに浮かんだ姿を見たからだ。
その日のすべてが白い肌のシルエットに凝縮されているようだ。まるで熱にうなされた時のように、気持ちが昂ぶってくる。松江との接点がそこにあるような気がして仕方がない。
旅行は東京から飛行機で米子まで行き、鳥取、隠岐島と渡り、松江、出雲と廻って、そのまま広島まで行くコースであった。松江、出雲から広島までが少し不便だが、それ以外はそれほど苦にならない。船酔いしないから、境港から隠岐島までも苦にはならない。
初日の鳥取砂丘はさすがに見るべきものがあった。距離感が掴めないとはまさしくこのこと、向こうに見える丘のようになったところを豆粒のような人間が上っていくのが見える。
「はるか遠くだね」
どれくらいの距離か分からずに、呟いた。横を見ると美佐子が背伸びでもするかのように眺めている。
「最初見た時はあっという間にたどりつける気がしたんだけど、ここから見ていると本当に遠いわね。でも実際に歩いてみると、すぐみたいな気がするでしょうね」
「何だい? まるで禅問答みたいじゃないか?」
「ええ、そうなのよ。でも、今の私の気持ちを素直に表現するとそうなるのよね」
歩きながらの話で、私は笑っていたが、ふと前を見るとまだまだ遠い、そして後ろを振り向くと、もう、かなり来ている。目の錯覚には違いないが、何とも変な気がした。
「あまり後ろを振り向かない方がいいわよ」
そう言う美佐子は決して振り向こうとはしない。
私はクリスチャンではないが、世界史の中で話していた先生の話を思い出した。それは聖書の中の話で、人間の心も街全体も興廃してしまったところを滅ぼすという話である。神はその中でも生かしておきたい人々を街から脱出させるが、その時に、
「決して後ろを振り向いてはなりません」
という約束ごとがあった。
昔話や神話の類には、必ずある言葉ではないか。
「決して開けてみてはいけません」
という「鶴の恩返し」しかりである。
しかし人間というのは因果なもので、「見るな」と言われると、どうしても見てしまいたくなるもの。そんな気持ちの悪戯が昔話や神話として、読む人間を戒める。
実際に物語では、一人の男が滅びいく街が気になってしまい、後ろを振り向くことになる。男は石になって、そのままそこに置き去りにされるという話だった。
砂丘を見ていると遠近感とともにその光景が浮かんでくるのである。石になった男が固まったまま、そこに放置されているのか、そのあと、砂となって風に飛んでいくのか、砂丘を見ていると、砂になって飛んでいったという発想もありなのではないかと思えてしまう。
旅行の一日目に泊まったホテルで迎えた最初の夜は、お互いに身体を求め合ったことは間違いない。しかし私はどうしても砂丘で見た光景と、聖書の一場面がダブッてしまい、何となく美佐子が遠い存在の女性に思えて仕方がなかった。
――ひょっとして、砂のように抱きしめると風に舞って飛んでいってしまうのではないだろうか――
などと、果てのない妄想を抱いてしまいそうで怖かった。
作品名:短編集12(過去作品) 作家名:森本晃次