短編集12(過去作品)
ゆかりと知り合うまでは、
――しまった――
という思いが強かったことは否定できない。しかし、ゆかりと知り合い、とんとん拍子に関係が深まっていくにつれ、
――この出会いのために今までの人生があったのだ――
とまで思ってしまう自分が怖くもあった。
それからの私はナルシストに変わってしまった。どちらかというとナルシスト的なところがあったかも知れない。あまり人と同じことをするのを好まない私は、自分がナルシストかも知れないと感じたことが何度かあったのだ。そのたびに後からやってくる鬱状態のために悩まされ、それが反動の引き金になってしまっていることを恨んだりもした。
もちろん、ゆかりから受けた仕打ちが、その引き金だったことに間違いない。そのためか、女性不信に陥ったことも確かだし、人を見る目に自信が持てなくなり、自己嫌悪に陥ってしまったことも確かだった。ナルシストなるがゆえにその反動に苦しめられた時期は長く感じられ、逆に抜けた時にサッパリした気持ちもナルシストなるがゆえなのかも知れない。
――奈緒美が好きだ――
そう気付いて告白するまでにどれくらいの時間が掛かったであろう。
「奈緒美さん、付き合ってください」
他にもいろいろと言ったのだろうが、覚えていない。しかし私の性格からして、一旦告白するとなったら、最初に肝心なことをいうはずである。
「え? どうして私なの?」
そこでしばしの沈黙があったことは覚えている。彼女に対して抱いている好きだという理由も山ほどあるのは自分でも分かっている。しかし、口から出てくる言葉は、
「私は好きな人ができたら、その人がそばにいると眠くなるんです」
であった。
「え?」
不思議そうな顔をする彼女にさらに、
「きっと、安心感があるからだと思うんですよ。包容力のようなものを感じるんだと思います」
かつて、
「あなたは母性本能をくすぐるのよ」
と言われたことがあった。それは一人からではない。何人かの女性からであった。
あまり嬉しいことではないかも知れないが、それが私だということに間違いないのであれば、甘んじて受け入れるのも、自分の中の余裕だと思うようにしている。それで本当にいいのかどうか分からないが、自分をそれ以外で表現できない以上、魅力として考えるしかなかった。
その時は不思議と眠くならなかった。女性に対して初めて「決める」ということをした自分が、まるで勇者にでもなったかのように思えたが、そんな私を奈緒美も、
「ええ、私でよければ」
と、快く答えてくれたのだ。どうやら潔い男性が好きなようだった。
一回スッパリと決めておけば、後はうまく行くもので、それからの交際はまわりにも公認の
――人も羨むような付き合い――
となっていた。
もちろん私には奈緒美しか見えていないし、奈緒美にも私しか見えていなかったであろう。
付き合い始めてからの二人のデートはいつも月曜日だった。
当然といえば当然で、なるべく残業をすることのないように仕事の段取りを立て、奈緒美とのデートを楽しんだのだ。
時には休みを取ったこともあった。休日出勤も余儀なくされる仕事なので、その振替休日を月曜日に取る。私にとって願ったり叶ったりだった。
奈緒美と知り合うまで、休日出勤は好きではなかった。どうしても皆が休んでいる時に仕事をすることになるし、何よりも私の休みの時に付き合える人がいないのが辛かったのだ。
私が休みを取れる時は遊園地などに行ったりして遊んでいる。主導権は完全に奈緒美にあり、昼間のスケジュールはすべて奈緒美が立てていた。しかし、夜は私が主導権を握っている。夜の街は仕事で慣れているということもあるが、スナックなど自分で開拓したところもあるのだ。仕事とプライベートを切り離したいと思っているのは私だけではないだろうし、彼女を見ていて仕事を思い出したくもない。
「素敵な店を知っておられるんですね」
「ええ、仕事柄、スナックに行くことは多いのですが、ここは仕事以外のプライベートで使いたいところです」
――あなたとだけ――
と言おうとして口から出てこなかったのはなぜだろう。単純に恥ずかしかっただけなのだろうか?
さすが夜の街に出てくると、昼間とは違いお互いに敬語を使ってしまう。そんな魔力が夜の街、そしてこの店にはあるのかも知れない。
昼間、奈緒美は私のことを「ユキオ」と呼び捨てる。しかし夜になると「幸夫さん」になる。夜は漢字の「幸夫」になっている気がするのだ。
店の名は、スナック「ロンリーバタフライ」、孤独な蝶である。
孤独な人が集まる店を想像させるようなスナックの照明は薄暗い。奈緒美の顔がハッキリと見えるわけではないが、それだけに瞳に光るものを感じているのかも知れない。そんな奈緒美の瞳に私は恋をしたのだろう。
初めから奈緒美と行くために見つけていた店ではなかった。どちらかというとこの店には、本当は誰も連れてきたくはなかった。私一人の場所として最初から開拓したのであって、実際に最初は一人で通っていたのだ。
今ではすっかり常連となっている。常連客同士仲も良く、気心知れた連中が来れば必ずいるものだった。
店はカウンターがメインとなっていて、テーブル席もあるにはあるが、常連が多いこともあってか、ほとんどがテーブルを利用する人たちばかりである。かくいう私もテーブルに座ることはまずなく、ほとんどがカウンターである。
「カウンターは話が弾むからいいよな」
一人の常連が口にしたことがあった。皆口には出さずとも気持ちは同じで、一様に頷いている。
この店の常連と言っても毎日来る人というのは希で、週に二、三回も来ればいい方だろうか。私も週によく来て三回である。
もちろん、指定席は決まっている。カウンターがいっぱいになることのないこの店で、顔を合わせることのない常連客がいるにもかかわらず、なぜか指定席がダブルことがない。私の指定席は一番奥の席なのだが、きっと私の来ない日のこの席を誰かが座るということはないだろう。
ある日のこと、
「ねえ、マスター。この店の常連さんの指定席って面白いよね」
という話から入ったのだが、どうやらマスターも私の言いたいことが分かったのか、少しの会話で、
「そうですね。指定席はその人が来ない日も、その人の指定席なんですよね」
私の言いたいことに満点の回答をしてくれたマスターに対し、私は満面の笑みを返していただろう。ほろ酔い気分も手伝って、薄暗い店内に真っ赤な頬をしている自分の顔が思い浮かんだ。
そんな中、私がこの店の常連になり始めた頃に、私の横の席を指定席とする女性がいるのに気がついた。最初、指定席を指定席と思わなかったのを、気付かせてくれたのが彼女でもあった。
意識していない中の指定席だったが、
――ひょっとして意識があったのかも?
と気付かせてくれたのもその女性だった。
名前をまみというらしい。漢字なのかひらがななのか分からないが、私にはひらがなの「まみ」というイメージが強い。
最初に見た時に感じたのは、
――赤い服の似合う女性だ――
ということだった。
作品名:短編集12(過去作品) 作家名:森本晃次