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短編集12(過去作品)

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 そんなことを考えながら、コーヒーカップを口に運んでいる。酸味を帯びた香ばしい香りが鼻をつき、香りを感じながら見ている油絵は、いつもの喫茶「スワン」での光景だった。
 コーヒーを飲みながら見る油絵は、私にいろいろな思い出を思い出させてくれる。忘れていた何かを思い出したい時にやってくる喫茶「スワン」は、いつもと違った気分にさせてくれるのだ。
――過去のことがまるで昨日のことのように思い出される――
 そんな気分は他では味わえない。
 しかも不思議なことに、それは金曜日でないと感じることが出来ない。一週間の仕事が終わり、ホッと一息つき、そして土曜日の油絵に思いを馳せる。そんなひと時に感じることのできる「自分しか味わえない時間」なのである。
 他の人と同じ時間を過ごしているにも関わらず、自分だけの時間を独占できる気分にさせてくれる空間なのだ。週末が私に見せてくれるであろう幻影のようなものが、自分にとっての「現実逃避」であることが嬉しい。きっと私以外にも皆それぞれ持っている時間と空間なのだろうが、哀しいかな、気付かないだけなのだ。

 そろそろ四十歳を迎えようとしている私は、複雑な心境だった。
 肉体的には四十歳ということを意識する年齢に近づいたことで、なかなか無理の利かない自分にも気付き始めていた。しかし土曜日から日曜日にかけての毎週の楽しみだけは欠かしたことがない。そう、油絵から釣りへと自然な流れでずっと生活してきた私の時間である。
「継続」が充実感を伴っていた頃とは最近は違ってきている。マンネリ化とまではいかないが、
――完全に生活の一部――
 として成り立ってしまった毎週の日課は、欠かしてしまうと自分の生活のリズムを崩してしまい、それがストレスに変わってしまう怖さを十二分に知っているからだ。体力的な疲れより精神的なストレスが怖いのは、きっと私だけが感じることではないだろう。
 しかも、油絵に関しては、さすがに何年もやってきているだけあって、有名な公募でも何度か入選し、アマチュアとしては趣味の世界を極めるくらいまで来ていることに満足していた。実際に自分の絵が売り買いされることもあり、生活が潤うこともあった。しかしあくまでも趣味の世界、そこには「継続」という自分の勲章があったのだ。
 いや、それよりももっと深刻なことかも知れない。自分が自分ではなくなってしまう、それが自分にとっての「継続」なのだ。
「原点はここの絵だったんだよね。それにしても、真実は何なのだろう?」
 両肘をつく体勢で、カウンターから身を乗り出すようにして、いっぱい並んだ油絵のひとつを見上げた。手にはコーヒーカップがあり、顔はきっと複雑な表情をしているに違いない。
「あなたのその表情、忘れていないわ」
 カウンターの向こう側には真っ赤なエプロンがよく似合うウエイトレスがこちらを向いて微笑んでいる。
「相変わらず美術館へは行ってますか?」
「ええ、初めて会ったあの時のことがまるで昨日のことのようですわ」
「そうですか。僕にはかなり昔のように思えるのですが」
「……」
 そう言いながら二人はじっと絵を見つめていた。
 そこに掛かっている絵はパッと見、真っ暗に見える。しかしゆっくりと目を凝らすように見ると、次第に明るくなってくるのが分かるような、そんな不思議な絵である。
「この絵を、この場所で描こうと思ったがどうしてもできなかった」
「この絵を描くのは、きっとこの作者にしかできないことですよ」
 彼女にとってもこの絵は感慨深いものがあるに違いない。だが、彼女は作者が誰なのかを知らない……。
「この絵には魔力のようなものがあるんだ。そう、毎回同じ絵でも感じ方が違う」
「私もですの。でも、それは私たちだけみたいですよ」
「他の人にも聞いてみたのかい?」
「ええ、マスターに聞いてみたこともあったんですけど、マスターにはこの絵の魔力は分からないみたいでした」
「僕か君のどちらかが、この絵の魔力に掛かっているのかも知れないね」
 私にはどちらか分からなかった。しかも効いているとすればそれはこの店、喫茶「スワン」の中でだけである。
「そういえば昔、犬型かネコ型かって聞かれてわからなかったことがあったけど、今ならハッキリネコ型だって分かる気がするよ」
「どうしてですか?」
「僕は最初犬型だと思っていたんだよ。この店に来るのだって、君に会いに来ていると思っていたくらいだからね。淳子……」
「ありがとう。嬉しいわ」
「でもね、それも確かに間違いではないんだけど、この店に来る本当の理由は、ここでしか味わえない時間と空間を求めてやってくるんだよ。時間が私をネコ型にしているんだと思う」
 絵を見ながら私は言葉を続ける。
「ここでだけは時間を戻すことができる……」
 喫茶「スワン」がなくなっていて、淳子が私の前から姿を消したという記憶が頭をよぎる。そんな時間と空間の選択も私にはできたのかも知れない。それがひょっとして私の本来の進むべき時間だったのかも知れない。だが、敢えてその考えは封印していた。
 私は二十歳代前半の淳子を見つめながら話した。出会った頃とまったく変わらない淳子、それに比べると二十年近く時を過ごしてきた私、ここでだけは、私は時間を取り戻すことができるのだ。
 充実した毎日を過ごしても、何となく時間がまた元に戻ってしまうような感覚を、他では味わっている。どうやら私だけの時間が繰り返しているようなのだ。
 しかしここでは自分の将来、いや、進むべき人生を見ることができる。それを教えてくれるのが壁に掛かっている絵なのだ。
――金曜日にしか味わうことのできない気持ち――
 それを感じながら週末を過ごす。
 そう、壁に掛かった絵は毎回違った光景を私に見せてくれる。
 何度も何度も描いた絵、しかし、それは日が経つとまた同じ時間に戻ってくるのだ。それゆえに、同じ絵でも違った光景を表わしているに違いない。
――同じものは決して作ることができない――
 それが教訓であるかのように……。
 自分のこころを表わすライト……。
 これからもずっと描き続けるに違いない。

                (  完  )

作品名:短編集12(過去作品) 作家名:森本晃次