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アテルマ国の真実

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 と言ってもいいだろう。
 しかし、最初が「奇跡」だったというのも皮肉なもので、本来であれば、見本となるべき独立が、まったく教訓として生かされていなかったのだ。それこそ、大戦後の世界秩序が、大戦によって学んだはずの教訓は、一体どこに行ってしまったのだろうと言われても仕方のないことだったのだ。
 六角国の独立が、世界にある意味での脅威を与えることになるなど、その時に分かっていた人がどれだけいただろう。
「奇跡の独立」
 として、称賛を浴びたはずの独立だったにも関わらず、世界に新たな脅威を放ってしまったことになったというのは、実に皮肉なことだ。
 大戦を引き起こす一つのきっかけになった六角国の分割だったが、六角国が世界市場に占めるうえで大きな資源が埋もれた国家だった。
 どこの国もまわりの大国に対して侵略されないようにしようとしていたが、まさか六角国のような広い国土に、皇帝の支配による帝国主義国家が、こうも簡単に列強の侵略を許してしまうという弱さを露呈してしまったことで、他の列強も、
「うちも乗り遅れないようにしないといけない」
 とこぞって六角国に食指を伸ばしてきた。
 やり方は、お世辞にも紳士的と言えるものではなかった。
 貿易の段階で因縁を吹っかけてきて、その間隙をぬって、一気に交渉を有利に進めることで、後は軍隊を侵攻させることによって、六角国は何も言えないまま、侵略を許してしまう。
 また、軍事行動を起こされて、
「自軍が攻撃された」
 とでっち上げ、そのまま速やかな軍事行動が鮮やかに展開され、そのまま侵略されてしまうという、
「既成事実を作る」
 ということによって、国土を占領されてしまう。
 さらに国内で、他国間の紛争が巻き起こり、一触即発だった地域で、小競り合いが起こってしまう。さらにそこに侵略を許してしまった国家に対しての国民の怒りとともに、侵略者への怒りが爆発し、義勇軍としてゲリラ戦を繰り返すが、結局は列強の軍隊にはかなわず、義勇軍の行動が、列強の侵略に対しての絶好の侵攻口実を与えてしまうことになってしまう。
 何をやっても、裏目に出てしまう。
 そうなると、もう六角国はあ抗う力も気力も失ってしまい、後は侵略されまくり、国土のほとんどを食い荒らされてしまう。
 国内には政府はあっても、国をまとめていくだけの力はない。そうなると、列強が中心になって傀儡政府を樹立し、自分たちの都合のいいように操ることになってしまう。
 元々の国民は、植民地化された状態で、権利の行使もままならず、何を信じていいのか、ただ命令に従うだけの気が抜けた民族になってしまったのだ。
 だが、大戦の流れが泥沼化していくことで、列強の中の強者と弱者の関係がハッキリしてきた。
 六角国の元々の指導者たちは、先見の明により、大戦終了後の世界秩序を見据えながら、強者の政府に近づくことに成功した。
 強者側の政府も、実は味方が少しでもほしかった。そういう意味でお互いの利害関係が一致し、大戦後の青写真を、すでに六角国の指導者は思い描いていたのだ。
 本当は彼らが社会主義の先駆者であることを気づいていたのかいなかったのか、結果的には厄介な目の上のタンコブとなる連中をのさばらしてしまうことになった。
 列強のうちの一国が、六角国と近隣諸国との間で密約が結ばれていた。大戦後、自分たちが有利になるためのものだったのだが、結果的に、
「二枚舌外交」
 と呼ばれるもので、それぞれにいい顔をして、簡単に密約を結んでしまったことが、大戦後の世界に大きな影響を与えた。六角国の独立もさることながら、
「血を流すことによって得られた独立」
 を世界各国に思い知らせるきっかけを作ることになったのだ。
 要するに六角国の独立は、裁判によって平和のうちに行われたのではあるが、その後の世界情勢を考えると、いろいろな側面から
「失敗だった」
 と思わせる結果となる独立だったことを後になってから考えさせられ、
「後悔しても始まらない」
 という言葉がピッタリの世の中になってしまったのだった。
 独立を果たした六角国だったが、帝国主義時代の犠牲になった国、つまりは「被害国」として軍事裁判において六角国の独立を国連の名のもとに、列強の満場一致で称賛する独立を果たした国としてたたえられることで、世界の注目を一身に浴び、本来なら民主国家の仲間入りを果たすはずだった。
 そうなれば、民主国家独立の旗印として、その後に起こるであろう独立運動の波を、民主国家主導で、民主国家として独立させることが容易にできたであろう。
 しかし、こともあろうに六角国は、社会主義陣営としての独立を果たした。
 国連でも問題となり、世界は驚愕から、一触即発の危機を招くのではないかとして、静かに経緯を見守った。
 さすがに、一触即発ではあったが、戦乱の世に逆戻りということはなかった。すでにほとんどの国が戦争継続が不可能なほど、荒廃していたのだ。
 そういう意味では、六角国は冷静だった。
 それまで植民地として静かにその爪を隠していたのだが、大戦が終わり、帝国主義が崩壊したことで、出来上がったのが新しい社会体制。それが民主国家と社会主義国家の対立だった。
 大戦中から、列強が集まって、すでに戦後処理を話し合い、その中で、それぞれの陣営が生まれ、新たな社会秩序が生まれてくることをすでに列強は知っていた。
 そして列強は、そのことに気づいているのは自分たちだけだと、タカをくくっていた。しかし、実際には気づいていたのは自分たちだけではなかった。六角国のその一つだが、社会主義陣営の元締めともいうべき国には、すでに分かっていたのである。
 社会主義国家は、大戦の教訓からたくさんの国家が、民主国家への反発として生まれた。しかし、実際には大戦がはじまる前から社会主義は存在していて、大戦が勃発するきっかけの遠因を作ったのは、これらの社会主義国家の存在が大きかったことは、意外と知られていない。
 その一つが六角国だったのだが、六角国はその地域性や資源の豊富さにより、他の列強から目をつけられ、よってたかって食い物にされてしまったある意味気の毒な国である。
 普通の状態であれば、国家を担っている高官には優秀な人もたくさんいて、本来なら社会主義に身を投じるような人ではないはずなのに、どうしても、列強に食い物にされた屈辱が忘れられず、
「母国愛、愛国心」
 に、図らずとも目覚めてしまったのだ。
 六角国はその頃から、
「世界の情勢が変われば、我が国が主導権を握る世界秩序を築いてみせる」
 と思っていた。
 他の国に目にモノを見せてやるという気概は強く、十分すぎるくらいに味わった屈辱感を与えた連中に、与えたことを後悔させてやると思っていたのだ。
 六角国は、手始めに周辺諸国の運営に取り掛かった。自国の体制を整えながら、まわりの国をまとめるのは難しいように思われたが、逆に政府の人間の目を表に向けることで、余計な紛争を避けるという意味もあった。
 その作戦は功を奏し、大戦後の主要国で、内部紛争が起こる国もあったが、六角国では小さな紛争はあったものの、国家の体制を揺るがすほどの大きなものはなかった。
作品名:アテルマ国の真実 作家名:森本晃次