アテルマ国の真実
――いくら国家の指示とはいえ、こんな機械を開発する意義がどこにあるというのだ――
と、たえず自問自答をくり返していた。
まるで自分で自分の首を絞めているような錯覚に陥り、研究が進むごとに、自分の存在がこの世から消滅して行っているような感覚を覚えたのだ。
――僕のこの研究の成果が、そのまま新しい法律を作ることになる――
立法のためだということは、知らされていた。混血を見つけることで、見つかった混血児や、その人にかかわった人がどれほどの罪になるのかを考えると、後ろめたい気持ちでいっぱいになる。
しかし、いっぱいになっているはずの気持ちの中に、自分の研究が認められ、名声を手にしている自分の姿も思い浮かべることができた。すなわち、自戒の念と名声を手に入れたことでの満足感とでは、頭の中の考察部分が違うところにあるということなのだろう。
満腹になっているはずなのに、
「スイーツなら食べれる」
という人に、
「満腹だって言ってたんじゃないの?」
と訊ねた時、
「それとこれとは別なのよ。別腹というやつね」
と答えるだろう。
それを聞いた時、別腹というのは、意識していない次元の違う場所だという意識があったが、この場合も同じなのだろう。
一つ言えることは、食べることにしても、名声を得ることにしても、どちらも同じ「欲望」である。
ということは、
――食欲のような物欲であっても、名声のような名誉欲であっても、同じ欲望というものには、限りのない無限の状態があるのかも知れない――
と言えるのではないだろうか。
更科は、入退院を繰り返すようになる数年前に結婚していた。真田助教授の研究を手伝っていたが、急に国家プロジェクトに組み込まれてしまい、そちらでの研究も多くなっていた。
研究の頻度は、半々くらいだったのが、国家研究の方が多くなると、急に自分の中に寂しさが募ってきていることを思い知らされた気がした。
付き合ってた女性がいて、結婚まで考えなくてもよかった。なぜなら、
「彼女は、自分の生活の中で、精神的な支柱になってくれているのだから、いつもそばにいてくれていると思っているだけで幸せだ」
と感じていたからだ。
結婚してしまうと、精神的に余裕がなくなってしまうのではないかという思いがあり、「いずれ結婚するとすれば、彼女しかいない」
という思いがあっただけだ。
女性との交際というのは、その時の更科の考えていた通りである。まるで教科書のような女性との交際への感覚だったのだが、一度寂しさを感じてしまうと、それまでせっかくうまく回っていた精神状態の歯車が、少しずつ狂い始めていたのだ。
「俺と結婚してくれないか?」
プロポーズは更科からだったが、その時の妻の表情が何とも言えない表情をしていたことは分かっていたが、自分の中でも精神的にいっぱいだったので、その理由を考える余裕はなかった。
「俺……?」
小さな声で妻は呟いた。
「えっ?」
妻が何と呟いたのか、更科には分かっていたが、それを確かめるすべを知らない。ただ、驚いたような表情をしたのは、会話の流れにしたがっただけのようなものだった。
更科はすぐに妻の言いたいことが分かっていた。
――そういえば、自分のことを「俺」なんて表現、彼女の前でしたことはなかったな――
友達同士の時だけ、
「俺」
という表現を使う。
研究所の中では基本的には、
「僕」
と言っている。「俺」という言葉を使うことは稀なことだったのだ。
「少しだけ、考えさせてくれる?」
その時、妻は即答を控えた。
――答えは決まっているはずなのに……
彼女がプロポーズを断るはずはない。特にその頃には、彼女の方でも更科からのプロポーズを待っていたふしがある。
――数日待ってほしいという回答は、彼女にとって、最初から用意していた回答じゃないだろうか?
と思えた。
しかし、更科には別の考えもあった。
――プロポーズしてほしいと思っていた気持ちとは裏腹に、本当にプロポーズされてしまうと、急に考えてしまうこともあるのかも知れない――
という考えだ。
女性というのは、理想主義に見えるが、現実的なところは男性に比べると強いと思っている。
願望の間は結婚に対する憧れが強く、それが理想主義の気持ちを最大限に膨らませようとするものだ。
しかし、実際に結婚を申し込まれ、現実主義に引き戻されてしまうと、急に冷めてしまうところもあるだろう。
膨らませすぎてしまった理想の落としどころが分からずに、気持ちは決まっていても、考える時間を必要とするのも無理のないことであろう。
それが分かっていれば、数年後に訪れる物欲と名誉欲が「別腹」であって、同じ次元では相容れて考えることのできないものだということをすぐに理解できたかも知れない。
二人は、結果的には結婚したのだが、結婚するまでに越えなければいけないハードルをいくつも乗り越えてきた。
「あの時の私は、正直あなたと結婚することを急にイメージできなくなったの」
と妻は後になって話してくれた。
「どういうことなんだい?」
「ハッキリと言葉にできないことなんだけど、お付き合いしている時には見えていたものが、急に見えなくなったの。これって結構自分の中では辛いことなのよ。何しろ、それまでの自分を否定しているような気がするからですね。でも、一番辛かったのは、ウエディングドレスを着ている花嫁の顔が真っ黒になっていて、表情はおろか、顔自体本当に自分なのかが分からなかったことなのよ」
「まるで夢を見ているような感覚なんだね?」
「ええ、まさしくそうなの。夢を見ている自分が本当の自分で、花嫁を自分だと思っているのだから、もし、花嫁の顔を見ることができれば、それは、花嫁が『もう一人の自分』だということになるでしょう? 私にとって夢を見た時、一番怖いと思うのは『もう一人の自分』を、夢の中で感じた時なのよ」
その話を聞いた時、更科は声が出なかった。
――同じだ――
自分の考えていることを見透かされているようで、更科はビックリしていた。ただ今まで夢について他の人と話をすることがなかったので分からなかったが、
――同じことを考えている人って、意外と多いのかも知れないな――
と感じた。
そう思うと、今まで夢の話を他の人とすることがなかったことが急に不思議に思えてきた。これまで夢の世界の話をタブーだとは思っていなかったがしてこなかったのは、夢の話を気兼ねなくできるような知り合いがいなかったということになるのだろう。
大学で研究員として仕事をしていても、仕事上の話をする人はいても、プライベートな話や、理想世界の話など、する人はいなかった。
――俗世間の人から見ると堅物に見えるのも無理もない――
と感じた。
更科は、自分の記憶がないことに対してコンプレックスを持っていた。なるべくそのことを他の研究員には知られないように心がけていたが、さすがに真田助教授だけには話をしていた。
「下手に過去の記憶がない方が、研究にはいいかも知れないな」
真田助教授の言葉には冷たさしか感じない。