アテルマ国の真実
自分の研究が、いずれは心理学を避けて通ることのできない領域に入ってくることを知っている更科が心理学を無視できないのは当たり前のことだったが、時期尚早ということを考えると、今はそれ以前の問題で頭がいっぱいだった。それでも、考えていることを心理学から切り離して強引に考えようとするのは、少し違っている。
「楽をしようとするのは、辻褄を合わせようとするためだ」
ということに気づいてしまえばいいことだった。
更科が抱いている疑問、それは、
「なぜ、今までこれだけ研究してきて、結論らしいものが見えてこないにも関わらず、この国の憲法を制定する時点で、『他の国の異性と結婚してはいけない』という結論が生まれてきたのだろう?」
ということだった。
考えてみれば、最初から感じていた違和感だったはずだ。それなのに、敢えて意識しないようにしていたのは、
「あまりにも当たり前のこと過ぎる」
という思いがあったからである。
人は、当然すぎることを考える時、考えてしまったことに対して恥ずかしさからか、思わず忘れてしまおうとする本能が働く、しかし忘れてしまうことができないと、今度は頭の中に引っかかって、抜けなくなる。諸刃の剣のようではないか。
更科が、記憶を取り戻そうとしている自分に少し気が付いていた。しかし、そのことを認めたくない自分がいるのも事実だった。
――俺は、失った記憶を取り戻したくないと思っているのだろうか?
その思いはつまり、
――記憶を失ったわけではなく、敢えて思い出さないようにしているのかも知れない――
と思うようになっていたが、自分の意志だけで、こんなに簡単に自分の意識を自分の中から消してしまえるものだなのだろうか?
意識というのは、記憶の中にしまい込まれるものである。それが意志をともなっていれば、また変わってくるのかも知れないが、少なくとも記憶の中にしまい込まれるのは、
――記憶の中にしまい込むことで、意志の力がなければ思い出すことはない――
という状況にしてしまうことを意味しているのだろう。
失った記憶は、自分以外の誰かによって消されてしまったような気がしてきた。気になってくると、その思いは何かの結論を得るまで消えないだろう。
アテルマ国は、六角国が支配している時代から、誰にも言えない深い傷を持った国だった。そのことを知っているのは、ごく一部の人間、その人間の中には政府高官になっている人もいた。
「六角国がなぜ鎖国政策を行ったか?」
ここにもその理由が隠されていた。
元々六角国は、アテルマ国の資源がほしくてこの国を属国にした。資源を貪ることは当時の帝国主義時代では、それほど悪いことのようにされていなかったが、あまり聞こえのいいものではない。表面上はなるべく隠しておきたいものだったはずなのに、六角国は、それほど秘密主義にこだわらなかった。
六角国ほどの国になれば、もしこだわっているとすれば、水面下でどんな手を使ってでも、秘密裏に作業を進めてきたことだろう。
しかし、はばかることなく他の国に対してもオープンだった。もっとも、オープンにすることで、アテルマ国支配を強固なものにしようという意図があったのも否めない。だが、六角国ほどの大国になれば、いまさらそんなことを意識させても、あまり意味のないことのように思えるのだ。
だが、他の国はそんなことには気づかない。六角国のアテルマ支配は、国連でも承認されていた。
六角国のアテルマ支配の裏には、もう一つの計画が含まれていた。それは、大戦中に帝国主義体制の大国が行っていたことで、大戦が終わってから国連で、真っ先に禁止された事項だった。
いわゆる、
「人体実験」
である。
大戦中の帝国主義時代でもない限り、人道的に許されるものではない。
「戦争は起こってしまったものは仕方がないとしても、それを発展させて、故意に人間を実験台にして兵器を開発させるなど、あってはならないことだ」
と国連は認めていた。
確かに戦争は相手があることであり、国家間の問題、自国の内政問題、さらには自国の存亡を考えると、戦争を起こすしかない状態に陥った国があるとすれば、いい悪いは別にして、戦争という事態に発展したことは、悲しいことではあるが、必然のことだったのかも知れない。
それを、何もしないで国家の滅亡を待っているようでは、国家の運営は賄えない。会社が倒産するのを黙ってみている会社の首脳陣が果たしているだろうか。そう考えると、戦争というのは、
「必要悪」
なのかも知れない。
大戦が終わった時、世界は荒廃していた。国土の半分は焦土と化し、国民の何割という死者を出した国もあった。だが、大変だったのは戦後処理と、それまで植民地として支配されていた国の独立だった。
国連による、世界秩序の確立も急がれる。問題は山積していた。そんな状態で、六角国が属国にしているアテルマ国で何をしていたかなど、いちいち監視している場合ではなかったのである。
実は大戦終了後、科学者の多くは六角国に亡命していた。
ちょうど六角国には、アジアという土地の問題もあって、難民が雪崩れ込んでくることもなかった。そのおかげで、六角国は自国に都合のいい人材を続々と迎えていたのだ。
六角国の首脳は、大戦終了後の世界について、それなりに考えていた。その考えは半分外れていたが、半分は当たっていた。
「大戦が終了してからの世界秩序は不安定だ。そして、戦勝国による敗戦国の軍事裁判が行われると、敗戦国に対する酷な仕打ちがいずれ爆発し、新たな火種になることだろう。平和なんて、そう長く続くものではない」
という考えだったが、こちらはほとんど違っている。だが、これは六角国だけではなく、他の大国と呼ばれる国のほとんどが考えていたことだった。
だからといって、敗戦国に対して甘いことはできない。戒めは必要である。もし甘い裁定をしてしまうと、他の国に対しても、自国が困窮に陥った時、またしても、戦争の道を選んでしまうかも知れないからだ。世界秩序がある程度固まりかけてからならまだ余裕があるが、今戦争が起こると、それこそ全世界の滅亡という最悪のシナリオを描いてしまうことになる。
六角国は、今後の世界秩序のために、何事も水面下で進めていくことを目指した。
「これからは、表に出たことよりも、暗躍が主流になってくる」
という考えを持っていたが、この考えはほぼ当たっていた。そのため、世界各国でクーデターや暗殺が相次いだ。しかも、それはすべてが突然に報道されたことで、事前の前兆らしいものはなかったのである。
ある意味、大戦の頃よりも秩序としては悪くなっていたのかも知れないが、少なくとも無関係の人間を巻き込んでの大量殺戮などはなくなっていた。国内だけではなく国家間でもこのような行われ、大っぴらになっていないので、どこも裁くことはできない。
「いつ命を狙われるか分からない」
それも恐ろしいことだった。
「世界は暗黒の時代に突入した」
と言っても、決して言い過ぎではないだろう。
そんな時、アテルマ国という属国を得た六角国は、大戦で亡命してきた科学者を、アテルマ国に移住させた。大っぴらに自国に匿っていると、