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アテルマ国の真実

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 更科研究員は、六角国の影が気になっていた。六角国から独立してかなり経つのに、何が気になっているというのだろう? そのことを知っているのは、坂田研究員だけだった。
「それはあったかも知れないね。でも君が感じているほど、六角国の影響ってあったんだろうか?」
「六角国がこの国から簡単に撤退したのが俺にはどうしても気になるんだ。確かに資源がなくなりかけていたので、撤退のタイミングとしては絶妙だったのかも知れないが、そんなに簡単に撤退を決めたというのは、絶対的な根拠があってのことだったと思うんだ。そうでなければ、他の国や国連から、『六角国はアテルマ国を見捨てた』と言われて、自国のイメージが国際社会では悪くなり、下手をすれば孤立してしまうことになるだろう?」
「それは俺も思ったことがある。そういう意味では、今俺たちが研究していることを、六角国は最初から分かっていたのかも知れないな。そうであるならば、『六角国の影響は絶大だった』と言えなくもないだろう」
 二人の話は酒を呑みながらとはいえ、かなり白熱したものだった。しかし、それ以上の話は、他人に聞かれてはまずい話なので、しなかった。
 二人は研究室や、個室で二人きりになった時であっても、それ以上の話をしようとはしない。まるでこれ以上の話はタブーだというのが、暗黙の了解のような感じだった。
 だが、二人ともお互いに、
――相手は本当のことを知っている――
 と思っていた。
 それぞれに、核心に迫る考えを持っていたが、その考えは、
「帯に短し襷に長し」
 であった。
 ジグソーパズルであれば、二人で話をしている時、ほとんどのパーツは完成しているが、二個だけ見つからない。そのうちの一つずつを、それぞれに持っているような感じだったのだ。
 ただ、この研究を解決するキーパーソンとなる国は、実は六角国ではなかった。
 逆に六角国をキーパーソンだと信じて疑わない間は、どんなに研究しようとも、結論を導き出すことはできない。逆に結論が導き出されたとしても、それは間違った回答であり、一度間違えてしまうと、正常に戻らないのが、この問題だったのだ。
 それは、まるで時間が時系列に沿って進んでいくという発想と同じで、
――四次元の世界を創造しなければ、一度間違ってしまった道を元に戻すことはできない――
 その四次元の発想は、
「メビウスの輪」
 であった。
 すべてが矛盾に基づいて作られていて、矛盾に矛盾を掛け合わせることで、正常を導き出す。矛盾というのは、ある意味可能性である。可能性とは無限に広がっていて、矛盾を掛け合わせるということは、無限をさらに掛け合わせるということであり、ネズミ算式という言葉で言い表せないほどの確率である。
 四次元の世界が想像だけのものだと考えられるのは、その考えに基づいているものであり、その証明が、
「メビウスの輪」
 だと言えるのではないだろうか。
 二人は、まだまだ、
「六角国の亡霊」
 を見つめている。だが、六角国の亡霊から先に開放されたのは、坂田研究員の方だった。
 坂田研究員が頭が柔軟だったというわけでも、更科研究員よりも先に何かを見つけたというわけではない。坂田研究員に、そのことを悟らせる相手が現れたからだった。
 その人は女性だった。
 女性の遺伝子を研究している坂田研究員は、自分の研究対象としている女性の一人と話をすることが多かった。
 被研究対象と言えども相手は人間、坂田研究員は別に差別をするつもりもなく、相手の気持ちや話をなるべく聞くようにしていた。その女性はアテルマ民族でも、六角民族でもない。マンデラ民族の女性だった。
「私たちの国には、天才なんかいないわ」
 と、本当なら分かり切っていることだったはずなのに、その話を聞いた時、どこかに違和感を感じた。誰もが平等な国に生まれるとすれば、それは突然変異であり、育つ環境によって、いくら生まれながらの天才であっても、次第に色褪せてくるものだということを知っていたからだ。
 その違和感がどこから来るのか、坂田研究員は分からなかった。日研究対象の女は、そのことについて語ろうとはしなかったからだ。ヒントだけを与えておいて、結論を言わない。それはいかにもマンデラ国の女性らしかった。
 女性を研究することが無駄ではなかったことを、その時の坂田研究員は、図らずも証明していたのだった。
 更科研究員は、自分が何かの疑問を抱いているのだが、その疑問がどこから来ているのか分からない。ある程度までトンネルの出口は見えているはずなのに、出口が見えてこない。
 それはなるで、
「百里の道は九十九里を半ばとす」
 ということわざを思い起こさせる。
 出口が見えない時にどうすればいいのかということは分かっているつもりだった。
「トンネルの入り口を思い出すことができれば、出口はおのずと見えてくる」
 というものだった。
「トンネルの入り口を見つけるにはどうしたらいいのか?」
 これも分かっているつもりだった。
「時間の流れはしょせん、時系列でしかない。トンネルの出口が見えない。もっと言えば入り口が見えないのは、今自分が時系列を見失っているからだ。時系列という意識を持って、出口を見るのではなく、入り口を思い出すようにすればいい」
 簡単なようで難しい。なぜなら、今の自分が時間を遡ってみて、見えるものではないからだ。
 つまりは、同じ入り口を見るにしても、トンネルの中から入り口を見るのではなく、トンネルに入る前に戻って入り口を見ないと見失ってしまう。なぜなら、トンネルの中から見たのでは、
「入り口を見ているつもりでも、出口を見ているかのように錯覚してしまうからである」
 本当は、入り口を見ているのに出口を見ていると思ってしまうと、
「なんだ、これって出口じゃないか」
 と、安易に考えてしまう。せっかく遡ってみることで、今度はやっと出口を見るためのスタートラインに立てたはずなのに、勝手にゴールにたどり着いたのだと思うと、信じて疑わない自分がいる。それこそ人間らしいというもので、楽を覚えてしまうと、次も楽をしてしまう。
「これが俺の才能なんだ」
 と思い込んでしまうだろう。
 本当は楽をしているだけなのに、そのことを認めたくない自分がいて、辻褄を合わせようとしている。つまりは、
「本当のことを知っていながら、ごまかそうとしている」
 人間の性というのは、何とも情けないものだと言えるのではないだろうか。
 人間は、何か疑問を抱くと、そのことを最初はごまかそうとする。疑問というものを考えることが億劫なのか、それとも、一つの疑問を考え始めると、いくつも他の疑問も生まれてくることを嫌っているからなのか、なるべく早く疑問を片づけようとしてしまう。
 解決した結論に答えがあるわけではない。大切なのは、その疑問をいかにして解決できたかというプロセスが大切なのだ。
「プロセスなくして、結論などありえない」
 同じ大学の心理学の先生の提唱している意見で、更科もその意見に賛成だったはずだ。
 賛成反対云々よりも、そのことに意識が向いただけでも、それだけで、更科は心理学に興味を持っているはずだ。
作品名:アテルマ国の真実 作家名:森本晃次