アテルマ国の真実
「そうか、女性が他の国の男性と結婚してはいけないという法律ができてからなんだ」
一番そのことに最初に気づかなければいけないはずの更科が、なかなかそのことに気づかなかったというのは、それだけ自分の運命を呪っていたからなのかも知れない。自分が研究員であるとともに、研究される側であるということも分かってる。逆に言えば、自分か研究されるということで、研究することが許されているのだとすれば、それは本当に自分のやりたいことなのか、考えさせられてしまった。
更科研究員は、なるべくアテルマ国の歴史を研究するようにした。
大戦までの曖昧な国土、大戦後の六角国からの支配、鎖国から開国、さらには、六角国から置き去りにされての独立。
いろいろと研究してみたが、そのうちにアメリス国やマンデラ国との関係も無視できないことに気が付いた。この国の政府高官の考え方、そして、この国が歩んできたことを冷静に思い浮かべてくると、国という心のないものに心が芽生えてきたかのように思えてきたのだ。
「アテルマ国って、本当は一番他の国に影響を与えやすいので、なるべく目立たないような運命を担っていたんだ。だからこそ、他の国から支配されやすく、事故を犠牲にしてでも、他の国のためになることが世界秩序を守ることになるんだ」
と考えた。
「もし、これが人間だったらと思うと、こんなに切ないことはない」
更科研究員は、どうしてこの国におかしな法律が生まれたのか、その片鱗が見えてきたような気がする。
「これは、世界秩序に対しての細やかな抵抗が含まれているのかも知れない」
と感じたが、それだけでは不自由分なことも分かっていた。
「やっぱり、俺は真田助教授を信じて、研究を続けなければいけないんだ」
と思うようになった。
そのためには、自分の失った記憶を取り戻す必要があるが、果たして取り戻した記憶がどのような影響を持つのかを考えると、恐ろしくなった。
更科研究員は、自分がマンデラ国から移民してきた父親の血を引いていることを知らない。
「あなたのお父さんは、あなたが生まれてからすぐ亡くなったのよ」
母親からは、そう聞かされて育った。仏壇の遺影には、いつも同じ表情で笑っている父親の顔が写っていたが、更科が成長していくうちに、
「まるで別人のようだ」
と感じるような表情に見えてきた。
それは、笑顔がどこか白々しく感じられるようになったからで、
「本当に自分の父親なんだろうか?」
と疑問に感じていた。
その表情は、笑顔だったはずなのに、今から思うとひきつっているようにしか思えない。今では母親がいないので、遺影を確認することはできないが、どうしてそう思うようになったのかというのは、母親がいなくなってからのことだったというのも皮肉なことだ。
母親は、更科が高校生の時に突然いなくなった。いわゆる失踪ということである。途方に暮れた更科だったが、とりあえず失踪届を警察に提出し、その捜査結果を待っていたが、まったくなしのつぶてだった。
半ば失望からか、研究室より誘いがあった時も、別に抵抗がなかった。考えてみればこんないいタイミングもなかった。まさか、自分を研究室に迎え入れるために仕組まれたことだったのかも知れない。
その頃はそこまで国家について考えたこともなかったので、スルーしたが、今では十分にありえることだと思っている。しかし、だからといっていまさら抗うつもりもない。
「なるようにしかならない」
これが、二重人格のもう一つの自分だったのだ。
更科は自分の研究に没頭することもあれば、冷静になって他の人の研究を自分の研究と照らし合わせてみることもあった。ただ、ほとんどは自分の研究に没頭していて、他の人の研究でも気になっているのは、一人だけだった。
その一人というのは、坂田研究員で、彼の研究は更科研究員とは正反対の研究をしていた。
更科研究員は、男子の遺伝子がどんな影響を示しているのかを研究し、坂田研究員は、女性の遺伝子の研究をしている。更科研究員に比べて坂田研究員の研究は、他の人から見れば、
「まったく無駄な研究なんじゃないか?」
と思われていたが、彼の研究に一目置いていたのは、むしろ更科研究員で、
「自分の死角になっている部分を、坂田研究員が見つけてくれるかも知れない」
と思っていた。
時々、更科研究員と坂田研究員は意見交換をしていた。意見交換といっても、呑みながらのことなので、それほど堅苦しいものではない。呑みながらの方が本音を言えるという意味で、坂田研究員の方から言い出したことだった。
「確かに外国人の男性の遺伝子が、生まれてくる子供に与える影響は絶大なのは認めよう。この国の民族は独特で、他の国では犯罪に当たるようなことが大っぴらに認められていたり、逆に他の国で堂々と行われていることが、この国では犯罪になることも多い。そのことをこの国の人たちは当たり前のこととして受け入れているのは、六角国の支配下にあった時、情報操作が行われ、鎖国によって、他の国の情報を得ることができなかった。しいて言えば、六角国だけが『外国』としてのすべてだったんだ。考えてみれば六角国自体、世界秩序からかけ離れている。今までの情報がウソだったと言っても、国民は混乱するだけだ。徐々に洗脳から解いていくには、それなりの時間と労力、そしてやり方の問題ではないだろうか?」
「その通りだと思います。やり方を間違えると、混乱が混乱を呼んでしまうことになるだろう。だからこそ、国民から見て『おかしな法律』でも通すしかなかったんだろうね。理由に関してはまったく資料が残っていない。最重要国家機密だったのだろうが、研究者である自分たちにその解明を求めるというのは、証拠はすでにこの世にはないと思っていいのかも知れない」
「法律の創案者を見てみたのですが、その中には研究者の名前は入っていません。その時の研究員の話が聞ければそれに越したことはないのだけれど」
と、更科研究員はしみじみと語った。
「そんな弱音を吐いてどうするんだい。この研究は国から我々のプロジェクトが任されたんだ。真田助教授を中心にしながら徐々にでも解明していく。それが我々の使命ではないのかい?」
と、坂田研究員は語った。
しかし、いくら熱弁をふるっても、言っていることは至極当然のことを口にしているだけで、更科研究員にとって、まったく説得力を感じなかった。
――誰が口にしても、そんな当たり前のことを言われては、冷めてしまうばかりだな。まさか、それが狙いなんてことはないよな?
と、あまりにも当たり前のことを言われたことで癪に障った更科としては、逆に逆らってみたくなった。思わずそんなことを考えたのだが、
――まるで子供だ――
と、子供のような抗い方をした自分に対し、苦笑しながら一人で勝手にほくそ笑んでいた。
だが、この思いはあながちウソというわけでもなかった。坂田研究員は事あるごとに、更科研究員に対して挑戦的な態度を取っていた。まわりも雰囲気を察していたが、当の本人である更科研究員には、まったくそんな感覚はなかったのだ。
「最重要国家機密というのは、六角国の影響からの国家機密なんでしょうかね?」