アテルマ国の真実
「国家の体制を整えられるよう、わが六角国は全面的にバックアップします」
と言ってきたり、
「もちろん、その後のフォローも我が国にさせていただきたい。実は……」
と、その時に、
「我が国は、このあたりに六角国の属国を作りたい」
と切り出した。
当然、財閥は驚いた。世界のどんな情報でも先取りするだけのネットワークを持っている財閥が知らないことがあったのだ。
しかも、その話を六角国の大使から直接聞かされた。何という衝撃だろうか。しかも、
「我が国が、当家とこうやって話をしているのは、最大国家機密なんですよ。わが国民はおろか、六角国首脳部でも、ごく一部の人間しか知らない」
ここまで聞かされると、さすがに財閥もゾッとしていた。
元々、世界の中でもこの財閥のことを知っている人は少ない。国連はさすがに存在は知っていても、まったく問題とはしていなかったのだ。
――世界の中にある、特殊な存在――
というだけにしか頭になかったのであろう。
財閥は、次第に六角国という国家に従うようになっていった。最初は恐怖から始まり、そのうちに、六角国を利用しようという発想も生まれてきた。
財閥と一口に言っても、その力は増大で、上層部は一つの国家の内閣に匹敵するほどの力を持っていた。今までは自分たちの地域にしか影響力はなかったが、国家ともなればそうもいかないだろう。
財閥の存在は、世界的には明らかにされていない。報道されることはタブーであり、存在に注目されてしまうと、国家規模の社会問題になったからだ。
まず、間違いなく、
「そんな財閥の存在を許してもいいのか?」
という議論に発展するのは分かっていた。
財閥という言葉は表現する言葉が見つからないので、仮にそう言っているだけだが、財閥でなければ、国家規模の君主と言ってもいいだろう。
財閥の支配している地域は、封建的というわけでもなく、もちろん、民主主義でも社会主義でもない。どちらかというと、社会主義に近いかも知れないが、財閥の治める地域ではある程度自由に暮らしができている。そのあたりは、民主国家と似ているのではないdろうか?
「我々は、多々ある国家体制の中でもいいところを表に出したような地域に住んでいるんだ」
と、民衆は思っているようだ。
民衆に対しての教育は一通り行き届いている。
先進国の教育に引けを取らないほどの教育を受けている民衆は、それなりの知識と認識を持っていた。それだけに教育を受けさせてくれる財閥に対して、感謝と尊敬の念を忘れていないのだ。
自分たちの住んでいる地域が、どこの国家にも属さず、そして、自由に振舞えることを自慢に思っていた。そんな民衆を持った地域に対して、六角国は横やりを入れてきたのだ。
財閥は、民衆に、自分たちが国家となることを説明した。六角国の介入があったことも隠さずに話した。
この国の建国は、六角国からの独立国家ができたり、六角国の属国ができた時期から、少し経ってから行われた。
何しろ、二つの国の建国はセンセーショナルを世界に巻き起こした。六角国政府の要人の中には、
「間を置かず、一気に財閥の建国もやってしまった方がいい」
という意見もあった。
「その方が、他の国の建国がクッションになって、そこまで財閥国家成立の障害になることはない」
というものだった。
だが、実際には、他の人の意見が採用された。
「センセーショナルを世界に与えるには、建国が二つまでが限度です。それ以上を行えば、わが六角国は世界を敵に回すことになります」
「確かに、独立を認めて、そして今度はその間隙を縫って、我が国が一番ほしいと思っていると思わせる国家の成立を見た。でも、本当の意図を隠すには、やはり同時の方がいいのでは?」
「いえいえ、まずは、プラスマイナスゼロのところから始めるのが一番なんですよ。その方がほとぼりは冷めやすい。どんなにセンセーショナルなことであっても、時間が経てば、世の中は忘れてくれる」
「果たしてそうだろうか? 一旦忘れてしまったことでも、似たようなことを起こせば、『またやった』ということで、却って非難を浴びることになるのではないだろうか?」
意見は白熱を極めた。
確かにタイミングの問題は大きい。
それに、独立国家を認めるのと、財閥国家を建国させるのとでは、同じタイミングで行っていけないことは満場一致の意見だった。なぜなら、六角国の今回行った一連の「建国劇」の中心は、財閥国家の建国にあったのだ。
他のことはある意味付属的なことに相違ない。
「一番の目的は何か?」
ということを隠すのが一番の目的だったのだ。
その目的は成功した。
「もし、三つを一緒にしていたらどうなっていたか?」
ということは分からないが、少なくとも、間を置いて財閥国家の建国に対し、他の国からのバッシングはほとんどなかった。本当は、
「どうせあの国は、そんな国なんだ」
と半ば、
「やって不思議はない」
と思われていたからに違いない。
そうやって、六角国の意図したとおりに、大国である六角国と東南アジアの間に、四つの国が建国されたのだった。
それぞれの国は小さなものだった。四つの国はそれぞれに他の国と早々国交を結び、四か国の間でも国交が結ばれた。しかし、四つの国はそれぞれ違った目的の元建国されたもので、元から国交が正常化するわけもなかった。
表向きには小さな国が助け合うようにして、つつましくひっそりと国を治めているように見えた。しかし、実際には表から見ているほと仲が良いわけではない。当然、そこには六角国の見えない力が存在する。それは、
「統治」
という力で、その力の及び方は、それぞれの国で違っていた。ほとんど属国になっている国もあれば、自由主義の国もある。六角港にとって一気に四か国もの統治は難しく見えたが、問題はバランスだった。
「いかにバランスよく、百パーセントを分配するか?」
その一点であった。
数学者によって割り当てられた割合を、政治家や官僚が、それぞれの国に対しての介入を計算しながら行う。難しいように見えたが、四か国が建国された当時の政治家や官僚の人材には恵まれていたのだ。
さらに問題は、一気に四か国が形成されたということだった。それぞれに表向きは上下関係が存在してはいけないのだが、六角国から見れば、それぞれの国の上下関係は歴然だった。
しかし、それはあくまでも六角国の統治の元のことである。自由貿易や自由を許された国は、世界から見ると、一番の先進国に見えた。なぜなら一番オープンな国で、しかも、先進国であることを、あからさまに出していた。もちろん、それは六角国の意図したところであり、本当は、他の国、特に属国としている国ほど、最先端の国はなかった。
どうして六角国がそんな建国を行ったのかというと、六角国の属国である国を、
「六角国の秘密工場」
として位置付けるつもりだった。
実際に六角国は、社会主義陣営として、国連からマークされていた。
かつては、世界最大の国として東西を分離し、強大な力と指導力を持っていたからだ。