小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

アテルマ国の真実

INDEX|18ページ/34ページ|

次のページ前のページ
 

 という考えの元にあった。
 そのことはアテルマ国の首脳の間では、分かっていることだったようで、水面下で、
「開国した時、どこの国と手を結べばいいか」
 ということを、研究しているグループがあった。
 六角国と同じ国家体制の国だけは、最初から除外された。
 有力候補としては、マンデラ国も上がっていた。
「あの国は、自由を表に出していて、国民はみな平等というのがスローガンとなっています。教育問題に難があり、優秀な人材が育たないようになっていますが、それが彼らの植民地支配から逃れる計算であることは分かっています」
「じゃあ、植民地にしてしまってから、教育方針を変えてしまえばいいのではないか?」
 という意見に対し、
「いえ、それはできません。それまでの教育体制を変えると、他の国と同じになってしまいます。それこそ植民地としての価値はないんではないでしょうか?」
「そうかも知れないが、今は植民地支配など、大っぴらには言えない世界情勢です。実際に我々も植民地支配を受けていた国ではないですか。そんな我々が今度は他の国を植民地としてしまうと、列強からの信用はなくなり、それどころか、うら腹心ありと疑われてしまい、経済封鎖などの強硬手段に出られたら、志半ばで、今度は国家の存亡の危機に陥ってしまうかも知れません」
 この会話は、岩見大統領と、真田副大統領兼首相のある日の会話だった。
 マンデラ国を最初に手を結ぶ国として考えようとする発想は、この時だけだった。二人の密談によるものだけで、公の場で話し合われたことはなかった。もし、この時マンデラ国と最初に手を結ぶという意見が通っていれば、アテルマ国に最初から法律として、
「他民族との結婚は、女性のみ禁止」
 という内容のものが出来上がっていたかも知れない。この時の話し合いが成立しなかったことで、アテルマ国の運命は、後ろに十年ほどズレてしまったようだった。
 もちろん、そんなことは誰にも分かるはずはない。後になってから気づくというものではない。しかし、もしこの事実を知っている人がいたとすれば、
「アテルマ国の滅亡が、十年後ろに先延ばしになったということだ」
 というに違いない。
 アテルマ国は政権交代がもう少し遅ければ、運命は一体どうなったというのだろう?
 政権交代がクーデターによって起こったものではなく、一滴の血も流さずに政権交代ができたのは、民主国家ではない国の中では、実に珍しいケースだった。国家体制という意味でも、まわりの国から見て、アテルマ国は実に不思議な雰囲気を醸し出している国であった。
 アテルマ国へも、マンデラ国から移民がやってきた。あまりたくさん入ってきたわけではない。なぜならマンデラ国からの移民のほとんどは、子供に天才を持つ家族だったからである。
 毎年のように少しずつやってきているが、最初の移民は、まだ大戦中のことだった。
 その頃は、まだ平等で自由な国家ではなかったので、天才の子供が生まれたことで、
「国から子供が利用されるのではないか?」
 という意識があったから、父親が子供と母親を他国に逃がしたのだ。
 ちょうどその頃、まだ国家として成立していない、曖昧な国境を持った今のアテルマ国であれば、まわりの目を逃れて、亡命もうまくいくのではないかという考えからだった。
 その子供が成長し、アテルマ国が独立する頃には、大学で国家機密にかかわるような研究室にいるというのは何とも皮肉なことである。
 確かに親はマンデラ国だが、生まれはアテルマの土地である。アテルマ人として堂々と生きていたのだ。
 だが、国籍を買えるほどのお金もなく、今では立派な研究員になっているので、研究にて大金をつかめるようになったからと言って、わざわざこの期に及んで、アテルマ国の国籍を買う必要もなかった。
 一応アテルマ国の国籍も持っていたが、外国からの移民であるという証拠も、戸籍上は残っていたのである。
 彼の研究室は、真田助教授の研究室だった。彼は現役学生の中でも特に優秀で、真田助教授直々の研究に携わっていた。年齢的には二十歳になった頃で、大学には付き合っている女性もいた。
 彼女は研究室の一員ではないが、彼女の兄が、真田助教授の親友だった。そのよしみで、研究室に差し入れを持ってきてくれたりしたのだが、その時に彼と仲良くなった。
 彼の名前は、更科研究員という。更科は母親と二人暮らし。彼女はそんな更科に健気な研究態度と重ね合わせて、好意を持つようになった。その頃の更科は、まだ女性と付き合った経験はなかった。彼の才能は非凡ではあったが、まだその頃は、
「研究員としては使い勝手がいい」
 という程度のものだったが、彼女と知り合うようになって、元々子供の頃から持っていた天才肌が顔を出したのだ。
「天才というのは、子供の頃がピークでどんどん普通の人になっていくと、もう一度天才に戻ることはない」
 と言われていたが、更科研究員は違っていた。彼は女性と知り合うことで自分の中の天才肌に気が付いたのか、どんどん他人との違いを表に出すようになっていった。
 天才肌の更科は、実は天才というだけではなく、二重人格な面を持っていた。ただ、それは彼に限ったことではなく、
「天才肌の人間はおおむね、どこか二重人格的な面を持っている」
 と言われていたが、彼も他ではなかったのである。
 更科研究員は、自分がこの国でどのように育ってきたのか、ほとんど覚えていない。この国が鎖国していたこと、その後開国し、他の民族が入ってきたこと、そのあたりまでの記憶がない。まわりの人からは、
「よほどショックなことがあったんだろうな」
 と思われていたようだが、意識的に記憶を消されていたことを知っている人は、記憶を消す装置を開発し、彼を実験台に使ったこの大学の異次元科学研究所の人間しか知らない。
 彼らは、更科研究員の記憶を消したのは、もちろん実験台に使ったことを意識から消すという理由と、もう一つは、
「どうして彼が実験台に選ばれたのか?」
 ということであった。
 彼が天才肌であるということと、二重人格の裏に隠された彼のもう一つの一面が、記憶を消してしまわないと、この国に及ぼす災いが半端ではないことを知っていたからであった。
 更科研究員のことにまわりは気を遣っていた。そのうち、気を遣う方も気を遣われる方も疲れてしまい、研究所での生活が中心になっていった。
「記憶がないのなら、病院にいけばいいんだ」
 と陰口を叩かれていたのが、自分の中で痛々しさとして残っていた。
「病院って、一体何なんだ?」
 病気を治すところであることは当然だが、ということはまわりの言葉を理解すると、自分は病気だということになる。
「まさか、そんなことは」
 確かに、身体の病気以外に精神的な病気があると言われているが、アテルマ国の中では今はそんなものは存在しないと聞いていた。精神的に悩みを抱いていた人は確かにいたが、今では、何らかの方法を用いて、誰もが悩みを抱かない世界に作りあげられていると言われている。
 十年前であれば、そんなことはありえなかったはずだ。何が違うというのか考えてみたが、
作品名:アテルマ国の真実 作家名:森本晃次