アテルマ国の真実
結婚は当時、アテルマ民族同士、六角民族同士で行われることはあまりなかった。それがどうしてそうなったのかということはしばらくの間謎だったが、実際は、六角国からアテルマ国に来ていた人たちが、
「占領している国の異性を結婚すれば、立場は絶対に自分の方が上」
という意識があった。
結婚相手となるアテルマ民族の方も、
「これで支配される階級から逃れられる」
という意識があり、相思相愛のカップルが生まれた。しかし、それはあくまで表面上のことで、確かに結婚すれば、アテルマ民族の方は、支配されていた立場から表向きとしては解放される。
だが、結婚してからの家庭内では絶対的な優劣が存在する。アテルマ民族は頭はよかったが、支配されることが長かったため、警戒はしているが、甘い希望も捨てきれずにいた。そのため、アテルマ民族は搾取されることに対して、身をもって体験させられることになった。
そんな時、生まれてきた子供に変化が訪れた。アテルマ民族の親には似ない子供がたくさんできるのが分かったからだ。
全員というわけではないが、比率としては高い。そのため、開国してから独立すると、
「他国の異性と結婚してはならない」
などというおかしな法律が制定されたのだ。
鎖国時代のアテルマ民族と六角民族の男女結婚比率は、六角民族が男性であることの方が圧倒的に多かった。
考えてみれば当然だった。
アテルマ国に駐留する六角民族には、
「六角民族と結婚して、支配されている階級から逃れたい」
と思うような人は女性の方が多かった。男性であれば、プライドが許さないだろう。そんなことを考えていると、比率は当然のごとくであった。
しかし、生まれた子供がおかしいというのは、親にしか分からないことだった。
それもアテルマ民族にしか分からない。アテルマ民族の母親だけが分かっていたのだ。
彼女たちは、
「自分の勘違いであるかも知れない」
という思いと、夫が支配階級である六角国の人間であることで、絶対的な劣等感を持っていることで、夫にそんなことを打ち明けることはできなかった。
世間では、そんな思いを持った母親がたくさんいたが、六角国の属国であり、鎖国を続けている自分の国を思うと、誰にも相談できず、中には自殺してしまう人もいた。
社会問題にもなったが、それを解明できるだけの力はアテルマ国にはなかった。何をするにも六角国の承認が必要で、こんな曖昧な話を六角国首脳にできるはずもなかった。
時代は鎖国から開国に向かい、
「流れに逆らうことはできない」
と言わんばかりに、六角国は撤退していく。
「見放された」
と感じたのは、政治や経済の問題だけではなく、子供の問題、そして六角民族とアテルマ民族の間で生まれた夫婦の問題が完全に置き去りにされたのだ。
独立してから、アテルマ国は独自にこの問題解決に当たってきた。
このことを国連は知らない。アテルマ国はこのことを国連に知られてはいけないと思っていた。もし、知られてしまうと、アテルマ国はまるで伝染病を患った患者のように、隔離されてしまうと思ったからだ。
実際に、大戦後に独立した国の中には、隔離された国があった。
アテルマ国のように結婚や子供の問題ではなかったが、戦争の影響からか、化学兵器による文字通りの「伝染病対策」だったのだ。
アテルマ国も、まさかそんな伝染病が子供に影響しているとは思っているわけではないが、どうしても国連を恐れないわけにはいかなかった。
「国連に加盟はしているが、完全に国連に従順であるという国は、少ないのかも知れないだろう。特に、最近独立した元植民地の国はその傾向が強い」
と、国連常任理事国の首脳は、口には出さなくても、心の中でそう思っているに違いない。
「独立したがっている国の邪魔をすることは我々にはできない」
それが、国連常任理事国の共通した意見だった。
国連はさておき、アテルマ国は独自に自分たちの子供のことを危惧する内密な組織が形成された。発起人は、実際に、
「おかしな子供」
として親から変な目で育てられた子供が、自分から立ち上げたものだ。
おかしな子供という発想は、親にはなかった天才的な頭脳を持った子供が生まれたということだ。それは親である前に一人の人間として、嫉妬や恐怖が母親にあったからだ。どうしても搾取されてきた人間の被害妄想が、そんな歪んだ発想を生んだに違いない。
天才的な頭脳を持った子供というのは元々、
「生まれるべくして生まれた子供」
であった。
ただ、民族によって、その比率はかなりの差がある。その差がそのまま表に出るため、アメリス国のような狭い国で天才が多いと、
「アメリス民族は、天才肌の民族だ」
と言われたり、逆にアテルマ国と隣国であるが、海を挟んだマンデラ国のように、ほとんど天才と呼ばれる人を排しない国は、実際には天才がいるにも関わらず、
「マンデラ国には天才が生まれない」
というレッテルを貼られてしまったりする。
マンデラ国に生まれた天才がどうして表に出ないかというと、マンデラ国の慣習で、生まれた子供は皆一緒の場所で教育を受け、分け隔てなく教育される。
競争することはなく、誰もが平等に教育を受けられるので、落ちこぼれはいない。
しかし、そのせいもあって、天才が育たない環境であることも否定できない。マンデラ国は、
「一人の天才よりも、千人の落ちこぼれをなくしたい」
という教育方針だった。
「青年になってからでも、勉強すれば、我が国のためになる人材くらいは発掘できる」
という考えで、国土の急速な発展よりも、治安や貧富の差などの、足元の問題を最優先に考えていた。
その考え方は、マンデラ国も植民地だったことから生まれた。
植民地として支配してきた国から解放されると、独立の際に、それぞれの国では、
「今後の国のあり方」
が問題となってくる。
国を豊かにし、強い国を作りたいと思う国、国防最優先で、防衛軍備に力を入れる国、
あるいは、自国の内政に目を向けて、他の国から、
「この国は利用価値がない」
と思わせて、
「もし、植民地時代に戻った時、我が国だけは、利用価値がないことで、あわやくば植民地支配から逃れよう」
と思っている国もあるのだ。
マンデラ国は、それに近い。そのせいもあってか、天才が育たない国になってしまった。しかし、国民が他国に行くことは自由なので、天才児を持った子供は、国外へ移り住むことを選ぶ。そのためマンデラ国からは天才はいなくなり、入国してくれた国は、苦も無く天才を一人手に入れることができるのだ。
アメリス国も、アテルマ国も、どちらも中立的な国だった。国内の強化を優先することも、国の急速な発展を目指すわけではなかった。まずは、独立して間もない国なので、まわりの国に比べて、目立たないようにしたいと思っていたのだ。
それでも、他の民族との結婚を禁じるような他の国にはないおかしな法律まで作らなければいけなかったのは、アテルマ国における切実な問題があったからに違いない。
アテルマ国は、鎖国時代から首長国であった六角国としては、
「利用するだけ利用して、後は容赦なく撤退すればいいんだ」