アテルマ国の真実
それはアテルマの民族が望んだわけではなく、六角国の首長国としてのプライドだった。
「支配階級と、支配される階級とでは、そもそも民族が違うんだ。自分たちの優秀な血を、支配される民族の血で汚すなど、考えられない」
という考えだった。
ちょうどその頃、アテルマ国の国立大学で、遺伝子研究に精を出している学生がいた。
彼は学生と言っても三十歳近くになっていた。大学を主席で卒業し、そのまま大学院で研究するのに残ったのだ。まだ三十歳前なのに、すでに助教授になっていて、
「教授の椅子も、もうすぐだ」
と言われるほどの才能を持っていた。
彼の論文は世界的にも評価されていて、学術界では彼のことを、
「新進気鋭の学者」
として、一目置かれていた。
「彼のような才能があれば、世界有数の大学に移っても、すぐに教授になれるんじゃないか」
と言われるほどの、
「百年に一人の逸材」
とまで囁かれていた。
彼は、岩見大統領の参謀である、真田副大統領兼首相の息子である。
この国では、他の国と同様、大統領と首相を兼ねることはできないが、副大統領と首相を兼ねることはできる。そういう意味では、真田参謀は、この国の実質的なトップと言ってもいいだろう。
真田助教授の研究は、父親の政策に沿ったものが多かった。憲法や法律に書かれた条文の信憑性を研究することが主な任務だったが、
「今実質的に行われている法による支配を研究することで、さらなる法律の制定。さらには改正への足掛かりを作る」
というのが目的で、信憑性も同時に検証できれば、国民に対しての国家の真剣みが理解され、誤解がなくなることも目的の一つだった。特に悪法と言われかねない「結婚への制限」の項目が誤解されては、国家運営にしこりを残しかねないからだった。
真田助教授の研究は、チームで行われていたが、そのメンバーには、研究の本当の目的を知らせていない。今ここで述べた内容くらいのことは分かっているだろうが、さらにその奥に潜むものを誰も知らない。
研究員のほとんどは、鎖国時代の研究室の話を聞いていた。
「そんなに搾取されていたんですか?」
と言いたくなるほど、情報操作はもちろんのこと、研究もまともにできなかった。
当然、国家体制に沿ったこと以外には、予算が組み込まれることもなく、万が一余計な研究をしないようにと、国家の監視員が絶えず目を光らせていたという。
「何が一体、そんなに怖かったんでしょうね?」
と聞いてみたが、当時のことを知る定年間近の教授とすれば、
「国民が知ることが一番怖かったのさ。情報統制は、六角国にとって、アテルマ国支配には、自分たちの都合のいい情報しか流さないことが不可欠だったのさ。下手に知られて疑問を持たれては、小さな疑問がどんどん膨れ上がり、どこまでが本当のことなのか、我々自身が分からなくなることが怖かったんだろう。あくまでも自分たち中心の社会なので、どうしても、そういうことに気を取られてしまう。それが主義主張の違う国を支配しようとしている側の考え方なんだろうな」
と言っていた。
その教授を師と慕う真田助教授は、老教授の研究室に、大学生の頃からずっと通っていた。老教授の方も彼のことを、まるで自分の子供のようにかわいがっていた。
「年は離れていますが、お父さんのような存在です」
と、普段は研究以外のことに関しては極端に口数が少なくなる真田だったが、相手がこの老教授であれば、少しは饒舌になるというものだった。
老教授の研究は、以前から変わったものが多かった。特に遺伝子関係の研究では、真田も一目置いていて、老教授が引退すれば、
「後は任せてください。私が教授の研究の後を引き継ぎます」
と口にしていた。
しかし、両教授は本当に自分が引退する寸前まで、真田助教授に自分が何の研究をしているのか教えなかった。
「そんな研究をなさっていたんですか?」
と真田助教授は少し意外だと言わんばかりの表情になったのだが、
「君にとっては、期待外れだったかも知れないが、私が研究を始めようと思ったきっかけを発見した時の心境を君に話して、どこまで分かってくれるかだな」
と教授は口にし、実際にその時のことを話してくれたが、やはり、話を聞いただけではピンとくるはずもなかった。
教授の研究は、教授が引退するまでに一度学会で発表された。
しかし、教授が言うには、
「これだけでは、まだ不自由分なんだ。ここから先の研究が本当の意味で解明されると、この国の法律は大きく変わり、新しい歴史が生まれてくることになる」
と言っていた。
だが、教授とすれば、まだ研究も半ばだということだったが、引退を前にここまで発表できたことには満足できているようだった。
「何とか間に合ったという感じだね。それに、これからは君が引き継いでくれるから安心なんだ。後は頼んだよ」
教授の研究発表の功労と、少し早かったが、教授の引退記念の慰労会が研究所員の間で催された時、そういって、声を掛けられた。
「はい、何とか私の力が及べば嬉しく思います」
というと、
「いやいや、君なら大丈夫だ。私も君だから安心して引退できるんだよ。研究は半ばだけど、私としては、やり残したことはないと思っているくらいだ」
なるほど、確かに研究というものに終わりはない。目標を持ってそこに近づくように研究を重ねていても、実際に近づくと、今度はその先が見えてくるものだ。真田も若いが研究員の端くれ、そのことは百も承知だった。
「ありがとうございます。そういっていただけると、私も安心して教授の研究の後を引き継げます」
教授の研究は意外なものだったが、だが、本当は教授が今研究していることは、最初からの目的ではなかった。途中、一度研究成果が見えた時、学会で発表しようと感じ、実際に研究中に書き留めた内容をレポートに纏めようとした時、書いていて、
「おや?」
と感じたという。
教授は、最初それがどこから来るものなのか分からなかったが、今までにも同じ感覚を味わったことがあった。
「これは、私の考え方がどこかでズレてしまったのか、それとも、最初から見えていた場所が違ったのか」
つまりは、自分の求めていた答えとは違うものが見えたのだった。
しかし、見えたものは最初に目指していたものと違っているわけではない。
「ひょっとすると、目指していたものが違ったのではなく、見えていたものが違ったのかも知れない」
その思いに至るまで少し時間が掛かった。それは教授がまだ助教授だった頃の経験で、今回の研究も同じだったという。だから最初に真田助教授に話した時、話を聞いた真田助教授が、
「そんな研究をしていたんですか?」
と、思わず聞き返すような研究だったのだろう。
そのことに気づくと、真田助教授は老教授の顔を改めて見ると、そこには最初に師と仰いだ時に感じた教授の顔が浮かんでいた。
教授の研究が途中までではあったが発表された時、学会よりも、世間の関心の方が高かった。それは真田助教授にも分かっていたことだったが、
「それは発表内容がお粗末な割には、国民の興味を引くものだった」
ということに他ならない。