アテルマ国の真実
アテルマ国の私法に関しては、それほど他の国と変わりはないのだが、公法である憲法には、かなり独特な内容が組み込まれていた。私法に関しては変わりないと言ったが、憲法に定めてある独特な決まりを守らなかった場合は、私法、つまりは行政法の中で、処罰を決めていたのだが、極刑にもなりかねない厳しいものだった。もちろん、国連も知らないことであり、憲法だけを見ていれば分からない恐ろしい内容が、行政法には含まれていたのだ。
六角国の支配を受けながらも、民族としてはカメリス民族の血が深く刻まれたアテルマ民族は、誰もが六角国とカメリスの関係を知っている。
学校で世界史を習う中で、六角国がかつての大戦で、カメリスから攻め込まれ、植民地としての歩みを進めていたことを知っていた。
「アジア地区の平和を守るため、アジア地区の独立を勝ち取るため」
というスローガンだったのだが、実際にはアジアの国を植民地化して、資源を貪ることが目的だった。それはあたかも、今度は六角国がカメリス民族がほとんどの国であるアテルマ国を属国としているのと同じようで、実に皮肉なことである。
ただ、大国として他の国から自国を守るため、資源は大切だった。特に大戦中のカメリス国は島国として渡洋しなければ得ることのできないところは、植民地となる国は不可欠だった。島国はそう簡単に攻め込まれることはないが、海上封鎖などで凍結してしまわれると、手も足も出なくなり、孤立を余儀なくされてしまうのだった。
アテルマ国は、さすがにそこまではなかったが、逆に他の国と国境を接していることで、一番最初に問題になるのが、
「民族問題」
だった。
アテルマ国は小国であり、元々この辺りは国境のない曖昧な国衆のようなものがひしめいている地区だった。
確かに国境という世界的に認められたものはなかったが、この地区に住む人たちには、ある程度の境目が、
「見えない国境」
として、
「暗黙の了解」
で、形成されていた。
かつての大戦が始まる前になり、植民地支配が主流だった帝国主義の時代には、
「大国の論理」
が、そのままこの地域の国境となってしまった。つまりは、列強によるこの地域における、
「分割支配」
の始まりだったのだ。
しかし、終わりは大戦の終了とともにやってきた。
大戦が終了すると、それぞれの大国の植民地支配に終止符が打たれる世界秩序が生まれてきた。それは帝国主義の終わりを示すもので、植民地支配のなくなりを示していた。
それに伴い、支配されてきた国の独立運動や内戦が勃発する。それは最初から分かっていたことだが、それにより、世界は二つの大きな体制に分割されることになる。なぜなら、いくら独立したとはいえ、自国だけで国家運営などできるはずもない。まわりの国の助けが不可欠だった。中には、属国のようになるアテルマのような国もあれば、地理的な、前線基地としての役目を担った国も現れた。カメリスの戦後のような形である。
アテルマ国の母体は確かに原住民族だったが、原住民族には、国家の運営をしていく力など存在しなかった。
国家運営には、カメリス民族の血を受け継いだ人にしかできないことは、国民にも分かっていた。国家元首は一応原住民族から選ばれた人がなっていたが、それはあくまでも、
「お飾り」
であり、実際に国家運営を行っているのは、高官官僚と呼ばれる人たちであり、
「彼らに委ねていれば、何とかなる」
と、民衆は考えていた。
というよりも、頼るのは彼らしかいなかった。逆に言えば、彼らがいなければ、独立などということは絶対に不可能で、六角国に見捨てられた時、国が滅んでいてもおかしくなかっただろう。
隣国から攻め込まれて領土の一部にされるか、他の国から侵略されるか、あるいは、六角国に食い荒らされたこの国をどこも必要とすることもなく、国家としての体制もないまま、放置されてしまったかも知れない。
もしそうなれば、無政府状態の無法地帯として、治安などというのは有名無実、人々による弱肉強食の世界と化し、戦争状態よりもひどい状況に陥り、
「この世の地獄」
を、見せつけられることになるだろう。
それを防いだのは、カメリス民族の血を引く高官連中のおかげでることは間違いない。外交、内政、彼らに任せていれば、何とかなっている、そういう意味で、カメリス民族が優秀であることは、誰もが認めることとなっていた。
しかし、カメリス民族はしょせん島国民族。周辺を海で囲まれていることもあり、民族意識が高かった。そのため、アテルマ国の法律は、そんなカメリス民族によって作られたものだ。よそ者を受け付けないことはもちろんのこと、アテルマ国からの流出も制限するような法律になっていた。
「これじゃあ、あまりにも」
と誰もが思ったかも知れないが、
「これも自分たちが列強や国連加盟国から認められ、生き残るためには仕方のないことだ」
と、それぞれが自分に言い聞かせていたことだろう。
まずアテルマ国が行う必要があったのは、
「六角国からの完全なる独立」
だった。
確かに六角国は勝手に撤退していったのだから、独立も何も、抵抗なく自分たちの自治を認められたようなものだが、実際にはそれまで大いなる影響のあったものが急に目の前から消えてしまったのだから、誰もが何をしていいのか分からなくなっている。
そもそもの自分の仕事の目的を見失ったもの。自分が自信を持ってきたことが、足元が抜けてしまって、奈落の底に叩き落されたと思っている人、多かれ少なかれ、国民の誰もが、六角国の影響を受けていた。六角国が撤退したことで何も感じない人などいないに違いない。
「この国では、まだ戦争は終わっていない」
そんなことを、大戦が終わり、何十年も経ってから思い知らされることになろうとは、思ってもみなかった。
――思い知らされるのが一体誰なのか、そして、その影響は?
六角国の支配の下、鎖国、開国、そして散々国土を蝕まれた末の、置き去りにされた形での独立……。アテルマ国の歴史は波乱万丈を通り越した激動の歴史が、短い間に展開だれたのだった。
六角国の支配の影響は大きかった。
個人的な自由はあったが、属国ということで、国家としての自由はほとんどなかった。情報操作、出版制限、つまり、国民としては国内にいる間は自由だったが、表からの情報はシャットアウトされ、六角国の検疫を受けた上での情報だけが、アテルマ国の常識となっていた。
情報操作されていることを知っているのは、界隈政府の連中のみで、それも六角国が送り込んだ人たちなので、彼らには罪の意識はなかった。むしろ六角国のスパイとしての要素も秘めていて、もし、反乱分子が生まれようものなら、秘密裏に抹殺することを使命としていた。
そんな状態にしたのは、鎖国政策を取ることに、国民からの不満が漏れないようにするためだった。これこそが、
「社会主義国家の首長国による属国支配」
だったのである。
もちろん、こんな体制はアテルマ国だけではない。水面下では他にもあった。それだけ世界にはたくさんの国があるということで、
「これでは、まるで帝国主義時代の植民地と変わりないではないか」