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短編集11(過去作品)

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夜の蝶



                  夜の蝶


「夢っていいよな。夢見ているだけなら、タダだもんな」
 友達の祐二は、辛口批判が好きだ。
「そういうお前には夢ってないのか?」
「あるさ、でも現実とどうしても比較しちゃうからね。だから金銭的な発想をしてしまうのかも知れないね」
 中学時代から親友だと思ってきた祐二の話だから黙って聞いていられるが、もし他の人の意見だと、逆らいたくなる。祐二とだったら、正直な意見を戦わせてもそこに衝突はなく、あるとすれば発展性のある実のなる話になることだろう。
「聡、君の場合はそうでもないかも知れないが、夢を追い続けて自分を見失う人もいっぱいいるのも事実だからね」
「確かにそうなのかも知れないが、そう杓子定規なものの考え方にはあまり感心できないな。やっぱり皆夢があるから頑張れるんじゃないか」
 中学時代の祐二は部活に燃えていた。サッカーをやっていて、将来は国立競技場のピッチに立ちたいと思っていたはずである。しかし、突然の悪夢が祐二を襲った。試合中に大怪我をしてしまったのだ。
「俺はもうだめだ」
 自暴自棄に陥った祐二を皆で励まし、何とか今までどおりの生活ができるようになったのだが、その間のブランクは如何ともし難く、結局普通の選手になってしまったのだ。
 オファーが来ていた高校からは断られ、いくら今までの生活ができるとはいえ、一旦失ってしまった夢の代償はあまりにも大きかったのかも知れない。
 もちろんその大きさは本人にしか分かるわけもなく、踏み込んではならない本人の傷なのだろう。
 なるべくそのことには触れないでいた。しかし、祐二も高校に入り、普通の高校生活を送るようになって、今まで知らなかった楽しいことを覚えることができたのは、本当に幸運だった。いや、それもこれも祐二の性格がそうさせたのであって、そんな祐二を友達に持てたことは私の誇りでもあった。
 実は私も中学時代の祐二を見習って追いかけている夢がある。
 これは今も続行中で、祐二も知っていることだ。知っていて応援してくれている祐二は真のスポーツマンなのかも知れない。
 最近祐二は夢になることを見つけたらしい。今までのスポーツとは違い、どうやら芸術のようだ。
 私が追い求めている夢、それは文学の世界だった。中学時代から本を読むのが好きで、いずれ自分でもそんな作品を書ければいいなと漠然と思っていたのだが、中学時代の祐二を見ていて、自分も頑張ろうと思ったのだ。それは小説であっても、詩であっても、エッセイであっても、自分の思ったことを書くという発想が原点にある限り、続けていけると思ったのだ。
 私と祐二は、同じ芸術を目指すものとして意気投合した。祐二の目指しているものが絵描きだと聞いた時、目を瞑って思い浮かべたが、カンバスに向かって描いている祐二の姿が違和感なく、すぐに思い浮かんできた。
「そんなたいしたものじゃないよ。ただの趣味だからね」
 そう言って謙遜する祐二だったが、明らかに夢を見ていることは間違いなさそうだ。何しろ、趣味の話をする時の祐二の顔は輝いていて、それこそ中学時代サッカーをしていた頃の顔そのままだった。
「でも、俺がこうやって立ち直ったのも、お前がいたからさ」
「そんなことないさ、君の努力の賜物じゃないか」
 確かにその通りである。私が小説を書き続けていられるのも、まわりに祐二のような友達がいてくれるからだと思ってきた。なかなか多感な時期で、下手すればすぐに興味が他へ移ってしまい、悪い言い方をすれば「飽きっぽく」なってしまいがちである。特に執筆するアイデアが浮かばなかったり、他の楽しいことが眩しく見え出したりすると目がそっちへ行ってしまうであろうところを食い止めてくれたのは、祐二の存在が大きかったからに違いない。
 しかし、私に芸術の心があると信じて疑わない自分がいるのも本当である。
 そうでもないと、毎日のように執筆などできないからだ。結構執筆をするというのはエネルギーがいることだ。最初書こうと思ってもなかなか書けなかったが、きっかけとは意外と近くに転がっているもので、環境を変えると書けるようになったのだ。
――何も机に座って原稿用紙を睨みつけているだけが執筆ではない――
 そう感じることが、執筆への第一歩だった。
 最初はそれが分からずに苦労したものだ。
 それこそ原稿用紙のマス目を睨みつけ、何も埋まっていない白紙の用紙に対し、脂汗を滲ませたものだった。
 人の流れを見ることから始めたのが功を奏したのかも知れない。しかも喫茶店に行くのが好きな私は、結構いろいろ馴染みの店を持っていた。中にはマスターや常連さんと仲が良く、行ったら喋ってばかりのところもあるが、それ以外は単純においしいコーヒーを贅沢な雰囲気の場所で味わいたいと思っていた。
 そんな思いを持った場所に喫茶「カトレア」がある。
 ここは白壁に覆われた洒落た造りの店で、本格炭火コーヒーを堪能できるところである。少し郊外にあるので、客はそれほどいないが、店の前を通る人は時間帯によって学生だったり、主婦だったり、夕方はサラリーマンやOLの帰宅風景と、さまざまである。
 人間模様とまでは行かないかも知れないが、バラエティに富んでいて、却って勝手な想像を膨らませるには恰好の光景を見せてくれる。
 マスターはまだ四十代だろうか。学生の私が一人で行っても、結構楽しい話をしてくれる。元々旅行が好きで、若い頃には海外旅行の経験が豊富だということで、そういう話をいつもしてくれた。もちろん、執筆が一段落してからのことである。
 口元に髭を蓄えていることから、いかにも喫茶店のマスターという雰囲気が出ているが、髭を剃ってしまえば思ったより幼な顔に見えることだろう。そういう意味で髭を蓄えることは海外旅行では必須だったのかも知れない。
 この店の常連さんはさまざまである。時間帯によってさまざまというべきか、表を歩く人たちとほとんど同じと言っても過言ではない。
 昼間の主婦の時間帯など、何人かでやってきては、人の噂話をすることが多い。それも本人たちは小声で話しているつもりらしいが、気がつけばいつも大きな声になっていて、聞きたくもない話が耳に入ってくるというのが現実だった。しかし小説を書くようになって、それも次第にネタになりつつあるようで、そんな自分も少し怖い。
 いつも持ち歩いているメモには常連の会話が克明に書き残されている。たいした話題でもない話もあるにはあるが、内容的には少し捻れば十分ストーリー性豊かなものになるであろうものも含まれている。
 人の噂話しかり、自分たちの体験談も、近くに人がいるにもかかわらず臆面もなく話している。自分も誰かに噂されているのではないかという危惧もあるが、主婦の話は実際聞いていて飽きることはない。
 浮気や不倫などの身近な話でも、普段聞くことのできない禁断の世界を垣間見ることができる。今まで知らなかった世界への興奮が次第に私のメモを満たしていってくれる。それがやがて私の中でオリジナルなストーリーとして完成されていくのだ。
 だが、心の中には葛藤もある。
作品名:短編集11(過去作品) 作家名:森本晃次