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短編集11(過去作品)

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 しかし、ある一線を越えると急に表情が穏やかになり、こちらを向いていた視線が正面を向いたかと思うと、何もなかったように足早に雑踏の中に消えていった。昨日感じたことと同じである。
「狐につままれたような感じだな」
 そう言って独り言のように呟いたのを、誰も知るはずはなかった。
 じっと見ている瞬間というのは、耳の中が真空状態なのか、雑音は一切入ってこない。BGMとして流れているクラシックも、朝食を食べている時に聞こえてくるフォーク、ナイフの金属音も、私が呟いた一言で耳によみがえってきたのだ。
 思わずまわりを振り返る。相変わらずさっきと客の入れ替わりはない。それどころか私が入ってきた時とまったく変わっていないような気までしてくる。
 時間にして二十分は過ぎているはずだった。腕時計でそのことは確認できる。
 止まっていた時間が動き始めた!
 それが今の感想である。
「お待ちどうさまでした」
 まるで測ったようにモーニングセットを持ってくるウエイトレスは昨日と同じ人で、笑顔も昨日の再現だった。しかし、その笑顔に昨日と違いぎこちなさが消えたと思うのは贔屓めではないはずである。
「どうぞごゆっくり」
 そう言って最後に浮かべた笑みが含み笑いのように感じたからである。まるでずっと以前から彼女を知っていたかのような錯覚に私を導いてくれた。
 それから毎日通うようになったが、この二日間で感じたことが頭から離れることはなく、
 さらに翌日もまたその次の日も、同じような思いが頭の中に蓄積されることになっていったのである。
 それからの私は、考え事をする時間が前にも増して多くなった。歩いている時はもちろん、仕事をしている時であっても、気が付けば考え事をしている。喫茶店にいる時はそれこそゆったりとした気分なのだが、却ってそこから離れてから奇妙な視線を思い出しては考えに耽っていた。
 喫茶店に通い始めて一週間がたったある日のことである。学生時代からの親友で、よく電車の中で見かけては声を掛けてくれる木下という友達がいるのだが、どうもいつもと様子が違う気がした。
 見つけた瞬間声を掛けてくれるようなやつで、陰日なたのない性格が却って煩わしさを呼ぶほどである。その反面いつもまわりを見ていて誰よりも先に相手を発見することには長けたやつとも言える。いわゆる後先考えずに行動に走るタイプであるが、私は彼のそんなところが好きなのだ。
 しかしその日の様子が変なのはすぐに分かった。
 いつも同じ車両の同じところに立っているような性格の持ち主で、めったなことで行動パターンを変えるようなやつではない。それは私も同じことで、だからいつも先に発見されてしまうのだが、なぜかいつものように電車に乗ってすぐに彼から声を掛けられなかった。
 自然と視線は彼がいつも立っているあたりに向いた。
 果たしてそこに彼は立っているではないか。いつものような目敏さとは程遠く、窓の外をじっと見つめている。それだけでもいつもと違うのだ。
「おい、木下」
 私は自分から近づき、声を掛けた。反射的に振り返ったその顔に、笑顔が浮かぶであろうことを想像しながら……。
 しかし私の予想は脆くも崩れた。反射的に向くどころか、最初は私が声を掛けたことすらわからなかったみたいで、しばらく表の風景から視線を逸らさなかったくらいである。
「ああ、小林か。おはよう」
「最近仕事が忙しいのか?」
「いや、そういうわけでもないんだけどね」
 顔色にさして変化はない。私の思い過ごしだろうか?
「君は、中学時代同級生だった吉田みずほさんを覚えているかい?」
 思いがけない人から、思いがけない名前を聞いたというのが本音である。驚愕のため一瞬言葉を失ったが、今の木下には私の驚きは分からないだろう。
「彼女が、どうかしたのか?」
 さっきから私の頭には言い知れぬ胸騒ぎのようなものがあった。
「実は彼女死んだんだよ」
「えっ」
 耳を疑いたくなったが、まったく予期せぬ言葉でもなかった。さっき感じた胸騒ぎの原因はこれだったんだと思うと妙な納得がある。それよりも私にはどうしてそのことを木下が知っているのかの方が気になった。
「どうして知ってるの?」
「実は俺たち付き合ってたんだ」
 木下の落ち込みの原因がやっと分かった。しかし二人が付き合ってたことを知らなかったとは何たる不覚。それだけ二人がうまくやっていたということだろうが、まったく分からなかったことに対して自分が歯がゆい。
 そして何よりも心の中で改めて自分の初恋が終結したことを知った。
「それ、いつの話なんだ?」
「昨日さ、今日通夜で、明日葬式なんだ」
「病気か何かで?」
「いや、交通事故で……。あっという間のことで即死だったんだそうだ」
 事故ということならば、家族や木下にとってはまさに晴天の霹靂、まだ信じられないという気持ちであっても仕方のないことであろう。
「そうか……」
 それ以上は私の口から何も出てこなかった。この重苦しい雰囲気の中で出てくる言葉など何があろうか……。
 木下は一枚の紙を取り出した。
「ここに彼女の住所が書いてある。よかったら焼香に行ってやってくれ」
 取り出した紙を私に渡しそこまで言うと、木下は下を向いてがっくりとうな垂れた。
 もうこうなっては話しかける言葉もなく、重苦しい空気のまま電車の進行に合わせて時間の経過をじっと待つだけだった。
 私よりも先に電車を下りた木下のうな垂れた後姿を目で追いながら、もし自分がみずほと付き合っていたらどうだっただろうなどと考えた。
 どこでどう事故にあったかは分からないが、ひょっとして自分と付き合うという運命の元であれば、事故に遭うこともなかったのではないか、などという思いが頭を掠めたが、すぐに打ち消した。
 まさかこんな形での再会になろうとは……。
 どんな女性になっていたのか想像しようとするが、どうしてもイメージが浮かんでこなかった。
 翌日さっそく喪服に身を包み、地図に書かれている家を目指したが、その時の私はさぞかし神妙な表情をしていることだろう。その思いは昔好きだった女性の葬儀に出席、ということだけにとどまらない。
 中学時代から今までの“時”を埋めるがごとく、その“時”を考えれば考えるほど虚空に広がっていく。一歩一歩が今までの知られざる“時”を刻んでいるのだ。
 そういえば今までみずほの家に行ったことはなかった。母親とは何度か会ったことがあるので、会えば分かるはずである。
 地図の通りに来たので、次の角を曲がればみずほの家のはずである。
 曲がったところから通りを見る。初めて訪れたところのはずなのだが、果たしてそうは思えないところがあった。
 根拠があるわけではない。それも遠い過去の記憶ではなく、ごく最近見たような風景であることに驚き、歩みを止めた。
 一瞬、風が止まった気がした。しかも生暖かい空気が立ち込めていて、甘い香りを誘ってくる。
 あたりを見回すが、薄暮でもないのにモノクロ映像になっている。昔見たことのある風景が頭の中でシンクロしているのかと、とっさに感じた。
作品名:短編集11(過去作品) 作家名:森本晃次