短編集11(過去作品)
別にOLが嫌いというわけではないが、その姿が私のもっとも見たくない姿だからである。灰皿に乗ったタバコが煙を上げていて、片手にアイシャドウ、片手に手鏡といった姿はあまり見たくない。しかもいかにも寝起きといった気だるさが現れていて、もちろん全員がそうだというのではないのだが、一部の人に嫌悪感を覚えるとどうしても敬遠したくなってしまう。
そんなわけで駅前はいつも会社への通過点であった。
しかしいつだったであろうか、駅前に喫茶店があるのは知っていたが、そこが早朝から開いているのを知ったのは。
私の乗る駅はそれほど都会というわけでなく、確かに駅前にロータリーがあり、バスやタクシーの乗降口が設けられているが、それはあくまでも住宅地を意識してのことであって、早朝から開いている喫茶店があるなど、ファーストフードの店くらいしか考えられなかった。
実際、店じたいは目立つところにあるのだが、入り口はあまり目立たず、バスを利用している客は少なくとも知らないはずである。
その店は駅前にある雑居ビルの二階に上がっていく店で、入り口もそれほど広くは作られていない。駅前アーケードから抜けてくる道とも離れているため、あまり目立たない店である。
しかし夕方はというと、場所がいいせいもあってか窓際の席に客がいっぱいで、デートの待ち合わせなのか、女性一人の客も目立つ。社会人になりたてでやっと会社に慣れてきた最近やっとその店の存在に気付いたが、最初の頃は仕事でクタクタになり、立ち寄る余裕などなかった。
しかし気にはなっていてもなかなか敷居が高かったのはなぜだろう。家に帰ればインスタントとは言え、コーヒーがあると思っていたからであろうか。とりあえず、仕事が終わったら一直線に帰宅の途につく毎日が続いていた。
初めて店に足を踏み入れたのは、店が朝開いていることを知ってからであった。
しかし入ったのは夕方が最初で、会社の帰りである。
店内は夕食タイムで賑わっていて、ウエイトレス数人が忙しそうに行ったり来たりしている姿が目立った。
落ち着かない夕食タイムを終えたその日に思ったのが、
朝のこの店はどんな雰囲気なのだろう?
ということであった。
翌日、早速寄ってみたのはいうまでもない。
狭い階段をゆっくりと上がっていく。
店内から流れてくるクラシックの音楽が朝の雰囲気をかもし出していた。
自動ドアが開くと香ってくるコーヒーの匂いにしばし足を止めていると、バイトの女の子が、
「いらっしゃいませ」
と声を掛けてくれた。
少し高めのトーンに、朝の爽やかさを感じた私は、来たことが正解だと思った。
私の気持ちを知ってか知らずか、彼女は窓際の席に案内してくれた。窓を大きめに作ってあるのは私にとってありがたく、駅に出入りする人の波を一望できる。
まるでアリの群れのようだ。じっくりと見ているがとても奇妙な気がする。しかし見れば見るほどそこから目が離せなくなってしまい、時間の感覚が薄れていく。
電車が着いたのが、ここから見ていると一目瞭然なのだが、コンコースから出てくる人はほとんどが学生である。近くに大学が二つもあり、ここはちょっとした学園都市となっていて、却って企業は少ない。
しかも住宅都市としても名高く、近くにある丘の上には新興住宅地として開発が急ピッチに進められているところである。
ボイルエッグにトースト、サラダにコーヒーというシンプルではあるが一番モーニングらしいメニューを注文し、出来上がるのを待ちながら表を見ていた。
駅に吸い込まれる人の波はひっきりなしで、ここまで徒歩でやってくる人の多さを物語っていた。実際は私もその一人なのだが普段それほど感じないのは、やはり高いところから見ているからであろうか。
いつもだったらあの中に私もいるのだと思いながら見ていたが、思ったより歩くスピードが速いことに少し驚いている。いつも遅いペースにイライラしながら、ごぼう抜きで歩いている自分を想像する。それも困難なくらいであった。
上から見ていると、それこそアリの群れにしか見えない。普通に後ろから見ている時は目の前の背中を見ながら、無意識のうちにその人の感情を想像して歩いている自分に気付く時がある。
微妙な背中の丸みや頭の角度から想像するのだが、意外と当たっていたりするのではと思うのも楽しいものである。
しかし上から見ていると一人一人に集中することは難しく、しかも微妙な姿勢からの感情を推測することなど不可能に近い。
それでも今まで感じたことのない全体を見渡した人の流れを見ていると、まるで吸い込まれるような思いがしてくる。
コンコースに吸い込まれていく人は、いったいどこへ行くのだろう?
会社にあるエレベータを見ていたら時々感じるのだが、定員二十人が飽和状態でいっぱいいっぱいのはずなのに、なぜか押し込むとブザーが鳴ることもなく入っているのである。
そんな時、中に入った人たちはいったいどこに行ったのだろう? などと感じるときがある。気が付けばエレベータの奥に異次元への扉のようなものがあり、そこに吸い込まれているのではないかという妄想めいたことを感じている自分がいるのだ。
また、車を使っての移動の時など、ラッシュに遭うと頭をよぎることがある。
「果たしてラッシュの先頭はどうなっているんだろう?」
同じような疑問を抱いているのは、私に限ったことではないだろう。同じように頭に浮かぶのだろうが、要はそれを問題意識として捉えるかどうかの違いだけであって、これもエレベータの疑問と背中合わせの問題として認識している。
さて今度は駅に電車が到着したようで、コンコースに吸い込まれる人の群れに混じり、コンコースから吐き出される人が見られた。最初は数人が走りこむように出てきた。そしてしばらく誰も出てこないと思っていると団体が群れを作りコンコースから出てくるのだった。
今度は背中を見ているのではなく、正面を向いているのではっきりとした表情を確認することができる。やはり学生が多いのか、それほど下を向いて暗そうに歩いている人を見かけることはない。
必死に携帯電話をいじくりながら出てくる人、聞こえてくるはずのないのに大声で話しているのが分かるほどの笑みを浮かべ数人で固まって出てくる学生たち……。
かくゆうついこの間まで自分もあの中にいて、大声で叫ぶように会話しながら、数人と歩いていたのを思い出すことができる。
そう、駅に吸い込まれる今の自分と、駅から吐き出される数年前まで学生だった自分とが、目の前のコンコースで今にもすれ違っているのではないかという錯覚を覚えながらである。
「お待ちどうさまでした」
注文したモーニングセットを持ってきたウエイトレスが朝から満面の笑みを浮かべ、微笑みかけてくれるのは気分のいいものだ。
「赤いエプロン、似合ってるよ」
「え、ありがとうございます」
思わず掛けてしまった言葉に少し顔を赤らめ答えている彼女は、いかにも純真無垢に見える。
たぶん隣の席で二人の様子を見ていると、今日が初対面などと思えないほどの表情を自分がしているのではないかと思えるほどである。
作品名:短編集11(過去作品) 作家名:森本晃次