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短編集11(過去作品)

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 みずほとは作風でも共通するところがあり、時にはホラーミステリーの話題で激論を戦わせることもあった。どちらかというと恐怖を与えることを前面に押し出す作品の多いみずほは、見た目のインパクトで勝負するタイプに見え、私の作風とは合い塗れないところがあった。
 しかしだからといってお互い否定しあうこともなく、相手の作品を熟読し、その上で自分の考えを述べていることから激論が生まれるのである。実際自分に描けないと思うような描写など、尊敬に値するところもあるくらいである。
「小林くんの作品には、共通点が多いわね」
「そうかな? 君の作品もそうだよ」
 などと自分の気付かないところを指摘しあうのもいい刺激である。実際、共通点が多いと言われてドキッとしたのも事実である。
 そんなみずほとの距離が少しずつ遠くなっていったのは三年生になろうかいう頃だったろうか。時期をはっきりと覚えていないのは、自分の気持ちがそれだけ不確かだったからかも知れない。
「吉田さんには彼氏がいるらしいわよ」
 同じクラブの女性から聞かされた。よせばいいのにおせっかいが学生服を着ているようなタイプの人で、どこが楽しいのか、他人の詮索ばかりする人だった。
 しかも悪いことに、自覚がない上に、誰からもそのことについて指摘を受けることがないので、まさに歯止めが利かなくなってしまっている。だが、まわりも面白がっているのも事実で、実際自分に害のない噂ならば別に関係ないと思っている連中ばかりなのかと、少し幻滅もしている。
 しかし、火のないところに噂は立たない、という言葉が頭に引っかかり、信じたくないと思う反面、まんざら嘘でもないのかもと思ってしまう自分に、少々苛立ちを覚えてしまう。
 私の中で葛藤があった。
 そのためはっきりとした時期を覚えていないのだが、今考えると自分に初恋というのがあったとすれば、それが最初だったような気がする。異性への本当の意味での意識が芽生えた時だったに違いない。
 急に遠い存在に思えてきたみずほに対して、もはや今までと同じような接し方はできなかった。それほど器用な方でもなく、ましてすぐ感情が表に出てしまい私なので、みずほにしてみれば、私の露骨だったかも知れない態度に言い訳をする気さえ萎えてしまっていたことだろう。
「小林くん、最近変ったわね」
 その一言が彼女の唯一の反論であり、気持ちのすべてだったに違いない。
 しかしその言葉を聞いて驚いている私が返すことのなかった返事に対し、彼女は納得したことだろう。私の初恋は自分の中に意識がないまま、終わってしまったのだ。
 最近中学時代の夢をよく見る。夢の中で自分の性格について考えている。
 みずほの存在がそれ以降の私の人生に多大なる影響を与えたといえば言い過ぎかも知れないが、自分というものが少しずつ分かり始めたのはその頃からである。
 異性を感じるようになれば、それだけ他人の目が気になるようになる。またおのずと他人と自分を比較してしまうのも仕方がないことで、明らかに違う部分も見えてくる。
 それが個性なのだと思うようになると、個性という言葉にとても新鮮さを感じ、自分の個性を探そうと考える。
 他人との協調性がないわけではなく、友達が少ないわけでもないのだが、他の人にはない自分というものを探してみたくなるのは、中学生時代という多感な時期だったからでもある。
 その中でも私は「消去法」を取る方ではないかと思うようになっていた。いくつかの可能性を最初に考えて、その中から該当しないものを次々と抹消していく。消極的な考え方かも知れないが、それが一番妥当な生き方だと思ったからである。
 意識して消去法を選んだのであるが、それは私の性格から無意識であったとしても結果はおのずと知れていたことであろう。
 しかしそれは大きなことの選択を迫られた時のことであって、普通の生活ではまったく逆だった。
 物持ちがいい
 とよく言われるが、それはあくまで皮肉であって、物を捨てることにかなりの抵抗感を持っていた。なかなか捨てられずにいるため、部屋は散らかり放題。そのうち美的感覚が麻痺してきて、汚くても平気でいられる。
「君は神経質なわりに、大ざっぱだ」
 お世辞にも褒められたものではない。
 しかも自分としては、これも個性だと割り切っているのでなおさら始末に悪い。
 二重人格なのだろうか?
 時々そんなことを考えてしまう。相反会いまみれる性格が私の中に同居していて「ジキル博士とハイド氏」を思わせるが、時たまそれが同時に自分の中で葛藤しているような気がしてきて、一体どれが本当の自分なのか、分からなくなってしまう。
 だが、本当に相反会いまみれる性格なのだろうか?
 長所と短所は一見正反対のもののように思えるが、紙一重のところに位置していることが多い。二重人格でまったく正反対に思える性格もそうだと考えると、同時に自分の中で葛藤を繰り返していると考えても不思議のないことである。
 自分が分かってないだけ?
 そうかも知れない。隣にいるのに分からない。
 一番見つかりやすいところにあるものが意外と一番分かりにくかったりするのと同じことで、思い込みがそうさせるのだ。たぶん、他の二重人格の人も同じ思いをしているのではないかと思う。
 何度となく自分に問いかけてみたが、いつも堂々巡りになってしまい、最終的な結論は得られない。人の見た目が一番、的を得ているのではないかというのが実感である。
 そんな思いは社会人となった今も抱き続けている。余計に強くなったのではないかと思うのは、やはり出口の見つからない堂々巡りを続けているからであろうか。
 しかし逆にいうとそんな性格と“うまく付き合っている”のかも知れない。いつも考え事をしながら自問自答を繰り返していると、自然に自分の性格が可愛らしく思えてきて、客観的に見ることができるようになってくる。
 感覚が麻痺してきたのでは?
 という考えが頭をよぎるが、それ以外はさほど気にならなくなってきた。
 気持ちに余裕を持つこと。
 それが最近心掛けていることである。
 社会人になり、会社にも慣れてくると学生時代に抱いていた社会に対する不安が解消される。それが次第に自信となって自分に中に息吹き、余裕となるのかも知れない。逆に余裕を持つことで、自分の中に自信が植え付けられるような気になってくるのだ。
 気持ちに余裕を持つことは、朝の生活から始まった。
 朝起きてすぐだと、食事が喉を通らないタイプの私は、いつも通勤に使っている駅前にある喫茶店で朝食を摂ることを日課とするようになった。
 そこに初めて入るまでに、少し時間が掛かった。朝食じたいあまり摂る方ではなかった私は、いつもアパートを出る時にコーヒーを飲むだけだった。それもインスタント。インスタントが悪いというわけではないが、やはり寂しい。
 駅まで行くと駅前にあるハンバーガーショップは結構客でいっぱいだった。背広姿の、いかにもサラリーマンといった感じの人も多いのだが、私の目を引いたのは、やはりスーツ姿のOLの姿が目立つことであった。
作品名:短編集11(過去作品) 作家名:森本晃次