短編集11(過去作品)
ふとしたことから気がついたのだろうが、元々鈍感な私でも気付くくらいなので、相当だったに違いない。特に相手のことを信じることが自分の性格だと感じていたにもかかわらず、信じられなくなったのだから、そこでの葛藤はかなりなものだったに違いない。
他の人では考えられないような疑念がやがて不信感へと変わり、最後には感情を押し殺し、自分の中に封印してしまったとしても、無理のないことだった。
「さおりは、あなた以外にも付き合っていた人がいたの」
瑞穂の言葉は、それなりに私に衝撃を与えた。時が経とうとも、少なくとも好きだった女性の話を現在付き合っている女性から聞くことは、かなりのショックがあるものだ。
しかし、今なら想像できるような気がする。
さおりを信じきっていた頃と、今の私は違うのだ。だが、それを聞かされたのが、瑞穂だという事実に驚いているのが実情である。
「さおりが、私以外の男性と付き合っていて、二股をかけていた」
さらに、
「私に愛想を尽かした」
この二つの事実が私の中で結びつかない。
愛想を尽かすなら、私の方ではないのだろうか? なぜ二股などかけていた女性から、この私が愛想を尽かされなければならないのか?
確かに瑞穂の言うとおり私は「おめでたい」人間なのかも知れない。ずっと、さおりが自分ひとりを見つめていると思っていたからといって、彼女の心の微妙な変化に気付かないなんて……。
しかしゆっくり考えてみれば、別れる瞬間の記憶が飛んでいるだけではない。
付き合っていた頃の、デートの一日一日を取ってみても、そのどこかが抜けているような気がする。大きく考えれば繋がる楽しい思い出なのだが、あまりにも鮮明な部分が楽しいことばかりなのだ。
記憶など、そんなものかも知れないが、あまりにも都合が良すぎる気もする。ひょっとして、さおりからSOSのようなものが出ていて、それに気付いてあげられなかった自分への葛藤がそこにはあるのかも知れない。とにかく私の性格がそうさせるのか、都合のよいところばかりが記憶として残っていて、しかもそれが見事に繋がっているのは我ながら不思議であった。
それだけに私の中に、
「人の言葉を信じて、鵜呑みにする」
という性格が存在するのかも知れない。
もしさおりが私に愛想を尽かしたとすれば、その性格が災いしたのだろう。
確かにあまり得をする性格ではない。「おめでたい」性格であり、それによって傷つくのは自分だからだ。
だから私はそれほど嫌いな性格ではない。なるべく直したいと思っているが、どうしても直しきれないのは心の底で決して嫌いな自分ではないと思っているからなのだ。
――長所と短所は紙一重――
という言葉がある。
私もそれには賛成だ。長所の近くにこそ短所があり、それだからこそ自分にもよく分からないのかも知れない。例えが適切ではないかも知れないが、野球選手などで、バッターの苦手なコースが得てして自分の得意なコースと紙一重なコースにあるとよく言われる。それだけに野球というのは面白いスポーツであり、そこだけを見ているだけでも十分楽しむことができるのである。
私にもそんなところがあるはずだ。それだけに自分が長所だと思っている部分でも、見方によっては十分短所に見えるだろうし、特にそれが付き合っている女性であれば、自分が長所だと思っていることも見えてくるだろうし、それによって愛想を尽かすことも考えられるのである。
私の性格はすぐに分かるらしい。
「あなたの行動パターンはお見通しよ。あなたの考えてることが、手に取るように分かるのよ」
そう言ってさおりはうそぶいていたっけ。
私にとって、それは嬉しい部類の言葉だった。
それだけさおりが私のことを見つめていてくれる証拠だと思っていたし、行動パターンや考えていることを承知の上でさらに付き合ってくれているのだから、私の恋人であるとともに本当の理解者でもあったからだ。
しかし、別れるとなると、完全にそれがネックとなる。
嫌いになれば、まるで勢いよく流れ落ちる滝のように、私への信用や、愛情があっという間に滝つぼに叩きつけられて、木っ端微塵になっていることだろう。
さおりほどではないが、私が確信を持って言える性格として、
――思い込んだら、止めることのできないような一途さ――
が、さおりにあることだけは、私にも把握できた。
それは付き合っている頃は、むしろ長所だったに違いないが、いざ別れるとなると、もう気持ちを抑えることなどできない相談になってしまう。
角度によって見方が違うように、さおりにとって私はいったいどういう存在だったのだろう。いい様に考えようと思えばいくらでもできるし、悪く考えるには頭を切り替えさえすれば、それも可能だった。
例えば、影絵のようなものでグラスのように見えるものでも、見方によってはまるで二人の女性が向き合っているように見えるものがある。
――言われてみれば、確かにそうかも知れない――
そう思うことは、この世にはいっぱい存在するのだ。
さおりの存在が、今私の中で大きくなりつつある。
別れてからしばらくは、考えないようにしようとしても、気がつけばさおりのことを考えていた。無意識であるがゆえにできたことであって、私にとってさおりの存在が大きかったことを意味していた。
またしても大きな存在として浮かび上がってきたさおりは、まさか私の中でこれほどにも膨れ上がるとは思わなかった。
――私には瑞穂がいるんだ――
心の中でいくら葛藤を繰り返そうとも、もはやさおりの存在感が小さくなることはなかった。
「どうして、君は今さらさおりのことを私に聞かせるんだい?」
「だから、自分の胸に聞いてみなさいと言ったのよ」
私は胸に手を当ててみた。
瑞穂はさらに続ける。
「昨日、私の夢にさおりが出てきたの。私に一生懸命に訴えるのよ。とても寂しそうな顔で、しかも情けなさそうな顔を私にするのね」
私は瑞穂が何を言いたいのか分からなかった。
今、瑞穂が私を連れてきて話し始めたこの場所に、何やら先ほどから薄気味の悪さを感じていた。
とても暗いところである。まわりの繁華街から抜けてきて、ちょうど電車の高架下に沿うように歩いていると、あっという間に寂しいところへと出てくるのだ。
瑞穂の声が高架下で響いて、音響効果を出している。まるで温泉で聞いているかのような声で、さらに気持ち悪さを醸し出していた。
――まるで、悪魔の囁きが聞こえてきそうだ――
耳の奥でキーンという音が響き、近くには電車の線路があるにもかかわらず、ほとんど通り過ぎる音を聞いた記憶がないくらい、瑞穂の話に集中していた。
「いったい、さおりが何を訴えたと言うんだい?」
聞くのがはっきり言って怖い。瑞穂の表情は十分に殺気立っていて、このあたりのポツポツとしかない薄暗い街灯に照らされると、さらに不気味さが沸き立つかのようだった。
「あなた、この場所に来ても覚えてないの?」
「覚えていないって、いったい何をだい?」
そう言いながら、瑞穂の表情はさらに歪んでいき、まるで般若の形相を呈してきた。
「あなたには、さおりの叫びが聞こえないの?」
作品名:短編集11(過去作品) 作家名:森本晃次