短編集11(過去作品)
さすがにこの店では大声で話すわけにいかない。それは常連同士の暗黙の了解であり、たとえ初めての客であっても、大声で話せる雰囲気ではない。
と言って別に堅苦しい店というわけではない。この雰囲気が好きではない人はもう二度と来なくはなるだろうが、確実に常連は増えつつある。しかもこの店の常連は時間が決まっていて、同じ常連同士であっても会わない人とは、ずっと会えないでいるのだ。そういう意味で瑞穂が言った「私もここの常連」という言葉は私にはとても不思議な気がしていたは納得もできるのだ。
ここでの瑞穂は「大人の女」としての魅力を十分に醸し出していた。
それからしばらくして付き合いだした二人は、ここ以外の店にも顔を出すようになった。元々、他の喫茶店に立ち寄ることの少ない私だったので、ほとんどが瑞穂の常連の店だった。そこではいかにも子供という雰囲気が瑞穂にはあり、どちらが本当の瑞穂なのか、よく分からない。
どちらかというと相手の顔を見て性格を判断し、目を見ながら話すことで自分に合う人かどうかを探るタイプの私に、一目惚れなどあまり考えられなかった。
さおりの時にしてもそうだったし、瑞穂にしてもそうだと思っていた。
しかし本当にそうなのだろうか?
それは後から考えるからそう感じるのであって、最初から好きだったような気がしないだけではないかと感じるようになったのは、瑞穂との出会いからであった。
「私を意識していた」
この言葉に最初はピンと来なかった。
好きになられて相手を好きになったことなど、今までになかったからだ。しかも今までの彼女とはギャップを感じた偶然の出会い、運命的なものを感じていたのかも知れない。
その証拠に、偶然出会ったあの日、あの店で初めて出会ったにもかかわらず、以前から一緒に来ていたような錯覚を感じたのだ。一緒に店を出た時に、前に何度も同じシチュエーションがあったような気がしたのである。
さおりの時は、どちらかというと、じんわりと好きになっていった方だった。
初めて付き合った女性として、鮮明に頭の中に残っているさおりだけに、忘れられないのだが、運命的なものという意味でいけば、瑞穂との出会いには及ばないだろう。
しかしある意味、不思議でもある。
瑞穂と私とでは、趣味趣向がまったく違っていた。確かに落ち着いた喫茶店でゆっくりお茶をするというところは同じなのだが、服の好みなども少し違いが分かってきている。それでも一緒にいるのだから、よほど彼女を好きに違いないのだ。
確かに趣味が違っていれば新鮮な面もある。しかも、あまり相手に自分の趣味を押し付けようとはしないところが瑞穂のいいところでもある。
今までで一番心がときめいたとしたら、瑞穂だったのかも知れないと思うようになったのは、彼女と趣味が合わないのを感じてからだ。
私には絵を描く趣味がある。
小学校の頃友達の似顔絵を描いたのが最初で、それからイラストを描いたり、友達に頼まれてアニメの同人誌に載せたりしたこともあった。
中学、高校と美術部に属し、水彩画から油絵など一応一通りやってみた。その間に何度か懸賞に応募し、佳作を含め、いくつかの賞をもらったこともあった。
――芸術家っていい響きだな――
そう感じるようになったのは、どちらかというと「感性」を信じるようになってからである。絵を描くようになってからも、私に「感性」などないものだと思っていた。適当に描き、適当に楽しめばそれでよかったのだ。しかし、それが自分の「感性」を養っていると思うようになったのは、やはり友達から言われるようになってからである。
「お前は変わり者だ」
中学くらいの頃から、よく言われるようになった。
「そんなことはない」
と口で言いながら、そのことばかり気にしていた。
――言いたいやつには言わせておけばいい――
というところまで考えれるようになったのは、かなり後になってからである。
絵を描き始めて、まわりの見方も少し変わってきた。今までバカにしていた連中の目つきが変わってきたように見えるのだ。
――一目置かれている。これが芸術家気質のようなものなのだろうか?
という思いが頭をよぎる。
しかし、それは本当にまわりの見方が変わっただけなのだろうか?
確かにそれもあるかも知れない。しかし、自分が変わったのかも知れないという思いが強くなったのも事実で、そう考えれば、自分が成長したような気にもなってくる。
――きっと、心に余裕が出てきたのだろう――
絵を描いている時は、いつも自分の世界を作っている。それは無意識にしていたことだったが、最近は意識するようにしている。そうすれば芸術に必要な「感性」を生むことができるからだ。
いや、「感性」を生むのではなく、自分の中にある「感性」を導き出すのだ。「感性」は磨けば磨くほど光るもので、皆それぞれ大なり小なり持っているものに違いない。
そう、余裕を持つことが、私にとっての最大のテーマだと考えてきた。彼女とのことにしてもそうだ。自分だけ余裕を持っていたのではうまく行かず、相手にも余裕を持たせるような付き合い方がベストなのだろう。それが相手を思いやるということだろうし、自分を最大限に表現することにも繋がるのだから……。
瑞穂とはそういう関係であった。
さりげない気の遣い方がよく分かり、こちらの気持ちが伝わっていることも分かる。
「自然な付き合い」ができる相手なのだ。
瑞穂との付き合いの中でまったく喧嘩などなかったとかいうことはなかった。意外と意見のぶつかり合いや、お互いのわがままを通そうと、得てして喧嘩になってしまったことも多々あった。
むしろ喧嘩をしなかったのはさおりとの間でのことだった。
付き合い方がクールだったのか、そういえばさおりと喧嘩をした記憶はない。
「あなたが私の怒るようなことをしないからよ」
と言っていたさおりの言葉を、今さらながら思い出している。
そういう意味で瑞穂との付き合いはドライな方なのかも知れない。
感情のぶつかり合いは、さおりの時のように避けることはできなかった。さおりには許せたことが瑞穂には許せないことなのかも知れない。
それが一体どういう部類のことなのか私に分かるはずもなく、そのうち喧嘩も頻繁になってきた。
しかし、喧嘩するほど仲がいいというが、果たして我々もそうなのかも知れない。
さおりと付き合っていた頃には味わうことのできなかった相手への愛おしさは、喧嘩に後にこそ、強く私の中に残っている。
とにかく抱きしめていて、瑞穂の暖かさに触れると、愛おしさが一気にこみ上げてくる。強く抱きついてくる瑞穂の豊満な胸の下から、心臓の鼓動すら聞こえてくるようで、甘い香りが鼻についたかと思えば、そこから先は男としての自分が眼を覚ます。理性などかなぐり捨てた二人は、息遣いも荒く、二匹の野獣へと変わっていくのだった。
それが最近の毎日の二人であった。
激しく燃えるなど、さおりとの間にはあまりなかった。もちろん愛し合うことはあったし、それなりに燃えてもいた。だが、いつも最後に物足りなさのようなものを感じていたのも事実である。
作品名:短編集11(過去作品) 作家名:森本晃次