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短編集11(過去作品)

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 暗黒の深さの一番下を覗いたような気がしたので、長めだったことは否定できない。最初は瞼の裏に明るさの残像が残っているが、次第にその明るさも消えていく。それなのに一番下がどこなのか、よく分かるものだと、我ながら感心してしまう。
 私が思い切って目を開けた時、すでに男はどこかに行ってしまっていた。
 結局、最後に瞼の奥に残ったのは、男が私を見つめた顔だけだった。
 しかし、たった今のことなのに、すでに顔を忘れてしまっている。残像は目を瞑れば浮かんでくるが、真っ暗な中に光を放つシルエットとして、はっきりと確認することはできない。
 私は何気にあたりを見渡したが、そこに先ほどの女性の姿は見られない。夢でも見ていたのだろうか?
 よく見ると奥でいつも見かける男が本を読んでいる。「夜の蝶」である。
――この間見た光景に戻っている――
 よくここで見かける男がこの間読んでいた「夜の蝶」、再度自分の頭の中でストーリーを思い出しながら組み立てていく。
――そうだ、あの話は最後がぼかされていて、解決していない話ではなかったか――
 小説の中にはラストを締めくくらずに終わってしまう話もあるにはある。実に特殊なケースだが、それでも読者が感心するほどなので、かなり途中の構成やストーリーがしっかりしているのだ。私に果たしてこんな話を書くことができるだろうか?
「夜の蝶」はかなりの長編である。読んでいて最初の頃のストーリーを忘れかけることもしばしばで、読みやすくはあるが、一気に読める作品でもない。
 思い出してくるストーリーの中で、私は勝手にラストを考えていた。小説を書いていることで本能的なものなのか、無意識の行動だった。
――私なら最後はこうするだろう――
 というストーリーが次第に頭の中で組み立てられてくる。
 するとどうだろう。先ほど私の目の前にいたと思っていた男の顔が若返ってくるのを感じる。どこかで見たことのある顔のはずだ。その顔は鏡でしか見たことのない私の顔ではないか。
 しかし、確かにその顔は私のものであるが、表情に自分だという感覚がない。私に果たしてそんな表情があったのかと思うほど、実に輝いて見えている。
――今の私にそんな表情は不可能だ――
 気持ち的に自分が淀んだ人間だと思い込んでいるからそう感じるのかも知れない。
 小説を書き続けるということ以外に、私には別の思いが芽生えていた。
 実は好きになってはいけない人を好きになってしまったのだ。その想いを貫くことが不倫に繋がることを最近知らされた。最初は「気になるお姉さん」程度だった思いだが、貫けば不倫になると思った途端、私の心は切ない思いで押しつぶされそうになった。
 人のものを欲しがるということが罪悪だと思っている自分との葛藤があるのだ。いや、罪悪だと思っているからこそ、余計に切ない想いがこみ上げてくるのだろう。男としての性を思い知った瞬間でもある。
 男の表情は、私からそんな切なさと被害妄想なところを取ったような顔なのかも知れない。
 しかし私は思う。切なさを取った表情より、なぜか今しているであろう切なさを含んだ表情が好きだと。確かに欲望のない表情は魅力的だが、深さのようなものを感じない。
 女性が話していた不倫の話を思い出すと「夜の蝶」のストーリーにダブってくるようである。
 自分のことに照らし合わせてストーリーを思い出すと、違う内容としてよみがえってくる。それはまさしく自分の今の気持ちであり、小説を書く夢にも繋がるものであった。

「今の話は基山先生が自分で感じられたことだったのですか?」
「ええ、学生時代にそんなこともあったということですね。かなり前のことですが」
 喫茶店の片隅でインタビューを受ける一人の小説家基山良一、それはまさしく私であった。
 喫茶店の名は『カトレア』、私が学生時代から常連になっている店である。
 私は、その時の話をモチーフに暖めていたストーリーをこのほど発表し、それが本格的な小説家としてのデビューのきっかけとなったのだ。元々、この手の作品はあまり得意としていなかった私としては実に皮肉なことだ。
 不倫というテーマだが、それほどドロドロした内容にはなっていない。別に自分を美化しようとして書いていたわけではないが、喫茶店での女性の話、そして私と目が合った男のことを考えると自然とストーリーに陰湿さは消えていった。あっさりとしているところが、今の時代にウケたのかも知れない。
「夜の蝶」は男であっても女であってもかまわない。それがテーマであった。従来の「蝶とは女性のことだろう」という観念をぶち破った作品としてのユニークさを買われたようだ。しかもその中で将来の自分を見るという設定をラストに持っていっているということでの評価はなかなかなものだった。
 私の将来は明るいものとなった。少なくとも認められたことで自分の感性に絶対的な自信が持てたことは間違いのないことだった。きっと今の自分にはそれだけでも十分だ。
 そういえば祐二の噂を耳にした。
 彼も絵の世界での夢を着実に自分のものにしようとしているようだ。
 ある作品がコンクールに通り、近く本でも紹介されるという話である。祐二からもらった電話では、さぞかし嬉しかったのだろう。完全に声は裏返っていて、話の内容も少し分かりづらいもののように感じたほどだ。
「今度、俺の描いた絵が美術館で発表されるんだよ。見に来てくれ」
「それはよかったな。俺もそろそろ作家として陽の目を見そうだぜ」
「お互いによかったじゃないか。俺はきっといい被写体に恵まれたんだな」
「被写体?」
「ああ、ある日喫茶店でコーヒーを飲んでいると、ちょうど窓の外の河原にその男がいたんだ。ほとんど微動だにせずに、斜め後姿という哀愁の漂う恰好でね」
「そうか、それはすごいじゃないか。そんないい喫茶店なら、俺も行きたいよ」
「一回行ってみてくれ、名前は喫茶『カトレア』っていうんだがね」
 それを聞いた瞬間、私は金縛りにあった。そしてその男の顔というのが頭に浮かんできた。
 美術館に行くまでもない。
 自分を見つめることが最高の感性を養うのだ。
 きっとその男の顔は、学生時代の祐二そっくりなのだろう……。


                (  完  )

作品名:短編集11(過去作品) 作家名:森本晃次