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短編集11(過去作品)

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 時々、そんなことをネタにしようと考えている自分が嫌になることすらある。
 私は世の中のドロドロした話はあまり好きではない。
 世の奥様族が好きそうな、ワイドショーネタになりそうな話などその典型で、私の小説には使いたくない。
 しかし気が付けば噂話をモチーフにした話を書いていることが多い。なるべくテーマとして使うのではなく、話のエッセンスとして使うことが多い。作品を作る上で、きれいごとばかりではないことを最近思い知った気がする。
 あれはいつだっただろうか。不倫の話が耳に飛び込んで来た。話の主はまだ女子大生ではないかと思えるほどの若さで、贅沢ではないが、さりげないファッションが目に付いた。友達数人と来ていて、彼女たちとの間でたまに黄色い声が飛び交っていた。
 笑い声が聞こえることから、少なくとも彼女たちに、暗い話をしているという意識はないのだろう。
 どうやら彼女たちの一人が、ある男性と付き合っているらしい。その男性はアルバイト先の店長らしく、聞いていてよくある話だと思えてくる。もちろん店長には妻子がいての不倫ということだ。
「そうなのよ。彼ったらね、オドオドしちゃってね」
 笑い声が次第に大きくなってくる。この近くに他に客はいないので話の内容は私にしか分からないだろうが、さすがに遠くの客もその笑い声にびっくりしてか、一斉に振り向く姿が見られた。
 聞かれることに抵抗感はないのか、私が近くにいてもお構いなしである。声のトーンも次第に上がっていき、まるで私に話して聞かせているかのようにも感じる。
 奥様方のヒソヒソ話のような嫌らしさは一切ない。まったくオープンであっさりしたものだ。別に聞こうとしなくても聞こえてくる内容すらそれほど耳障りではないほどだ。
 しかしヒソヒソ話をされると、却って気になる時もある。人の目を避けるように、それでいて必死でまわりを見ながら話している。気にしながら話されると、知覚にいる人間も気になってくるもので、あまりいい雰囲気ではない。聞きたくないと思っているにもかかわらず、聞きたくなるのは人の性というものである。
 最初こそ、
――奥様方の噂する、嫌らしい話題など嫌いだ――
 と思っていた自分が、最近では小説のネタを探しているとはいえ、気がつけば聞き耳を立てていることに自己嫌悪を感じる。鬱状態の時はそれほどでもないのだが、鬱状態を抜ける時に聞き耳を立てている自分は嫌いだった。
 だが不思議なことに、そんな時に限ってそういう連中に遭遇するもので、私の気持ちも知らず、ヒソヒソとやっているのだ。
 その日の私は躁鬱のどちらでもなかった。気分的に爽快で、かといって我を忘れてはしゃぐということはなさそうな時である。
 彼女たちの話との遭遇は、そんな時だからなのかも知れない。自分の精神状態に呼応してまわりが動いているような不思議な気持ちになったりした。
「私が彼を好きなのは、彼が自分だけの夢を持ってるからなの」
「へぇ、すごいわね」
「ええ、芸術家を目指しているらしいんだけど、私も彼を応援したいのよ」
 健気な話をしている女性の顔が見たくなって後ろを振り向いた。今までなるべく顔をあわせないようにしようと視線を逸らしていたが、振り向いてみると一人の目を輝かせている女性と目が合ってしまった。
 彼女は私を見るなり、反射的にであろうが、頭を下げていた。私も遅れまいと、思わず頭を下げている。最初はあっけにとられていた彼女だったが、次第に顔が綻んできた。その表情を見て、きっと私の顔も綻んできたであろう。一瞬、時間が止まったような気がする。
――どこかで見たような――
 どう考えても初体面である。
 しかし、それにしては彼女の表情は私に対し、懐かしそうに見える。何度も頭を下げているのは、自分で何かを納得しているからのようだ。
 彼女に視線が集中していたので分からなかったが、なんと、そこにいるのは彼女ひとりであった。数人で話をしていたのではなかったのだろうか? 他の人が帰っていった気配は感じられない。まるで幻を見ているようだ。
 動こうとしても、なぜか身体が動かない私は、視線だけを動かすことができた。彼女に合わせていた視線を少し広めに取ってみた。それはまるで彼女に視線を合わせたままカメラのレンズをフィードバックするかのようにである。
 テーブルの上を見てみると、そこには確かに数人がいたのだろう。いくつかのコーヒーカップとケーキを食べた後のお皿が置かれていた。お皿やカップが少し乱雑に置かれていて、食い荒らした様子はいかにも噂話が好きな連中の仕業だと思わせた。
 私が不思議がっていることを彼女は熟知していることだろう。怪しげな微笑がそれを物語っている。
 また視線を彼女に移してじっと見ているが、それから後は彼女の表情に視線が釘付けになってしまった。
 最初は顔のそれぞれの部分に視線が動いていたが、次第に顔全体を捉えるようになってくると、そこで視線は止まってしまった。後ろの背景が少し暗く感じ始めると、自分の視線が顔全体に釘付けになったことを自覚していた。
 一瞬一瞬を捉えると、唇や眉が微妙に動いたような気がしてくる。しかし、じっと見つめている私の瞼が、軽く痙攣を起こしているのを感じることができ、微妙な動きもどうやらそのためだと思えた。
 時間にしてどれくらい経ったのだろう。その間彼女の瞬きを感じなかった。私がする一瞬の瞬きの間に彼女もしたのだろうか? それにしても少し信じられない。
 私は思わず微笑み返した。
 今度は彼女の表情が明らかに変わった。一瞬たじろいだかと思うと、そこには怯えが走っていた。
――形勢は逆転したかな?
 何の形勢なのだろうか? 漠然とそう考えた。
 思わず自分の顔を鏡で見てみたくなったほどで、きっとさっきまでの彼女の表情をしているに違いない。
――今の彼女を、さっきまで私がしていたのだろうか?
 きっとそうに違いない。しかし、その思いには何の根拠があるわけでもなかった。
 彼女の怯えが安堵の表情に変わったのは、それからすぐのことであった。今まで釘付けになっていた視線を彼女の方から逸らしたのだ。さっきまでは私の方が彼女から視線を釘付けにされていたと思っていたが、彼女自身も私から視線を釘付けにされていたと感じていたのかも知れない。お互い相手に暗示を掛けていたのだろうか?
 彼女の表情を一変させたもの、彼女に安堵の表情を与えたものは、一人の男であった。彼女の視線が私の後ろにあることを感じ、思わず振り向いた。そこは店の入り口にあたるところで、ちょうど男が入り口のところに立っているのが見えたのだ。
 その人は無表情である。彼女の微笑みに対して表情を変えようとはしない。私にはない「紳士」な部分を持っている。
 まだ学生の私に、自分より歳がかなり上の男性の年齢は分かりにくいものだ。男というものは苦労と経験で顔に年輪がついてくるものだと思っているので、その苦労も経験もほとんど知らない私に男の年齢を想像することは難しかった。
作品名:短編集11(過去作品) 作家名:森本晃次