短編集11(過去作品)
とにかくいつも何かを考えている私は、鬱状態の時にそれを痛感しる。普段であれば、いろいろ考えていてもそれが無意識のうちであるにもかかわらず、鬱状態に陥ると、考えていることが意識のうちになってしまう。
――ひょっとして、普段の方が誇大妄想では?
と考える時がある。
誇大妄想という言葉を悪い意味で解釈すれば、鬱状態にだけ起こるのが誇大妄想であろう。しかし普段から考えることを無意識に行っていれば、それは誇大妄想であり、小説を生み出す原動力になると考えれば、よほど普段の方が誇大妄想が強いと言えるのではないだろうか。
しかしこと被害妄想となればまったく話が変わってくる。
躁状態になる時というのも分かるもので、「きなこ色」が次第に取れていき、はっきりとした明るさが戻ってきた時というのは、被害妄想のかけらもない。もし感じていたとしても、無意識に感じている楽しい発想に打ち消され、表に出てくることはない。だから躁状態なのだ。
あれは私が鬱状態だったからだろうか。急に祐二に対し被害妄想を抱くようになったことがある。
――私のことをあまりよく思っていない――
何が原因なのか、まったく分からなかった。漠然とそう感じるだけで、態度もどこが変わったということもない。しいて言えば彼の私を見る目が、今までに比べて細く見えることくらいだろうか。細目をするとどうしても眉がつり上がったように見え、睨みつけられているような錯覚に陥るからだ。
「俺が何かしたか?」
思い切って聞いてみたことがある。一旦気になってしまうと、それがどんな結果になろうとも確認しないではおれないのも私の性格の一つである。
「別に」
返ってきたのはその一言だった。たった一言というところが冷たさを感じ、それだけに言葉に重みを感じてしまう。それから先、会話が続かず、お互い無言のまま睨み合っていた。
私には睨んでいるつもりはないのだが、祐二の視線を感じていると、次第に私も目を細めて見ていることに気がついた。鏡で見ると、さぞかしすごい形相をしているかも知れない。思い切って聞いてみたことに対し、後悔の念を抱いてしまった。
それから二人のぎこちなさは増していったような気がする。何となく距離を感じ、近づきにくくなってくる。
――どちらかが折れないと解決しないな――
そう思い、私から折れてみようと考えるのだが、いざ祐二の前に出るとぎこちなさがさらに加速し、結局会話にすらならない。お互いに意地になっているのは明白なのだが、原因が分からない以上、私にはどうしようもなかった。
お互いに共通の友達でもいれば、その人に仲介などを頼む手もあるのだろうが、意外と共通の友達はいない。お互いに自分の好きな道での友達が多く、培った才能や感性について語り合う友人がほとんどである。
それはそれで、いいことだ。
――お互いにレベルの高いところでの交流なのだ――
そう感じるからである。
しかし、人生について、といった漠然としていることを話す相手は、お互いにほとんどいない。祐二にとっては私だけ、私にとっては祐二だけ、なのかも知れない。
私はレベルの高いところでの交流は好きだ。お互いを尊重し合い、そこから尊敬の念が生まれる。自分の目指すものに対して妥協に陥りそうになった時など、自分を我に返らせてくれるのは、そんな連中との会話であった。もちろん祐二にとっての友人もそうであろう。
人生についてなどの漠然とした話を最初にし始めたのは、実は祐二とだった。中学時代から苦労を重ね、本当に人間として尊敬していたからである。祐二も私の気持ちが分かったのか、何事も包み隠さず話してくれる。そういったざっくばらんな性格も祐二を好きなところの一つである。
絵画を通しての祐二の話には説得力があった。私も同じ芸術の道を目指すものとして、自分の感性を信じてがんばっている祐二に共感が持てたからだ。野球で培った自信が芸術の世界でも生かされているに違いない。
祐二はクールなところのあるやつだ。友人の中でも一番と言ってもいい。
確かに野球をやっていたこともあって、面立ちから考え方までクールとくれば、表に出てくる雰囲気もクールである。話がすれ違った時など、まったく会話にならない。ある意味一番扱いにくいタイプの人間なのかも知れない。
最初はそんなこと分からなかった。野球に燃えていた頃には、何の一点の曇りもない瞳に安心しながら話をしたものだった。しかし挫折を味わい、そこに曇りを感じてくると、根が真面目だけに、何を話していいか分からなくなってしまう。
それでも今までここまでひどいことはなかった。最近、私も急に友人が増えたこともあり、祐二をその中の一人だとしか考えていない時期があったことも事実で、そんな時に仲たがいをしても、
――まぁ、そのうちに仲良くなるさ――
と自ら言い聞かせていた。
しかも言い聞かせることによって、本当に自然とよかった頃の仲に復活するのだから不思議なものだった。
――こういうのを青春時代というのだろうな――
まるで青春ドラマの主人公にでもなったような気がしてくる。自分でも信じられない力が身体に漲っているのでは、などと思うこともしばしばであった。
それだけに一旦相手が分からなくなってしまうと、収拾がつかなくなるものなのかも知れない。それが私にとっての鬱状態であり、陥る時が分かる自分は、それすら能力の一つではないかという錯覚さえあった。しかし、それは能力でも何でもない。それなら何度も陥る中で陥らずに済むような解決策が出てきてもよさそうだが、まったく出てくる気配もないからである。
この「被害妄想」は今まで鬱状態で陥った「誇大妄想」と決定的な違いがあった。
「誇大妄想」であれば、鬱状態から抜けるのが分かる時から、次第に自分の中で抜けていくのが分かるのだ。しかし「被害妄想」だけは、小さくなって行くことすらあれ、消えていくという感覚はまったくない。しかも、躁状態になったとしても、いつ顔を出すか分からないものとしての意識が残ってしまった。おそらくもう一度頭を擡げる時が、またしても鬱状態への扉を開くことになるのだろう。
この「被害妄想」というのは厄介で、人が話しているのが気になり始めると、気がそっちへ行ってしまい、抜けなくなってしまうのだ。
聞き耳を立てているのだが、まわりの喧騒とした雰囲気とダブってしまう。精神を集中させて、喧騒としたまわりを打ち消すことができれば、その時の精神状態は比較的落ち着いている。逆に喧騒としたまわりに負けてしまうようではイライラが募るだけで、最悪の精神状態をアシストするに留まってしまうようだ。
だが、精神状態のいい時に聞ける話というのは、自分にはあまり関係のない話で、一瞬の被害妄想として自分の中の笑い話で終わってしまう。精神が集中できなかった時の話ほど気になるもので、きっと悪口を言われているのだろう、などと勝手な妄想が先走りしてしまう。
しかし意外と不思議なもので、小説のネタとしては聞こえてきた、私に関係のない話は使えるらしく、気がつけば頭で覚えていて、せっせとメモしているのだ。
作品名:短編集11(過去作品) 作家名:森本晃次